國學院大學(Kokugakuin University)神道・神社史料集成(Shinto Jinja Database)21世紀COEプログラム(21st Century Center of Excellence (COE) Program)
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神郡【概説】

 はじめに、本データベースの作成にあたっては、主に六国史中より神郡に関連する43の記事を抽出し郡ごとの項目を設け分類を行った。抽出した史料の傾向として、8世紀前半までは神郡司の連任に関する記事が多く見られ、また9世紀以降は伊勢神郡に関する記事が頻出するということが挙げられる。本稿ではこれらの史料を基にして神郡制について考察していきたい。
 神郡とは、律令国家において特定の神社及び祭祀氏族と密接に関係する郡であり、神社の修理・祭祀の用度、その他諸費用に郡内の田租及び調・庸を供せしめたとされている特定の郡を示している。それぞれ安房坐神社と安房国安房郡、香取神宮と下総国香取郡、鹿島神宮と常陸国鹿島郡、太神宮と伊勢国多気郡・度会郡、日前神社・国懸神社と紀伊国名草郡、熊野坐神社・杵築大社と出雲国意宇郡、宗像神社と筑前国宗像郡の関係がそれにあたる。
 神郡の初見は、『日本書紀』持統天皇6年(692)3月壬午(17日)条の、持統天皇の伊勢行幸に際して通過した神郡及び伊賀・伊勢・志摩の国造等に冠位を賜い、その年の調役を免じたという記述であり、また8神郡全ての存在を確認できるのは『令集解』所収養老7年(723)11月16日太政官処分である。しかし神郡自体は大化から天武朝の間に設けられたと考えられ、それらを示す史料として『神宮雑例集』『常陸国風土記』等をあげることができる。これらの記述からは、難波長柄豊前宮(孝徳天皇)の御世の己酉年(大化5年・649)に、多気郡・度会郡、香島(鹿島)郡が相次いで建郡された事を窺うことができ、上記以外の他の神郡に関しても同様に、大化年代に建郡された可能性が高いと考えられる。
 神郡の支配は各神社を奉斎する氏族と密接に関係して行われたと考えられ、鹿島郡では中臣氏、多気郡・度会郡では度会氏、意宇郡では出雲臣、名草郡では紀直、宗像郡では宗像氏と、神社の祭祀を司る氏族がそれぞれ郡の政務をも司った。古代において神主は特定の氏族から選任されるのが原則とされており、郡領においても『続日本紀』天平勝宝元年(749)2月壬戊(27日)条などによると郡領が譜第の職であったことがわかることから、上記の神社の神職と神郡領は長く同一氏族によって補任されていたと考えられる。律令制下においては郡司等に同一氏族を補任することが禁じられていたものの、神郡においては例外的に同姓の併用が許されていた。これらを示す史料としては先に上げた『令集解』「選叙令」同司主典条があげられ、『続日本紀』においては文武天皇2年(698)から養老7年(723)まで、8神郡の郡司に関して順次連任を許す記述をみることができる。神郡において郡司の同一氏族による連任が許されているということは、神社を奉斎する氏族が継続的に神社の維持・運営および郡の行政に関与するということをあらわしている。また、鹿島郡・意宇郡・宗像郡の例からも解るように、神郡には極めて在地性の強い豪族が存在しており、その豪族が主体となって神社を奉斎していた。つまり、古代を通じて神郡では在地豪族を中心として神社と郡の両方が密接に関係していたのである。
 神郡では在地豪族との関係の他にも幾つか特殊な性格を有している。まず挙げられるのはある種の神域としての神郡である。『続日本紀』宝亀11年(780)2月丙申朔条によると、伊勢大神宮寺が神郡に近い為に祟りがあったということで他所に移転している。また、天応・延暦年間には天皇の崩御に際して畿内及び諸国に服喪の命が下されているが、神郡は例外とされている。これらの記述からは、神郡自体が一種の神域として認識されており、仏教忌避や服喪の例外に預かったものと考えられる。
 また、神郡の性格を考えた場合注目すべき史料の1つに『類聚三代格』巻1神封物並租地子事所収、弘仁12年(821)8月22日の大政官符を上げることができる。これによると「神郡の田租に関して以前は大神宮司が管理していたが現在は国司が管理している。しかし近年、祭料が不足しそれを正税から補っているが、正税は国司の管理下にあるため制約が多いので、以前のように神郡の田租を大神宮司が管理し神宮の維持・運営に充てたい」といった内容を許可する官符である。これは、神郡の田租を国司が検納することなったことで、祭料の不足を神郡の田租で補い円滑に神社、祭祀を維持することができなくなった為の措置であると考えられ、それ以前においては神社の維持・管理、祭祀の執行を円滑に行うことを目的として、神郡の田租は大神宮司が検納し、神社の為に用いられていたと考えられる。
 大神宮司が神郡の行政に関与するという傾向は『類聚三代格』巻1神郡雑務事所収、弘仁8年(817)12月25日の太政官符に、「多気度会両郡雑務大神宮事」とあることからも読み取ることができ、伊勢2神郡に限定はされるものの、神社側が祭祀を厳修するために、積極的に神郡の行政を司ることが許されていたものと考えられる。伊勢神郡に関しては先述の官符に「凡此大神者天下貴社」とあるように特殊な例であると考えられ、他の神郡も同様に神社が郡政に積極的に関与したという事を史料上立証することは難しいものの、先述のように神郡では在地豪族を媒体として神社と郡政が密接に関係している事から、伊勢国以外の神郡においても同様の傾向があったものと推測でき、それにより神社の維持管理、祭祀の執行を円滑に行うことが求められたのではないだろうか。
 以上、神郡の特殊性について述べてきたわけだが、最後にこれらをまとめていきたい。神郡とは、特定の神社の為に租庸調を納めるため設けられた郡というよりは、極めて在地性の強い地方豪族が神社の維持・運営及び郡政を司るということを、朝廷側と豪族側の両者が志向したために、律令制下において例外的にそれが許された郡ではないだろうか。そして、それには各神社の祭神の神威が大きく関係していると考えられ、そのことを示すかのように神郡には一種の神域としての性格も有していたと考えられるのである。
 神郡に関しては、その詳しい実態や神戸との関連性、8神郡各々の独自性、また国造、祭祀氏族との関連性など多くの課題が残されているということも事実である。特に、史料数の絶対的少なさと、各神郡に於いてどこが共通点でどこが独自の部分かという点については、今後各神郡の状況を複数の分野に渡り詳細に分析した上で各々を比較していくという作業が必要となる。これらのことを踏まえ、最終的には神郡制の全体像を明らかにしていきたい。
(根本 祐樹)

参考文献

  • 平野博之「神郡」『九州史学』11、昭和33年(1958)
  • 田中卓「伊勢神郡の成立」『田中卓著作集4 神宮の創祀と発展』国書刊行会、昭和34年(1959)
  • 梅田義彦「神郡行政の特性とその変遷」『国民生活史研究』4、昭和35年(1960)
  • 上田正昭「郡司に関する一考察」『古代学』8-2、昭和35年(1960)
  • 岩橋小弥太「神戸・神郡」『神道史叢説』吉川弘文館、昭和46年(1971)
  • 高嶋弘志「神郡の成立とその歴史的意義」『日本古代政治史論考』吉川弘文館、昭和58年(1983)
  • 平野邦雄「神郡と神戸」『大化前代政治過程の研究』吉川弘文館、昭和60年(1985)
  • 大関邦男「神郡について-伊勢神郡を中心に-」『日本歴史』470、昭和62年(1987)
  • 荒井秀規「神郡の田租をめぐって-伊勢神郡を中心に」『三重-その歴史と交流』雄山閣出版、平成元年(1989)
  • 有富由紀子「神郡についての基礎的考察」『史論』44、平成3年(1991)
  • 早川万年「神郡・神郡司に関する基礎的考察」『東国と常陸国風土記』雄山閣出版、平成11年(1999)

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