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賀茂御祖神社二座

・鎮座地
山城国愛宕郡

・『延喜式』神名帳に見られる祭祀
名神大月次相嘗新嘗

・六国史終了時の神階
正一位勲一等

・グラフ→
[graph] 1

・その他

・史料
『続日本紀』文武天皇2年3月辛巳(21日)条 (698)
禁山背国賀茂祭日会衆騎射。

『続日本紀』大宝2年4月庚子(3日)条 (702)
禁祭賀茂神日。徒衆会集執仗騎射。唯当国之人不在禁限。

『類聚三代格』1(祭并幣事)・和銅4年4月20日詔 (711)
詔。賀茂神祭日。自今以後。国司検察。常為年事。
  和銅四年四月廿日

『続日本紀』和銅4年4月乙未(20日)条 (711)
詔。賀茂神祭日。自今以後。国司毎年親臨検察焉。

『続日本紀』神亀3年7月乙未(20日)条 (726)
遣使奉幣帛於石成。葛木。住吉。賀茂等神社。

『類聚三代格』1(祭并幣事)・天平10年4月22日勅 (738)
勅。比年以来。祭賀茂神之日。会集人馬。悉皆禁断。自今以後。任意聴祭。但祭礼之庭勿令闘乱。
  天平十年四月廿二日

『続日本紀』天平17年9月癸酉(19日)条 (745)
天皇不予。勅平城恭仁留守固守宮中。悉追孫王等詣難波宮。遣使取平城宮鈴印。又令京師畿内諸寺及諸名山浄処行薬師悔過之法。奉幣祈祷賀茂松尾等神社。令諸国所有鷹鵜並以放去。度三千八百人出家。

神祇令天神地祇条(『令集解』) (757)
凡天神地祇者。神祇官。皆依常典祭之。〈謂。天神者。伊勢。山城鴨。住吉。出雲国造斎神等類是也。地祇者。大神。大倭。葛木鴨。出雲大汝神等類是也。常典者此令所載祭祀事条是也。釈无別也。自大汝神以上。古記亦无別也。穴云。依常典祭。謂四季所祠。及祭之調度依別式備儲。大嘗毎世毎年等。謂之常典也。若調度斎日等。違失者。此神祇祭祀。違常典也。其大宰主神与神祇官。其祭可有別式。但天皇即位。惣祭天神地祇時。皆可惣祭也。跡云。常典。謂自仲春以下。季冬以上。是曰依常典祭之。朱云。皆依常典祭。謂在諸国社皆約此。為班給幣帛者。但神祇官之不預諸国社者。不班幣帛耳。〉
仲春 祈年祭〈謂。祈猶祷也。欲令歳災不作。時令順度。即於神祇官祭之。故曰祈年。釈云。祈音渠依反。鄭玄注周礼曰。祈祷也。謂為除凶災。別呼吉神以求福也。於神祇官。惣祭天神地祇。百官々人集。別葛木鴨名為御年神。祭日。白猪白鶏各一口也。為令歳稔祭之。如大歳祭也。〈於神以下一口以上。古記之文。〉〉
季春 鎮花祭〈謂。大神狭井二祭也。在春花飛散之時。疫神分散而行癘。為其鎮遏。始有此祭。故曰鎮花。釈云。大神狭井二処祭。大神者。祝部請受神祇官幣帛祭之。狭井者。大神之麁御霊也。此祭者。花散之時。神共散而行疫已。為止此疫祭之也。古記无別。〉
孟夏 神衣祭〈謂。伊勢神宮祭也。此神服部等。斎戒潔清。以参河赤引神調糸。織作神衣。又麻績連等。績麻以織敷和衣。以供神明。故曰神衣。釈云。伊勢大神祭也。其国有神服部等。斎戒浄清。以三河赤引神調糸。御衣織作。又麻績連等。麻績而敷和御衣織奉臨祭之日。神服部在右。麻績在左也。敷和音。宇都波多也。此常祭也。古記无別。〉
 大忌祭〈謂。広瀬龍田二祭也。欲令山谷水変成甘水。浸潤苗稼。得其全稔。故有此祭也。釈云。広瀬并龍田祭。自山谷下水。変甘水成。而為令五穀成熟祭也。差五位以上充使也。古記无別。跡云。祈年祭。祭甲神。大忌祭。祭乙神之類。依別式也。〉
 三枝祭〈謂。率川社祭。以三枝花。飾酒罇祭。故曰三枝也。釈云。伊謝川社祭。大神氏宗定而祭。不定者不祭。即大神族類之神也。以三枝花。厳罇而祭。大神祭供。此云麁魂和霊祭。古記无別。〉
 風神祭〈謂。亦広瀬龍田二祭也。欲令沴風不吹。稼穡滋登。故有此祭。凡読此四祭者。先読神衣。其次三枝。其次大忌。其次風神。即与公式令連署義同。以下諸祭亦准此例。釈云。広瀬龍田祭也。世草木五穀等。風吹而枯壊之。此時不知彼神心。即天皇斎戒。願覚。夢中即覚云。龍田小野祭。二社同日共祭妹妋之神。亦五位以上充使。〈古記无別〉又云。凡諸祭次第。具列如左。孟夏神衣祭。三枝祭。大忌祭。風神祭。以下放此。跡云。文読次第。神衣祭。大忌祭。三枝祭。但仲冬処構上対下耳。寅日在二分之中耳。穴云。孟夏仲冬等注。先読上二件了。乃至下注為長。一云。神衣。次大忌。次三枝。仲冬注。相嘗。次大嘗。次鎮魂也。但先読寅日祭。乃可読下卯祭。而先読大嘗者。依職員令所次先後耳。又季夏。季冬。道饗祭是晦。故云。是説為長也。新令問答篇所次。又律目録篇所次。並亦如之。〉
季夏 月次祭〈謂。於神祇官祭。与祈年祭同。即如庶人宅神祭也。釈及古記无別。朱云。月次祭。与六月十二月大祓各異也。〉
 鎮火祭〈謂。在宮城四方外角。卜部等鑚火而祭。為防火災。故曰鎮火。釈及古記无別。〉
 道饗祭〈謂。卜部等於京城四隅道上而祭之。言欲令鬼魅自外来者不敢入京師。故預迎於路而饗遏也。釈云。京四方大路最極。卜部等祭。牛皮并鹿猪皮用也。此為鬼魅自外莫来宮内祭之。左右京職相預。〈古記无別。〉〉
孟秋 大忌祭  風神祭
季秋 神衣祭〈謂。与孟夏祭同。釈云。如孟夏祭。唯差幣帛使。差五位已上。〉
 神嘗祭〈謂。神衣祭日便即祭之。釈云。即神嘗祭。謂神衣祭日饌食等具祭。宇奈太利。村屋。住吉。津守。古記无別〉
仲冬 上卯相嘗祭〈謂。大倭。住吉。大神。穴師。恩智。意富。葛木鴨。紀伊国日前神等類是也。神主各受官幣帛而祭。釈云。大倭社大倭忌寸祭。宇奈太利。村屋。住吉。津守。大神社。大神氏上祭。穴師〈神主〉。巻向〈神主〉。池社〈池首〉。恩智〈神主〉。意富〈太朝臣〉。葛木鴨〈鴨朝臣〉。紀伊国坐日前。国県須。伊太祁曾。鳴神。已上神主等。請受官幣帛祭。〈古記無別。〉〉
 下卯大嘗祭〈謂。若有三卯者。以中卯為祭日。不更待下卯也。釈云。朝諸神相嘗祭了。供奉新物也。若卯当中卯者。中卯為下卯也。朱云。下卯大嘗祭。謂若一月内有卯日三日者。中卯可称下卯也。於上卯称下卯耳。然則鎮魂祭之後。可為大嘗祭。但職員令為文義連大嘗祭下云耳。毎年毎世大嘗。並此日可祭。但毎世大嘗祭年者。毎年大嘗不可祭也。〉
 寅日鎮魂祭〈朱云。上卯之次寅日者。〉
季冬 月次祭 鎮火祭 道饗祭
前件諸祭供神調度。及礼儀。斎日。皆依別式。〈朱云。礼儀二歟。一歟。先答云。二事者〉。其祈年月次祭者。百官集神祇官。〈穴云。百官謂男官也。或一人。或挙司。並不見文也。朱云。百官集神祇官。謂男官人也。女不云者。未知。史生同官人不。答。此主典以上。毎司一人許可参也。〈司挙不云也。〉〉中臣宣祝詞。〈謂。宣者布也。祝者賛辞也。言以告神祝詞。宣聞百官。故曰宣祝詞也。穴云。中臣宣祝詞者。時行事宣参集之社々祝部等也。但依文。宣百官可云耳。釈云。以申神祝詞。宣百官耳也。跡云。祝詞祓詞者。法刀言也。〉忌部班幣帛。〈謂。班猶頒。其中臣忌部者。当司及諸司中取用之。釈云。忌部是神部也。此日忌部二人。挂木綿襁。而随召祝部名而分充幣帛。穴云。中臣。忌部。当司及諸司中取用耳。東西文部同意也。或云。忌部者此神部也。但中臣者。為供此事。常置此司耳。班謂班諸国也。時行事社々祝部。参神祇官受取耳。朱云。中臣。忌部。并在神部之中也。班幣帛。謂皆班内外社者。但諸国預祭社。不班幣帛者也。〉

『続日本紀』宝亀11年4月庚申(26日)条 (780)
山背国愛宕郡人正六位上鴨祢宜真髪部津守等一十人賜姓賀茂県主。

『続日本紀』天応元年4月戊申(20日)条 (781)
令賀茂神二社祢宜祝等始把笏。

『続日本紀』延暦3年6月壬子(13日)条 (784)
遣参議近衛中将正四位上紀朝臣船守於賀茂大神社。奉幣。以告遷都之由焉。又今年調庸。并造宮工夫用度物。仰下諸国。令進於長岡宮。

『続日本紀』延暦3年11月丁巳(20日)条 (784)
遣近衛中将正四位上紀朝臣船守。叙賀茂上下二社従二位。又遣兵部大輔従五位上大中臣朝臣諸魚。叙松尾乙訓二神従五位下。以遷都也。

『続日本紀』延暦3年11月乙丑(28日)条 (784)
遣使修理賀茂上下二社及松尾乙訓社。

『続日本紀』延暦4年11月庚子(8日)条 (785)
詔賀茂上下神社充愛宕郡封各十戸。

『日本紀略』延暦12年2月辛亥(2日)条 (793)
遣参議治部卿壱志濃王等。告遷都於賀茂大神。

『日本紀略』延暦13年10月丁卯(28日)条 (794)
鴨。松尾神加階。以近郡也。

『日本後紀』延暦15年11月辛丑(14日)条 (796)
始用新銭。奉伊勢神宮。賀茂上下二社。松尾社。亦施七大寺及野寺。賜皇太子親王已下職事正六位已上。僧都律師等各有差。

『日本後紀』延暦24年4月己酉(10日)条 (805)
遣使奉幣帛於賀茂神社。

『日本後紀』大同元年3月丁亥(23日)条 (806)
此日。日赤無光。大井。比叡。小野。栗栖野等山共焼。烟灰四満。京中昼昏。上以為。所定山陵地。近賀茂神。疑是神社致災火乎。即決卜筮。果有其祟。上曰。初卜山陵。筮従亀不従也。今災異頻来。可不慎歟。即自祷祈。火災立滅。

『日本紀略』大同2年5月庚寅(3日)条 (807)
賀茂御祖神。別雷神並奉授正一位。

『日本紀略』大同4年5月庚午(25日)条 (809)
奉幣於松尾。鴨御祖。鴨別雷等社。為止霖雨也。

『類聚国史』19(神祇19祢宜)・大同4年11月26日条 (809)
外従五位下鴨県主真蓑授外従五位上。従八位上鴨県主目代外従五位下並賀茂二社祢宜也。

『日本後紀』弘仁6年8月辛丑(3日)条 (815)
遣使奉幣於伊勢大神宮并賀茂大神。以霖雨不晴也。

『類聚国史』107(職官12斎院司)・弘仁9年正月乙巳(21日)条 (818)
始置斎院司。宮主一員。長官一員。次官一員。判官一員。主典二員。

『類聚三代格』4(加減諸司官員并廃置事)・弘仁9年5月9日符 (818)
太政官符
 定新置斎院司官位職員事
  長官一人〈従五位下官〉  次官一員〈従六位上官〉
  判官一員〈従七位上官〉  主典二員〈従八位下官〉
右被中納言兼左近衛大将従三位行春宮大夫陸奥出羽按察使藤原朝臣冬嗣宣偁。奉 勅。宜依件定。
  弘仁九年五月九日

『日本紀略』弘仁9年5月乙巳(22日)条 (818)
始置斎院司宮主一員。長官一員。次官一員。判官一員。主典二員。

『類聚三代格』4(加減諸司官員并廃置事)・弘仁9年5月22日符 (818)
太政官符
 新置斎院司宮主一員事〈准従八位下官〉
右被中納言兼左近衛大将従三位行春宮大夫陸奥出羽按察使藤原朝臣冬嗣宣偁。奉 勅。宜依件定。
  弘仁九年五月廿二日

『類聚国史』107(職官12斎院司)・弘仁9年7月庚寅(8日)条 (818)
定斎院史生二員。

『類聚国史』5(神祇5賀茂大神)・弘仁10年3月甲午(16日)条 (819)
勅。山城国愛宕郡賀茂御祖并別雷二神之祭宜准中祀。

『類聚国史』8(神祇8大嘗会)・弘仁14年11月癸亥(13日)条 (823)
右大臣正二位藤原朝臣冬嗣。大納言従二位藤原朝臣緒嗣等於清涼殿口奏言。聖王相続。大嘗頻御。天下騒動。人民多弊。然神態不得已。須此度大嘗会停餝省弊者。天皇勅答。元不好餝。唯事神態耳者。即大臣奏云。請令大納言緒嗣検校其事者。勅。依請。於是緒嗣請中納言良岑朝臣安世。参議伴宿祢国道為検校。便以治部省庁為行事所。唯斎院依卜筮定之。以宮内省。為悠紀所。以中務省。為主基所。作借屋用之。但斎場依例定北野。一切不用玩好金銀刻鏤等之餝。唯標者以榊造之。用橘并木綿等餝之。即書悠紀主基字。以着樹末。凡以清素供神態耳。所用正税。悠紀主基各十万束。後依国司所請。各加五万。以従省約也。又運悠紀主基両国雑物担夫各給路糧。斯以頻有大嘗会。国民凋弊者也。

『類聚国史』19(神祇19祝)・天長元年4月甲午(15日)条 (824)
以従八位上鴨県主浄益。為正一位勲一等鴨御祖大社祝。

『類聚三代格』4(廃置諸司事)・天長元年12月29日符 (824)
太政官符
 置斎院司事
右太政官去弘仁十四年六月四日下式部省符偁。件司宜従停止者。今被右大臣宣偁。奉 勅。宜准去弘仁九年例置之。
  天長元年十二月廿九日

『類聚国史』107(職官12斎院司)・天長3年7月辛卯(26日)条 (826)
摂津国垂水庄公田一町八段。賜斎院司。

『類聚国史』5(神祇5賀茂斎院)・天長8年(831)12月壬申(8日)条 (831)
替賀茂斎内親王。其辞曰。天皇〈我〉御命〈尓〉坐。掛畏皇大神〈尓〉申給〈波久〉。皇大神〈乃〉阿礼乎止売〈尓〉進〈礼留〉内親王。齢〈毛〉老。身〈乃〉安〈美毛〉有〈尓〉依〈弖〉。令退出〈留〉代〈尓〉。時子女王〈乎〉。卜食定〈弖〉進状〈乎〉。参議左大弁正四位下藤原朝臣愛発〈乎〉差使〈弖〉申給〈波久止〉申。并奉幣。

『類聚国史』5(神祇5賀茂斎院)・天長8年12月癸酉(9日)条 (831)
為前賀茂斎内親王相替。祓于鴨川。

『続日本後紀』天長10年3月癸丑(26日)条 (833)
以久子内親王為伊勢斎宮。高子内親王為賀茂斎院。

『続日本後紀』天長10年4月丁卯(10日)条 (833)
遣参議従四位下右大弁藤原朝臣常嗣。奉幣於賀茂大神。告以高子内親王定斎院之状。

『続日本後紀』天長10年6月癸亥(8日)条 (833)
是日。為聖体有間。使神祇伯従四位下大中臣朝臣淵魚。奉幣於賀茂大神。

『続日本後紀』天長10年閏7月壬午(28日)条 (833)
霖雨渉旬不息。仍令大和山城二国介以上親奉幣於丹生川上雨師神。松尾。賀茂上下及貴布祢社。以祈霽焉。

『続日本後紀』天長10年12月癸未朔条 (833)
道場一処在山城国愛宕郡賀茂社以東一許里。本号岡本堂。是神戸百姓奉為賀茂大神所建立也。天長年中検非違使尽従毀廃。至是。勅曰。仏力神威。相須尚矣。今尋本意。事縁神分。宜彼堂宇特聴改建。

『続日本後紀』承和2年4月甲午(20日)条 (835)
高子内親王禊于賀茂川。始入斎院。

『続日本後紀』承和2年4月己亥(25日)条 (835)
授正六位上文室朝臣茂道従五位下。外従五位下賀茂県主広友外従五位上。正六位上賀茂県主広雄外従五位下。

『続日本後紀』承和3年2月丙子(7日)条 (836)
遣唐使奉幣帛賀茂大神社。

『続日本後紀』承和3年4月乙酉(17日)条 (836)
天皇御紫宸殿。閲覧賀茂祭使等鞍馬調飾并従者容儀。賜使等祿。以播磨守従四位下橘朝臣永名権為内蔵頭。令供祭使。

『続日本後紀』承和3年6月癸酉(6日)条 (836)
奉松尾。賀茂御祖。住吉。垂水等社幣。祈雨也。

『続日本後紀』承和4年10月丙辰(26日)条 (837)
聴斎院司私養鷹二連。

『続日本後紀』承和5年2月癸卯(15日)条 (838)
勅。斎院雑使四人。宜准二宮并淳和院舎人等。与之公験。嵯峨院勘籍廿人亦宜准此。

『続日本後紀』承和5年8月癸丑(28日)条 (838)
降雨殊切。奉幣賀茂上下。松尾。乙訓。垂水。住吉等名神。以祈霽焉。

『続日本後紀』承和6年正月甲子(11日)条 (839)
以従五位下藤原朝臣秋常為少納言。正五位下藤原朝臣嗣宗為右中弁。従四位下百済王慶仲為民部大輔。従五位下藤原朝臣浜雄為少輔。従四位上藤原朝臣雄敏為兵部大輔。従四位上滋野朝臣貞主為兼大和守。弾正大弼如故。従五位下小野朝臣興道為左衛門佐。従四位下藤原朝臣長良為左馬頭。正五位下高道宿祢鯛釣為摂津守。従四位上大枝朝臣総成為伊[ ]守。従五位下惟良宿祢貞道為兼伊勢介。図書頭如故。従五位下在原朝臣仲平為駿河守。従五位下藤原朝臣友永為介。従五位下藤原朝臣伊勢雄為甲斐守。従五位上藤原朝臣貞成為相摸権守。外従五位下出雲朝臣全嗣為武蔵介。従四位上源朝臣明為兼近江守。大学頭如故。従五位上安倍朝臣浜主為介。従五位下出雲朝臣岑嗣為美濃権介。権中納言従三位藤原朝臣良房為陸奥出羽按察使。左兵衛督如故。従五位下紀朝臣松永為若狭守。従四位上源朝臣寛為加賀守。従五位下藤原朝臣良方為介。従五位下真福良王為能登守。従五位下丹墀真人氏永為越後守。従四位下正躬王為丹波守。正五位下坂上大宿祢鷹主為但馬守。外従五位下志紀宿祢永成為伯耆介。従五位下藤原朝臣貞根為出雲守。従五位下朝野宿祢貞吉為美作介〈云々〉。従五位下菅野朝臣永岑為兼豊前守。主殿頭斎院長官如故。

『続日本後紀』承和6年4月戊辰(17日)条 (839)
勅。頒幣於松尾。賀茂上下。貴布祢。丹生川上雨師。住吉諸社。令祈澍雨。又限七箇日。令読仁王経於十五大寺。兼通城外崇山有験之寺同俾転経。並以自春迄今不雨也。

『続日本後紀』承和6年5月辛卯(11日)条 (839)
始自今日。限三箇日。為賀茂大神。転読金剛般若経一千巻。

『続日本後紀』承和7年4月庚午(29日)条 (840)
勅。頃者。炎旱未幾。嘉苗殆枯。宜奉幣松尾。賀茂。乙訓。貴布祢。丹生川上雨師。垂水等社。祈甘雨防風災焉。

『続日本後紀』承和7年6月己未(15日)条 (840)
奉幣帛於伊勢大神宮及賀茂上下。松尾等社。祈霈沢。又令内外諸国奉幣神祇。祈請甘雨。

『続日本後紀』承和8年4月己巳(29日)条 (841)
勅。頃者時雨不降。農夫輟耕。如非祷祈。恐傷嘉苗。宜奉幣松尾。賀茂。乙訓。貴布祢。垂水。住吉。雨師神。令祈甘雨。兼防風災。

『続日本後紀』承和8年6月辛酉(22日)条 (841)
詔曰。天皇〈我〉詔旨〈止〉。掛畏〈支〉伊勢度会〈乃〉五十鈴之川上〈尓〉坐大神〈乃〉広前〈尓〉申賜〈ヘ止〉申〈久〉。先〈尓〉肥後国阿蘇郡〈尓〉在〈流〉神霊池。常〈与利〉涸竭卌丈。又伊豆国〈尓〉有地震之変。是〈乎〉卜求〈礼波〉。旱疫及兵事可有〈止〉卜申。自此之外〈尓母〉物怪亦多。依此〈天〉左右〈尓〉念行〈尓〉。掛畏〈支〉大神〈乃〉護賜〈比〉。矜賜〈牟尓〉依〈天〉。無事〈天〉可有〈止〉思食〈天〉。令択吉日良辰〈弖〉。大監物従五位下島江王。中臣民部大丞正六位上大中臣朝臣榲雄等〈乎〉差使〈天〉。礼代〈乃〉大幣〈乎〉令捧持〈天〉奉出。此状〈乎〉聞食〈弖〉。国家〈乎〉平〈介久〉有〈志女〉。天皇朝廷〈乎〉宝位無動〈久〉護賜〈比〉助賜〈止〉。恐〈美〉恐〈美毛〉申賜〈久止〉申。又遣使於賀茂御祖社。祈申亦同焉。

『類聚三代格』4(加減諸司官員并廃置事)・承和8年12月22日符 (841)
太政官符
 応補斎院司舎人遭喪之替事
右得彼司解偁。依太政官去承和五年二月廿二日符旨。充補舎人四人。而遭喪之徒。毎年不絶。至于神事。無人差使。凡司家之風尤忌穢悪。重服之輩何得出仕。仍移送遭喪之由。而式部省固称無例。曾不補替。望請。不待至考。随闕被補。謹請 官裁者。右大臣宣。奉 勅。依請。
  承和八年十二月廿二日

『続日本後紀』承和9年3月丁巳(22日)条 (842)
遣使奉幣松尾。鴨御祖。鴨別雷。乙訓等名神。祈雨也。

『続日本後紀』承和10年11月丙申(12日)条 (843)
遣参議左大弁従四位上正躬王奉幣帛於賀茂神社。為令国家昌泰也。

『続日本後紀』承和11年8月癸卯(23日)条 (844)
丹波国多紀郡人斎院主典従七位上常澄宿祢成主改本居貫附左京一条二坊。

『続日本後紀』承和11年11月壬子(4日)条 ()
鴨上下大神宮祢宜外従五位下賀茂県主広友等款云。所謂鴨川。経二神社指南流出。而王臣家人及百姓等。取鹿彘於北山。便洗水上。其末流来触神社。因茲。汚穢之祟屢出御卜。雖加禁制。曾無順慎者。

『類聚三代格』1(神社事)・承和11年11月4日符 (844)
太政官符
 応禁制汚穢鴨上下大神宮辺河事
右得彼神宮祢宜外従五位下賀茂県主広友等解偁。鴨川之流経二神宮。但欲清潔之。豈敢汚穢。而遊猟之徒就屠割事。濫穢上流。経触神社。因茲汚穢之祟屢出御卜。雖加禁制曾不忌避。仍申送者。大納言正三位兼行右近衛大将民部卿陸奥出羽按察使藤原朝臣良房宣。奉 勅。神明攸祟不可不慎。宜仰当国俾禁断之。若違制犯者禁其身申上。容隠不申。国郡司并祢宜祝等必処重科。不曾寛宥。
  承和十一年十一月四日

『類聚三代格』1(神社事)・承和11年12月20日符 (844)
太政官符
 応令神戸百姓護鴨上下大神宮辺川原并野事
  四至
 御祖社<東限寺田 南限故参議左近衛大将大中臣朝臣諸魚宅北路末  西限百姓宅地并公田 北限槐材下里南畔并寺田>
 別雷社<東限路并百姓宅地 南限道并百姓宅地公田  西限鴨川 北限梅原山>
右得山城国解偁。依太政官去十一月四日符。仰愛宕郡司令禁護件社辺河。而郡司解偁。郡中徭丁数少無人差充。望請。以在比郡神戸百姓。分番令禁守。若致汚穢永出神戸。以公戸民相替補入者。国加覆審。所陳有実。謹請 官裁者。左大臣宣。依請。
  承和十一年十二月廿日

『続日本後紀』承和14年10月戊午(26日)条 (847)
二品有智子内親王薨。遺言薄葬。兼不受葬使。内親王者。先太上天皇幸姫王氏所誕育也。頗渉史漢。兼善属文。元為賀茂斎院。弘仁十四年春二月天皇幸斎院花宴。俾文人賦春日山庄詩。各探勒韻。公主探得塘光行蒼。即瀝筆曰。寂々幽庄水樹裏。仙輿一降一池塘。栖林孤鳥識春沢。隠澗寒花見日光。泉声近報初雷響。山色高晴暮雨行。従此更知恩顧渥。生涯何以答穹蒼。天皇歎之。授三品。于時年十七。是日。天皇書懐。賜公主曰。忝以文章著邦家。莫将栄楽負煙霞。即今永抱幽貞意。無事終須遣歳華。尋賜召文人料封百戸。天長十年叙二品。性貞潔。居于嵯峨西庄。薨時春秋四十一。

『続日本後紀』承和14年12月乙巳(14日)条 (847)
従五位下紀朝臣全吉為主殿頭。従五位上百済王慶世為斎院長官。

『続日本後紀』承和15年2月辛亥(21日)条 (848)
正一位勲一等賀茂御祖大社祢宜外従五位下鴨県主広雄等款云。去天平勝宝二年十二月十四日。奉充御戸代田一町。自尓以降。未被奉加。因茲年中用途乏少。請准別雷社。加増御戸代田一町。勅許之。

『続日本後紀』嘉祥元年6月庚子(13日)条 (849)
大臣就八省院。奉幣帛於伊勢大神宮及賀茂上下。松尾社。並告依瑞改元。兼令祈防水殄也。

『続日本後紀』嘉祥元年7月己未(2日)条 (849)
奉幣帛於松尾。賀茂上下社。貴布祢。雨師社。以祈甘雨。

『文徳天皇実録』嘉祥3年7月甲申(9日)条 (850)
皇女晏子内親王為伊勢斎。恵子内親王為賀茂斎。大祓於建礼門前。以命両斎内親王也。

『文徳天皇実録』嘉祥3年8月丁巳(12日)条 (850)
遣右中弁従四位下藤原朝臣氏宗向賀茂社。中宮亮正五位上藤原朝臣良仁向松尾社。並告以即位之由。

『文徳天皇実録』嘉祥3年9月戊子(14日)条 (850)
遣参議左兵衛督正四位下藤原朝臣助。向賀茂大神社。策命曰。天皇〈我〉詔旨〈止〉。掛畏〈支〉大神〈乃〉広前〈尓〉申賜〈倍止〉申〈久〉。先先〈尓〉祷申賜〈倍留〉御馬并神財〈乎〉九月〈尓〉潔備〈天〉奉出賜〈波々〉可吉〈止〉卜申〈利〉。故是以神財〈乎〉設備〈天〉潔捧〈天〉奉出〈須〉。但御馬〈波〉馬寮内〈尓〉有穢〈尓〉依〈弖〉。此度〈波〉不奉出。来年〈乃〉四月〈乃〉祭〈尓〉設備〈天〉奉出〈无〉。此状〈乎〉聞食〈天〉。天皇朝庭〈乎〉堅磐〈尓〉常磐〈尓〉。天下平安〈尓〉護賜〈比〉矜賜〈倍止〉。恐〈見〉恐〈見毛〉申賜〈波久止〉申。

『文徳天皇実録』嘉祥3年9月庚子(26日)条 (850)
遣侍従従五位上島江王向伊勢大神宮。神祇大副従五位下中臣朝臣逸志向賀茂大神社。神祇権少祐正六位上占部業基向尾張大神社。告以賀瑞之由。大祓於建礼門前。以遣使也。又下知五畿七道諸国。班幣名神。同告賀端之由。

『続日本後紀』嘉祥3年2月甲寅(5日)条 (851)
御病殊劇。召皇太子及諸大臣於床下令受遺制。遣四衛府及内竪等。或齎御衣。或齎綿布。分散四方。誦経諸寺。左右馬寮御馬六疋奉鴨上下松尾等名神。放諸鷹犬及籠鳥。唯留鸚鵡。又下知近江国。禁諸殺生。縁梵釈寺修延命法故也。請僧綱十禅師及有験者於御簾外。令奉加持。以絹十二疋為続命幡。懸十二大寺刹。左右馬寮各調走馬十疋。候於八省東廊下。

『文徳天皇実録』仁寿元年4月辛酉(19日)条 (851)
遣使者向賀茂大神社奉祭。但斎内親王未盈斎限。故不得侍祭。

『文徳天皇実録』仁寿元年6月甲辰(3日)条 (851)
遣使者向伊勢。賀茂。松尾。乙訓等神社。以祈霽。策文曰。 天皇〈我〉詔旨〈止〉。掛畏〈支〉大神〈乃〉広前〈尓〉申〈久〉。近来雨降〈己止〉渉旬〈天〉。百姓〈乃〉農業流損〈奴倍之〉。掛畏〈支〉大神〈乃〉厚助〈尓〉依〈天〉。此災〈波〉可止〈之止〉所念行〈天奈毛〉。去五月廿七日〈尓〉御馬進〈牟〉。雨止〈女〉賜〈止〉祷申賜〈比之〉。而卜定〈多留〉日促〈尓之天〉。御馬取〈尓〉遣〈己止〉不堪。後日〈尓〉必進〈牟〉。故是以差使〈天〉。太幣〈乎〉令捧持奉出〈須〉。此状〈乎〉聞食〈天〉。降雨忽晴〈天〉五穀不損。秋稼豊登〈之女〉。天皇朝庭〈乎〉。常磐〈尓〉堅磐〈尓〉。天下平安〈尓〉。護幸〈倍〉助賜〈比〉矜賜〈倍止〉。恐〈美〉恐〈美毛〉申賜〈久止〉申。又別辞申。此雨〈乃〉不止〈左留〉由縁〈乎〉卜求〈礼波〉。春祭〈尓〉供奉〈世留〉使等中〈尓〉有穢事〈介利〉。因茲。大神不志己理賜〈倍利止〉卜申〈世利〉。而祭使〈波〉御卜合〈倍留〉人〈乎〉令供奉〈止奈毛〉。所念行〈世留〉。此事〈乎〉聞食〈天奈毛〉懼畏〈利〉御坐〈須〉。大神神那我良聞食〈天〉。今〈毛〉弥益〈尓〉安〈尓〉護助賜〈倍止〉。恐〈美〉恐〈美毛〉申賜〈久止〉申。

『文徳天皇実録』仁寿2年4月乙卯(19日)条 (852)
賀茂斎内親王禊於河浜。是日始入紫野斎院。

『文徳天皇実録』仁寿2年4月辛酉(25日)条 (852)
修賀茂祭如常儀。

『文徳天皇実録』仁寿2年7月乙亥(10日)条 (852)
遣使者。向賀茂。松尾。稲荷。貴布祢等名神。奉幣祈雨。即日得甘澍。

『文徳天皇実録』仁寿2年閏8月壬辰(29日)条 (852)
遣左近衛少将従五位上藤原朝臣仲統。右近衛少将従五位上在原朝臣行平等。向賀茂松尾大神等社奉幣。請以止雨。

『文徳天皇実録』仁寿3年2月甲戌(14日)条 (853)
治部少輔兼斎院長官従五位下藤原朝臣関雄卒。関雄者。刑部卿従三位真夏第五子也。天長二年春奉文章生試及第。関雄少習属文。性好閑退。常在東山旧居。耽愛林泉。時人呼為東山進士。承和元年秋。 淳和太上天皇嘉其為人。特詔徴之。関雄辞而不獲。遂応詔命。 天皇賜以優礼。従事左右。明年拝勘解由判官。劇務繁併。既非其好。数月遷少判事。関雄尤好皷琴。 天皇賜其秘譜。由是雅調稍妙。関雄亦能草書。南池雲林両院壁。皆令関雄書之也。六年授従五位下。累遷嘉祥四年為治部少輔。仁寿二年兼斎院長官。以病辞退。遂不被免。卒時年卌九。

『文徳天皇実録』仁寿3年4月丁卯(7日)条 (853)
従五位下藤原朝臣岑主為斎院長官。

『文徳天皇実録』仁寿3年4月乙酉(25日)条 (853)
以頗皰瘡染行。人民疫死故。停賀茂祭。遣侍従従五位上島江王。神祇大祐従七位上忌部宿祢高善等向社下。申謝事由。但山城国司斎供如常。

『文徳天皇実録』仁寿3年5月己亥(10日)条 (853)
従五位下藤原朝臣野主為斎院長官。

『文徳天皇実録』仁寿3年7月庚寅朔条 (853)
参議従四位上藤原朝臣氏宗為近江守。左大弁右近衛中将如故。従五位下藤原朝臣良縄為侍従。内蔵助如故。大枝朝臣音人為大内記。民部少輔如故。平朝臣実雄為治部少輔。藤原朝臣岑主為大蔵少輔。斎院長官如故。坂上大宿祢当宗為掃部頭。従五位下春日臣雄継為越中権守。大学博士如故。吉備朝臣全継為美作介。従四位上源朝臣多為備中守。宮内卿如故。従四位上源朝臣冷為讃岐守。

『文徳天皇実録』斉衡元年2月辛未(16日)条 (854)
従五位下百済王教凝為侍従。安倍朝臣有道為大主鈴。従五位上橘朝臣枝主為図書頭。従五位下和気朝臣斉之為治部少輔。従五位上島江王為諸陵頭。従五位下橘朝臣常蔭為大判事。伴宿祢春世為大蔵少輔。従五位上良岑朝臣長松為宮内大輔。従五位下安倍朝臣安正為弾正少弼。外従五位下津宿祢良友為「左京」左京亮。従五位下橘朝臣高成為右京亮。斎部宿祢木上為勘解由次官。橘朝臣春成為斎院長官。伴宿祢河男為鋳銭長官。周防守如故。藤原朝臣長基為石見守。伴宿祢宗為備後介。大判事如故。

『文徳天皇実録』斉衡元年4月癸酉(19日)条 (854)
以有穢事。停賀茂祭。但山城国司斎供如常。

『文徳天皇実録』斉衡3年5月庚戌(9日)条 (856)
請僧二百五十人於大極殿。及冷然院。賀茂。松尾神社。分読大般若経。限三日訖。攘災疫也。

『文徳天皇実録』斉衡3年9月壬戌(22日)条 (856)
請僧於賀茂。松尾大神社。読金剛般若経。限三日訖。

『文徳天皇実録』天安元年2月丙申(28日)条 (857)
廃鴨斎内親王恵子。更立無品述子内親王為斎内親王。遣右大臣正三位藤原朝臣良相於神社告事由。其事秘者。世無知之也。

『文徳天皇実録』天安元年3月己亥(2日)条 (857)
従五位下紀朝臣冬雄為斎院長官。備前権掾如故。安倍朝臣氏主為参河守。斎部宿祢木上為越中介。

『文徳天皇実録』天安元年4月乙酉(18日)条 (857)
鴨祭如常「也」。

『文徳天皇実録』天安元年5月己亥(3日)条 (857)
請僧百五十人於賀茂上下松尾大神社。令転読金剛般若経。限以三ケ日。

『日本三代実録』貞観元年4月23日戊申条 (859)
六府警固。縁賀茂祭也。

『日本三代実録』貞観元年4月23日戊申条 (859)
六府警固。縁賀茂祭也。

『日本三代実録』貞観元年7月14日丁卯条 (859)
遣使諸社。奉神宝幣帛。参議正四位下行左大弁兼左衛門督美作守藤原朝臣氏宗為賀茂御祖別雷両社使。散位従五位下正峯王為松尾社使。正五位下守右中弁兼行式部少輔大枝朝臣音人為平野社使。従五位下行主殿権助藤原朝臣水谷為大原野社使。右兵衛佐従五位下源朝臣至為乙訓社使。従五位下守右兵庫頭藤原朝臣四時為大神社使。掃部頭従五位上藤原朝臣貞敏為石上社使。従四位下行兵部大輔藤原朝臣仲統為春日社使。従五位下守図書頭当麻真人清雄為当麻社使。中務少輔従五位下源朝臣包為住吉社使。散位従五位下丹墀真人縄主為丹墀社使。少納言兼侍従従五位下良峯朝臣経世為杜本社使。神祇大祐正六位上大中臣朝臣豊雄為気比気多両社使。散位従五位下紀朝臣宗守為日前国懸両社使。

『類聚三代格』2(年分度者事)・貞観元年8月28日符 (859)
太政官符
 応試度延暦寺年分度者二人事
  一人奉為賀茂名神可令読大安楽経一部卅八巻
  一人奉為春日名神可令読維摩詰所説経一部三巻
   並可加試法花金光明経二部。
右十禅師伝燈大法師位恵亮表偁。恵亮以去嘉祥三年八月五日 陛下御東宮之日。上啓所願已畢。頃年殊垂恩感。毎降誕日。臨時得度于今八箇年。伏冀。 天慈幸降恩勅不改素願。毎年三月下旬於比叡山西塔宝幢院将試度之。然後准太政官弘仁十四年符令受大戒之後。依先師式十二箇年不出山門。一日不闕長講件経。利益名神。奉護 聖朝。恵亮等師資相承修此仏業。但件人等得業以後僧中諸事。准天台真言等宗一同用之者。右大臣宣。奉 勅。宜依来表。
  貞観元年八月廿八日

『日本三代実録』貞観元年9月4日丙辰条 (859)
分頭遣使。奉幣賀茂御祖。別雷。松尾。貴布祢。乙訓。稲荷等神社。祈止霖雨也。

『日本三代実録』貞観元年10月5日丁亥条 (859)
卜定恬子内親王為伊勢斎。儀子内親王為賀茂斎。

『日本三代実録』貞観元年10月12日甲午条 (859)
大祓於朱雀門前。以定伊勢賀茂斎内親王也。

『日本三代実録』貞観元年12月25日丙午条 (859)
伊勢斎恬子内親王。於鴨水辺六条坊門末修禊。賀茂斎儀子内親王。於同水辺待賢門末修禊。並入初斎院。

『日本三代実録』貞観2年4月15日乙未条 (860)
六府警固。縁賀茂祭也。

『日本三代実録』貞観2年4月17日丁酉条 (860)
賀茂祭如常。斎内親王未入野宮。故不向社。

『日本三代実録』貞観2年4月18日戊戌条 (860)
諸衛解厳。

『日本三代実録』貞観3年2月16日庚申条 (861)
従五位下行主殿権助藤原朝臣水谷為斎院長官。権助如故。

『日本三代実録』貞観3年2月25日己巳条 (861)
斎院長官従五位下兼行主殿権助藤原朝臣水谷為侍従。余官如故。

『日本三代実録』貞観3年4月12日丙辰条 (861)
賀茂斎内親王臨鴨水修禊。是日。便入紫野斎院。 勅大納言正三位兼行右近衛大将源朝臣定監禊事。

『日本三代実録』貞観3年4月16日庚申条 (861)
諸衛警固。縁賀茂祭也。

『日本三代実録』貞観3年4月17日辛酉条 (861)
修賀茂祭。先是。内蔵寮有人死穢。仍勅使自縫殿寮進発。

『日本三代実録』貞観3年4月18日壬戌条 (861)
諸衛解厳。

『日本三代実録』貞観4年4月22日庚申条 (862)
諸衛警固。縁賀茂祭也。

『日本三代実録』貞観4年4月23日辛酉条 (862)
賀茂祭如常。

『日本三代実録』貞観4年4月24日壬戌条 (862)
諸衛解厳。

『日本三代実録』貞観5年4月13日乙巳条 (863)
賀茂斎内親王依例修禊事。弁史皆染弁官犬死穢。 勅遣従五位上行大外記滋野朝臣安成。奉従行事。

『日本三代実録』貞観5年4月15日丁未条 (863)
賀茂上社祢宜正六位上賀茂県主真当。下社祢宜従六位上鴨県主時主等並授外従五位下。

『日本三代実録』貞観5年4月16日戊申条 (863)
諸衛警固。縁賀茂祭也。

『日本三代実録』貞観5年4月17日己酉条 (863)
賀茂祭如常。

『日本三代実録』貞観5年4月18日庚戌条 (863)
諸衛解厳。

『日本三代実録』貞観5年8月22日壬午条 (863)
讃岐国多度郡人斎院権判官正六位上刑部造真鯨改本居貫左京職。

『日本三代実録』貞観5年11月20日己酉条 (863)
左京人斎院判官正八位上上毛野公藤野。内教坊頭従七位下上毛野公赤子等同族男女七人。賜姓朝臣。豊城入彦命之苗裔也。

『日本三代実録』貞観6年正月7日甲午条 (864)
侍従兼斎院長官藤原朝臣水谷。右近衛少将兼伊予介藤原朝臣山蔭。散位源朝臣好等並従五位上。

『日本三代実録』貞観6年4月16日壬申条 (864)
諸衛警固。縁明日賀茂祭也。

『日本三代実録』貞観6年4月17日癸酉条 (864)
賀茂祭如常。

『日本三代実録』貞観6年4月18日甲戌条 (864)
諸衛解厳。

『日本三代実録』貞観7年4月17日丁卯条 (865)
 勅奉充諸明神神田。松尾神五段。賀茂御祖神五段。別雷神五段。稲荷神三段。平野神五段。大原野神五段。並以山城国愛宕。紀伊。乙訓。葛野等郡得度除帳田充之。

『日本三代実録』貞観7年4月22日壬申条 (865)
諸衛警固。縁賀茂祭也。

『日本三代実録』貞観7年4月23日癸酉条 (865)
賀茂祭如常儀。

『日本三代実録』貞観7年4月24日甲戌条 (865)
諸衛解厳。

『日本三代実録』貞観8年正月23日庚子条 (866)
従五位下行太皇太后宮少進兼斎院次官藤原朝臣忠主為斎院長官。従五位上行侍従兼斎院長官藤原朝臣水谷為安芸権守。侍従如故。

『類聚三代格』2(年分度者事)・貞観8年閏3月16日符 (866)
太政官符
 応令受戒年分度者事
右得延暦寺去年四月十一日牒偁。左弁官今月九日宣旨偁。太政官去三月十五日下治部省符偁。検旧例年分度者経二箇年。臨時度者経三箇年。令練沙弥之行。兼試法花最勝威儀三部経。然後令受戒者。寺宜依件行之者。今案彼格最有理致。弘道之輩誰不遵行。但此寺年分者惣八人也。就中六人。是 先皇御願。国忌之日同令得度。二人即 今帝御願。臨降誕之日奉為賀茂春日両処名神亦令得度。非唯未度以前練沙弥行。亦乃受戒以後不出山門十二箇年。慎守公制勤修三昧誓護国家。皆是随先師遺誡也。先師之戒既異諸宗。所有行業不同他類。得業以後何更経年。若両箇年不聴受戒。恐於御願致闕断歟。凡年々試度年々受戒。謂之年分。若不尓者亦恐有所闕歟。伏冀。不違先師之戒。当年受戒。則閉山門。誓護国家。其沙弥威儀経。一准官符。試業之日同加試練。又雖臨時度者不必経三箇年。何者人有利鈍学有優劣。況有入道之前後練業之浅深乎。或幼年従師修学年深。或長後出俗未染法流。或入道如昨才学優長。或出家経年身才猶疎。得失如斯。何得一准。望請。才与年長。行将齢積之輩。准官符旨先勘度縁。三月之内試三部経。若無擁滞者聴其受戒。縦雖少年而廿歳以上才行兼備堪為僧者。方加試練同聴登壇。然則玉石同分。修学無怠。謹請処分者。右大臣宣。奉 勅。年分度者依請。自余一同去年三月十五日格。
  貞観八年閏三月十六日

『日本三代実録』貞観8年4月22日丙申条 (866)
諸衛警固。縁賀茂祭也。

『日本三代実録』貞観8年4月23日丁酉条 (866)
賀茂祭朝使并斎内親王不向於社。山城国随例奉祭。

『日本三代実録』貞観8年4月24日戊戌条 (866)
諸衛解厳。

『日本三代実録』貞観8年6月16日己丑条 (866)
無品高子内親王薨。喪家固辞。故不任縁葬之司。輟朝三日。内親王者。仁明天皇之皇女。母百済王氏。従五位上教俊之女也。承和初。卜為賀茂斎。仁明天皇崩後停斎帰第焉。

『日本三代実録』貞観8年7月14日丙辰条 (866)
班幣賀茂御祖別雷。松尾。丹生川上。稲荷。水主。貴布祢神。賽前日祷。兼祈嘉澍也。告文云。 天皇〈我〉詔旨〈止〉。掛畏〈岐〉松尾大神〈乃〉広前〈尓〉恐〈美〉恐〈美毛〉申給〈久止〉申〈久〉。不慮之外〈尓〉天下〈尓〉有旱〈天〉。農稼枯損〈奴〉。因。掛畏〈岐〉大神〈乎〉奉憑〈天〉。大幣帛奉出給〈牟止〉祈申〈岐〉。而〈尓〉祈申〈志毛〉験〈久〉。甘雨令零〈米〉賜〈へ利〉。因歓〈奈我良〉。散位従五位下大中臣朝臣国雄〈乎〉差使〈天〉。大幣帛〈乎〉令捧持〈天〉奉出賜〈布〉。此状〈遠〉平〈久〉聞食〈天〉。今〈毛〉今〈毛〉風雨調和〈米〉給〈比〉。五豊登〈米〉賜〈比〉。天下饒足〈米〉賜〈比〉。天皇朝廷〈乎〉宝祚無動〈久〉。常磐堅磐〈尓〉夜守日守〈仁〉護幸奉賜〈へと〉申給〈波久止〉申。自余社告文並同焉。

『日本三代実録』貞観8年9月22日甲子条 (866)
 勅。禁葬歛山国愛宕郡神楽岡辺側之地。以与賀茂御祖神社隣近也。

『日本三代実録』貞観9年4月15日甲申条 (867)
是日。諸衛警固。縁賀茂祭也。

『日本三代実録』貞観9年4月16日乙酉条 (867)
賀茂祭如常。

『日本三代実録』貞観9年4月17日丙戌条 (867)
諸衛解厳。

『日本三代実録』貞観9年8月21日丁亥条 (867)
太皇太后宮宮主外従五位下直千世麻呂。斎院宮主大初位下直伊勢雄等五人賜姓直宿祢。

『日本三代実録』貞観9年9月11日丁未条 (867)
遣使於賀茂御祖。別雷。松尾。稲荷。貴布祢。丹生川上。住吉。水主大神。長田。乙訓等神社奉幣。先月祈五穀。今以賽焉。

『日本紀略』貞観10年4月6日庚午条 (868)
遣使於賀茂社奉幣。謝申伐木并穢損事。

『類聚国史』5(賀茂大神)・貞観10年4月20日甲申条 (868)
諸衛警固。縁賀茂祭也。

『類聚国史』5(賀茂大神)・貞観10年4月21日乙酉条 (868)
賀茂祭。斎内親王依穢不向於社。

『類聚国史』5(賀茂大神)・貞観10年4月22日丙戌条 (868)
諸衛解厳。

『日本紀略』貞観10年6月23日乙酉条 (868)
奉幣賀茂以下諸社十所。祈嘉澍也。

『日本紀略』貞観10年10月27日丁亥条 (868)
賀茂斎儀子内親王。献物皇太后於常寧殿。奉賀皇太后満卌之算也。賜親王以下禄。

『日本三代実録』貞観10年12月9日戊辰条 (868)
斎院長官従五位下兼行皇太后宮大進藤原朝臣忠主従五位上。

『日本三代実録』貞観11年2月9日丁酉条 (869)
是日。賀茂斎儀子内親王始笄。

『日本三代実録』貞観12年4月14日丙申条 (870)
諸衛警固。縁賀茂祭也。

『日本三代実録』貞観12年4月15日丁酉条 (870)
賀茂祭如常。

『日本三代実録』貞観12年4月16日戊戌条 (870)
諸衛解厳。

『日本三代実録』貞観12年6月10日辛卯条 (870)
自五月霖雨。至此未止。奉幣賀茂。貴布祢神祈止雨。告文曰。 天皇〈我〉詔旨〈止〉。掛畏〈岐〉賀茂大神〈乃〉広前〈尓〉申賜〈倍止〉申〈久〉。近来雨降渉旬〈天〉。百姓〈乃〉農業流損〈倍志〉。掛畏〈岐〉大神〈乃〉厚助〈尓〉依〈天志〉。此災〈波〉可止〈志止〉所念行〈天奈毛〉。神祇権大祐正六位上斎部宿祢高善〈乎〉差使〈天〉。大幣〈乎〉令捧持奉出〈須〉。此状〈乎〉聞食〈天〉。降雨忽晴〈天〉。五穀不損〈天〉。天皇朝廷〈乎〉常磐堅磐〈尓〉護幸〈倍〉賜〈比〉。天下平安〈尓〉助賜〈比〉矜賜〈倍止〉。恐〈美〉恐〈美毛〉申賜〈波久止〉申。貴布祢神告文同焉。

『日本三代実録』貞観12年6月22日癸卯条 (870)
奉幣賀茂御祖。別雷両社。祈止霖雨。告文曰。 天皇〈我〉詔旨〈止〉。掛畏〈岐〉賀茂大神〈乃〉広前〈尓〉申賜〈倍止〉申〈久〉。近来霖雨難晴〈天〉百姓〈乃〉農業頗流損〈世利〉。因〈天〉皇大神御社〈尓〉犯穢事〈止毛〉在〈止〉令巡〈尓〉。上宮四至之内〈尓〉伐木。并穢損事在〈止〉勘申〈世利〉。仍乍驚懼。其畏〈利〉為令申〈尓〉。神祇伯従四位下藤原朝臣広基〈乎〉差使。礼代大幣〈乎〉令捧持〈天〉奉出賜〈布〉。掛畏〈岐〉皇大神。此状〈乎〉聞食〈天〉。相共〈尓〉助矜賜〈天〉。百姓〈乃〉農業豊登〈良志米〉。天皇朝廷〈乎〉宝位無動〈久〉。常磐堅磐〈尓〉夜守日守〈尓〉護幸賜〈倍止〉。恐〈美〉恐〈美毛〉申賜〈波久止〉申。御祖社告文同焉。

『日本三代実録』貞観12年11月17日乙丑条 (870)
是日。分遣使者諸社。奉鋳銭司及葛野鋳銭所新鋳銭。賀茂御祖別雷両社使前安芸介従五位下大中臣朝臣是直。松尾社使神祇権大祐正六位上斎部宿祢高善。稲荷社使神祇大祐正六位上大中臣朝臣常道。石清水社使主水佑正六位上大中臣朝臣坂田麿。平野社使神祇少副正六位上大中臣朝臣有本。梅宮社使大物従五位下橘朝臣茂生。春日社使雅楽少允従七位上大中臣朝臣冬名。大原野社使主水正正六位上大中臣朝臣鹿主。

『類聚国史』5(賀茂大神)・貞観13年4月20日丙申条 (871)
諸衛警固。縁賀茂祭也。

『類聚国史』5(賀茂大神)・貞観13年4月21日丁酉条 (871)
停賀茂祭。依有死穢也。

『類聚国史』5(賀茂大神)・貞観13年4月22日戊戌条 (871)
諸衛解厳。

『日本三代実録』貞観14年3月23日癸巳条 (872)
今春以後。内外頻見恠異。由是。分遣使者諸神社奉幣。便於近社道場。毎社転読金剛般若経。以参議民部卿正四位下兼行春宮大夫南淵朝臣年名。為賀茂両社使。参議正四位下行右兵衛督兼近江守源朝臣勤為松尾梅宮両社使。参議正四位下行左大弁兼勘解由長官近江権守大江朝臣音人為平野社使。参議右大弁従四位上兼行讃岐権守藤原朝臣家宗為大原野社使。従五位上行少納言兼侍従和気朝臣彜範為石清水社使。神祇伯従四位下藤原朝臣広基為稲荷社使。石清水社告文曰〈云々〉。又辞別〈天〉申。去年陰陽寮占申〈久〉。就蕃客来〈天〉不祥之事可在〈止〉占申〈世利〉。今渤海客随盈紀例〈天〉来朝〈世利〉。事不獲已。国憲〈止之天〉可召。大菩薩此状〈乎毛〉聞食〈天〉遠客参近〈止毛〉。神護之故〈尓〉。無事〈久〉矜賜〈倍止〉恐〈美〉恐〈美毛〉申賜〈波久止〉申。自余社文一准此例。

『日本三代実録』貞観15年4月17日辛亥条 (873)
公卿就太政官曹司庁。授文武百官成選位記。去十五日可行此事。自有常式。而彼日当賀茂祭。故避之。非緩也。

『日本三代実録』貞観15年5月5日戊辰条 (873)
神祇官陰陽寮言。雨雹之恠。賀茂松尾等神成祟。於是遣使社頭奉幣并走馬。以謝神怒。其走馬。賀茂御祖別雷両社各十疋。松尾五疋。並装飾人馬。足悦神明。告文曰〈云々〉。従五位下行伊勢介良岑朝臣晨茂〈乎〉差使〈天〉奉出〈須〉。

『日本三代実録』貞観15年5月9日壬申条 (873)
遣参議大江朝臣音人於賀茂神社奉幣。申謝雨雹之咎徴。告文曰〈云々〉。高岑寺〈乃〉仏奉移〈礼留〉事〈尓〉依〈天〉。皇大神成祟〈之〉賜〈倍利止〉卜申〈世利〉。但此仏〈波〉。大神〈乃〉成祟〈之〉賜〈倍留仁〉依〈天〉。他処〈尓〉奉移〈倍攴〉状。去年祈申〈之〉賜〈倍利〉。須奉移〈留〉日〈尓〉。先此状〈乎〉申賜〈倍之〉。而不申賜〈天〉大神〈乃〉御社近〈之天〉。騒動〈世留〉事在〈介利〉。此怠〈乎〉畏恐〈天〉。平〈久〉為謝〈無〉為。始自今月廿日〈天〉。一万巻〈乃〉金剛般若経令奉読〈無止須〉。仍参議正四位下行左大弁兼勘解由長官近江権守大江朝臣音人〈乎〉差使〈天云々〉。

『日本三代実録』貞観15年5月20日癸未条 (873)
転読経巻。更延二日。奉幣於賀茂。松尾。乙訓。稲荷。貴布祢。丹生川上雨師神並祈嘉澍也。

『日本三代実録』貞観15年7月9日辛未条 (873)
遣使於賀茂。松尾。稲荷。乙訓。貴布祢神社奉幣。祈雨也。

『日本三代実録』貞観15年10月6日丁酉条 (873)
遣使於賀茂。松尾。平野。大原野奉幣。告文曰。天皇〈我〉詔旨〈止〉掛畏〈岐〉賀茂大神〈乃〉広前〈尓〉申賜〈倍止〉申〈久〉。頃月之間。物怪頻見〈己止〉在〈利〉。仍令占求〈尓〉。御病事可在〈止〉占申〈世利〉。此〈乎〉聞食〈天〉驚恐御坐〈須〉。今所念行〈久〉。先々〈尓毛〉如此〈岐〉不祥〈乎波〉。皇大神〈乃〉矜賜〈尓〉依〈天〉。災咎消除〈太利〉。因茲。参議従四位上行左兵衛督兼美濃権守源朝臣能有〈乎〉差使〈天〉。礼代〈乃〉大幣〈乎〉令捧持〈天〉奉出〈須〉。皇大神此状〈乎〉聞食〈天〉。未然之前〈尓〉災咎〈乎〉消滅賜〈天〉。御体無驚〈久〉。常磐堅磐矜守〈利〉幸賜〈天〉。天下平〈久〉護賜〈此〉助賜〈倍止〉恐〈美〉恐〈美毛〉申賜〈久止〉申。参議正四位下行左衛門督在原朝臣行平為松尾社使。参議従四位上守治部卿兼行備前守藤原朝臣仲統為平野社使。従四位上行兵部大輔兼備中守藤原朝臣諸葛為大原野社使。其告文詞並准此焉。

『日本三代実録』貞観16年4月20日戊申条 (874)
諸衛警固。縁賀茂祭也。

『日本三代実録』貞観16年4月21日己酉条 (874)
賀茂祭。染淳和院火穢之人入於斎院。仍停祭事。

『日本三代実録』貞観16年8月20日丙子条 ()
天皇聖体乖予。遣使於賀茂御祖別雷両社。奉幣祈祷。告文曰。天皇〈我〉詔旨〈止〉。掛畏〈岐〉賀茂〈乃〉大神〈乃〉広前〈尓〉申賜〈部止〉申〈久〉。近来皇帝御体〈尓〉労苦給処有〈尓〉依〈天〉。令卜求賜〈尓〉。陰陽寮占申云。皇大神〈尓〉祈申賜〈波〉。即愈息〈万利〉給〈比奈无止〉勘申〈世利〉。依此〈天〉乍歓。参議治部卿正四位下藤原朝臣仲統〈乎〉差使〈天〉。礼代〈乃〉大幣帛〈乎〉令捧持〈天〉奉出〈須〉。然〈毛〉今年〈乃〉四月祭使〈乎〉。依例〈天〉奉出給〈无止世之尓〉。淳和院〈乃〉失火之穢〈尓〉相交〈流〉人々。大宮之内〈尓〉参雑〈礼利止〉聞食〈天〉。御卜〈尓〉令問求賜〈之尓〉。穢気見〈太利〉。今年〈波〉祓謝申賜〈天〉。祭使〈波〉停止〈天〉可吉〈止〉卜申〈世利岐〉。仍御卜〈乃〉随〈尓〉行仕奉〈之女太利〉。故怠〈尓波〉不在。然而祟咎〈毛也〉成給〈无可止奈无〉謹畏御坐〈須〉。此状〈乎〉聞食〈天〉。無咎祟〈久〉守恵〈比〉助幸〈部〉奉賜〈倍〉。又皇大神〈乎〉異〈尓〉栄飾奉〈止之天奈毛〉。祢宜千継。門麻呂等〈尓〉外従五位下〈乃〉冠授賜〈布〉。神〈那可良毛〉毎事平〈久〉聞食〈天〉。天皇〈我〉御体〈乎〉自常異〈尓〉。夜守日守〈尓〉。常磐堅磐〈尓〉。護幸〈倍〉奉賜〈比〉。国家無事〈久〉天下平安〈尓〉。風水無災〈之天〉。五穀豊登〈左之女〉給〈倍止〉。恐〈美〉恐〈美毛〉申賜〈久止〉申。授御祖社祢宜正六位上賀茂県主千継。別雷社祢宜賀茂県主門麻呂並外従五位下。

『日本三代実録』貞観17年4月20日壬申条 (875)
諸衛警陣。縁明日賀茂祭也。

『日本三代実録』貞観17年4月21日癸酉条 (875)
賀茂祭如常。

『日本三代実録』貞観17年6月3日甲寅条 (875)
是日。分遣使者於山城国賀茂御祖別雷。松尾。稲荷。乙訓。貴布祢。大和国丹生川上七社奉幣。丹生川上奉黒馬。以祈嘉澍也。

『日本三代実録』貞観17年7月2日壬午条 (875)
遣使班幣賀茂御祖別雷。松尾。稲荷。乙訓。木島。貴布祢。丹生川上八神社。祈雨也。

『日本紀略』貞観17年8月25日乙亥条 (875)
奉幣伊勢及賀茂御祖別雷社。松尾。稲荷。木島。乙訓。丹生社。祈秋稔也。

『日本三代実録』貞観18年2月9日丁巳条 (876)
賀茂斎儀子内親王始笄。

『日本三代実録』貞観18年4月14日辛酉条 (876)
停賀茂祭。以大極殿火災也。

『日本三代実録』貞観18年5月4日庚辰条 (876)
勅遣参議従三位民部卿藤原朝臣冬緒向松尾社。参議正四位下行勘解由長官兼式部大輔近江守菅原朝臣是善向賀茂御祖別雷両社。同告大極殿災。

『日本三代実録』貞観18年5月23日己亥条 (876)
賀茂斎儀子内親王依病出紫野斎院。移居皇太后宮染殿宮。

『日本三代実録』貞観18年10月5日戊申条 (876)
賀茂斎儀子内親王称病加劇。修状請停斎。詞旨懇切。詔許之。遣参議正四位下行勘解由長官兼式部大甫近江守菅原朝臣是善向社頭申謝事由。斎院司休官各帰家。

『日本三代実録』元慶元年2月17日己未条 (877)
卜定伊勢賀茂斎内親王。伊勢斎識子内親王。賀茂斎敦子内親王並卜食。

『日本三代実録』元慶元年2月24日丙寅条 (877)
遣使於賀茂神社奉幣。告以定斎内親王。告文曰。天皇〈我〉詔旨〈止〉掛畏〈岐〉賀茂大神〈乃〉広前〈尓〉申賜〈倍止〉申。忝以拙劣〈天〉天日嗣〈乎〉受賜〈利〉。恐〈美〉懼〈利〉大坐〈須〉。皇大神〈乃〉厚護〈尓〉依〈天〉。天皇朝廷〈波〉平〈久〉無事〈久〉有〈倍之〉。自今以後〈毛〉助賜〈比〉明護賜〈牟尓〉依〈天之〉。食国〈乃〉天下〈波〉愈益〈尓〉平〈久〉可有〈岐〉。又前〈尓〉侍〈之〉儀子内親王〈波〉身〈乃〉安〈美〉重〈岐尓〉依〈天〉。太上天皇〈乃〉御時〈尓〉令退出〈天岐〉。今新〈尓〉嗣位〈天波〉相替〈天〉可令奉仕〈岐〉物〈奈利止〉為〈天奈毛〉。敦子内親王〈乎〉卜定〈天〉阿礼乎度女〈尓〉進状〈乎〉。参議刑部卿正四位下兼行勘解由長官近江守菅原朝臣是善〈乎〉差使〈天〉。宇豆〈乃〉大幣〈乎〉令捧持〈天〉進〈良久乎〉。恐〈美〉恐〈美毛〉申賜〈波久止〉申。

『日本三代実録』元慶元年4月9日庚辰条 (877)
巳四剋始搆造大極殿。以正五位下行内蔵頭和気朝臣彝範。従五位上守権左中弁藤原朝臣春景。従五位下守木工権頭藤原朝臣維邦。左京亮従五位下坂上宿祢斯文。右大史正七位上時統宿祢当世行事。先是。奉幣於伊勢大神宮及石清水八幡大菩薩宮。賀茂御祖別雷。松尾。平野。稲荷等神社。告文曰〈云々〉。

『日本三代実録』元慶元年4月13日甲申条 (877)
諸衛警固如常。縁賀茂祭也。

『日本三代実録』元慶元年4月14日乙酉条 (877)
賀茂祭如常。

『日本三代実録』元慶元年6月14日癸未条 (877)
奉幣石清水八幡大菩薩宮并賀茂御祖。別雷。松尾。稲荷。木島。乙訓。大依羅。垂水。広田。生田。長田神社。祈甘雨也。

『日本三代実録』元慶元年7月19日戊午条 (877)
遣従五位上守刑部大輔弘道王於伊勢大神宮。并分使賀茂御祖別雷。松尾。平野。大原野神社奉幣。告以改年号。告文曰。天皇〈我〉詔旨〈止〉。掛畏松尾大神〈乃〉広前〈尓〉申賜〈倍止〉申〈久〉。食国之法〈止之天〉。即位之後〈尓波〉必改年号。而〈尓〉備後国貢白鹿。但馬国献白雉。尾張国言木連理〈利〉。如是嘉瑞〈波〉。是薄徳〈乃〉令感致〈倍岐〉物〈尓毛〉非〈須〉。掛畏〈岐〉皇大神〈乃〉慈賜〈比〉示賜〈倍留〉物〈奈利止〉為〈天奈毛〉。貴喜〈比〉受賜〈利天〉。御世〈乃〉名〈乎〉改〈天〉為元慶元年〈留〉事〈乎〉。左京大夫従四位上忠範王〈乎〉差使〈天〉奉出〈須〉。須早申奉出〈之〉。而〈乎〉有事妨〈天〉暫間延怠〈利〉。掛畏皇大神。此状〈乎〉平聞食〈天〉。天皇朝廷宝位無動〈久〉常磐堅磐〈尓〉守幸〈倍〉賜〈倍止〉申賜〈止〉申。辞別申〈久〉。頃月不雨〈之天〉。百姓農業皆焼損〈太留〉由。先申奉出已了〈太利〉。而至今未雨。因茲重亦其由〈乎〉祷申奉出賜〈布〉。皇大太神助賜〈比天〉。風雨随時〈倍天〉矜賜〈比〉。所焼残〈乃〉五穀全登〈之女〉賜〈倍止〉申〈波久止〉申。

『日本三代実録』元慶2年3月9日乙巳条 (878)
是日。分遣使者。奉幣馬於賀茂御祖別雷。松尾。石清水。稲荷。住吉。平野。大原野。梅宮。及班幣五畿七道諸名神。賽旧祷也。告文曰。天皇〈我〉詔旨〈止〉。掛畏〈岐〉平野大神〈乃〉広前〈尓〉恐〈美〉恐〈美毛〉申賜〈倍止〉申〈久〉。去秋御体不予〈尓〉御座〈之〉時。去八月十九日〈尓〉祈申〈之久〉。御体平安〈尓〉護助奉賜〈比〉。宝位無動〈久〉御坐賜〈波〉。礼代大幣〈尓〉御馬牽副〈天〉奉出〈无止〉祈申〈之岐〉。祈申〈之毛〉験〈久〉。平安〈尓〉護助奉賜〈倍利〉。因茲今所祈申〈乃〉大幣帛〈尓〉。御馬令牽副〈天〉。参議正四位下行左大弁兼左近衛中将近江権守源朝臣舒〈乎〉差使〈弖〉奉出〈須〉。此状〈乎〉平〈久〉聞食〈天〉。天皇朝廷〈乎〉。今〈毛〉今〈毛〉常磐堅磐〈尓〉護幸〈倍〉奉賜〈比〉。天下平安〈尓〉五穀豊登〈之米〉賜〈倍止〉。恐〈美〉恐〈美毛〉申賜〈波久止〉申。自余社告文並准此。

『日本三代実録』元慶2年4月19日甲申条 (878)
諸衛警固。縁明日賀茂祭也。

『日本三代実録』元慶2年4月20日乙酉条 (878)
賀茂祭如常。先是。左近衛官人之染死穢者。入侍陣座。是故祭使不更辞見。便自内蔵寮赴社。

『日本三代実録』元慶2年6月3日丁卯条 (878)
自去月至此。亢陽不雨。名山大川能興雲致雨。並班幣祈雨。賀茂御祖別雷。松尾。稲荷。貴布祢。丹生川上。乙訓。水主八社是也。丹生川上加奉黒馬一疋。

『日本三代実録』元慶3年2月29日己丑条 (879)
以左近衛少将正五位下兼行近江権介藤原朝臣遠経為斎院長官。余官如故。

『日本三代実録』元慶3年4月13日壬申条 (879)
諸衛警固如常。以明日賀茂祭也。

『日本三代実録』元慶3年4月14日癸酉条 (879)
停賀茂祭。向上諸神祭祀。並従停止。縁太皇大后崩也。

『日本三代実録』元慶3年5月21日庚戌条 (879)
奉幣賀茂御祖。別雷。松尾。稲荷。貴布祢。乙訓等神社。祈膏雨也。

『日本三代実録』元慶4年2月5日己丑条 (880)
遣正四位下行右京大夫兼山城権守基棟王向於賀茂御祖別雷両社。従四位上行山城守棟貞王於松尾社。散位従四位下和王於平野社。従四位下行右馬頭藤原朝臣門宗於大原野社。正五位下行神祇大副大中臣朝臣有本於稲荷社。並奉幣。告以大極殿成。告文曰。天皇〈我〉詔旨〈止〉。掛畏〈支〉賀茂大神〈乃〉広前〈尓〉申賜〈倍止〉申〈久〉。去貞観十九年四月九日。大極殿並東西楼廊等作始之時〈仁〉令祈申〈之久〉。如是〈岐〉国家大事〈乎波〉。皇大神〈乃〉厚助〈仁〉依〈天奈毛〉可成立〈止〉。令祈申賜〈岐〉。祈申〈之母之留久〉無事〈久〉平〈久〉令作竟賜〈倍利〉。仍今吉日良辰〈乎〉択定〈天〉。正四位下行右京大夫兼山城権守基棟王〈乎〉差使〈天〉。祷〈乃〉大幣帛〈乎〉令捧持〈天〉奉出給〈不〉。此状〈乎〉平〈久〉聞食〈天〉。今〈毛〉往前〈毛〉無驚〈久〉無事〈久〉護矜賜〈比〉。天皇朝庭〈乎〉宝位無動〈久〉常磐堅盤〈尓〉護幸〈倍〉賜〈比〉。天下国家〈乎毛〉平〈久〉護矜賜〈倍止〉申。

『日本三代実録』元慶4年4月11日甲午条 (880)
賀茂内親王臨於鴨水解禊。即便入紫野院。公卿及所司供事如常式。三年斎之後。去年可入野宮。縁穢而停。非緩也。

『日本三代実録』元慶4年4月13日丙申条 (880)
諸衛警陣。以明日賀茂祭也。

『日本三代実録』元慶4年4月14日丁酉条 (880)
賀茂祭如常。

『日本三代実録』元慶4年5月16日己巳条 (880)
廼者膏雨難得。農民稍憂。是日。遣使者於賀茂御祖。別雷。松尾。稲荷。乙訓。貴布祢。丹生川上等社。奉幣祈雨。丹生川上加奉黒馬。告文曰〈云々。〉

『日本三代実録』元慶4年5月20日癸酉条 (880)
快雨。勅録公卿及近衛兵衛衛門六府官人已下見在陣頭者。以穀倉院調布賜之。公卿加賚内蔵寮御服絹各有差。外記内記侍仗下者亦預焉。賀甘澍也。先是。有勅議定。始自廿二日。三ヶ日間於賀茂松尾等社。将修潅頂経法。為祈雨也。崇朝遍雨。故暫停止。是時右大臣摂政。毎遇水旱災異。側身修職。欲消去之。密勿祗畏。恭事神明。

『日本三代実録』元慶4年6月22日甲辰条 (880)
渉旬不雨。旱気焦草。遣使賀茂等十一社。奉幣祈雨。告文〈云々。〉但丹生川上加奉黒馬。

『日本三代実録』元慶5年4月19日丙申条 (881)
諸衛警固。以明日賀茂祭也。

『日本三代実録』元慶5年4月20日丁酉条 (881)
賀茂祭。内蔵権頭従五位上兼行讃岐介良岑朝臣晨直奉承祝詞。向社宣旨。其祝詞尾曰。辞別申〈久〉。前年〈尓〉進〈礼留〉斎王〈波〉。重喪〈尓〉遭〈太留尓〉依〈天〉退出〈志女天支〉。今須〈波〉諒闇〈波天々乃〉後占定〈天〉進〈无〉。其間〈波〉皇〈我〉朝廷〈乎〉平〈介久〉安〈良介久〉幸賜〈比〉護賜〈倍止〉申賜〈波久止〉申。

『日本三代実録』元慶6年4月7日己卯条 (882)
是日。卜定伊勢斎内親王。無品掲子内親王卜食。其賀茂斎者。諸内親王不卜食。故今日無定。

『日本三代実録』元慶6年4月9日辛巳条 (882)
卜定賀茂斎王。二世穆子女王卜食。一品行式部卿諱〈光孝天皇〉親王之女也。

『日本三代実録』元慶6年4月22日甲午条 (882)
於朱雀門前修大祓。以去八日大膳職人死。十日大蔵省人死。平野。松尾。賀茂等祭停止故也。臨時大祓於建礼門前行之。因穢不可用大蔵省幄。仍用朱雀門也。

『日本三代実録』元慶6年4月24日丙申条 (882)
諸衛警固。以明日賀茂祭也。雖停祭事。猶有警陣。例也。

『日本三代実録』元慶6年5月15日丙辰条 (882)
遣使奉幣伊勢大神宮及賀茂神社。告以定斎内親王并斎王也。散位従五位下時景王。為伊勢大神宮使。参議正四位下行右衛門督藤原朝臣諸葛。為賀茂神社使。

『日本三代実録』元慶6年7月24日甲子条 (882)
賀茂斎女王修禊鴨水。入於初斎院。

『類聚国史』5(賀茂大神)・元慶7年4月24日庚申条 (883)
諸衛警固。縁明日賀茂祭也。

『類聚国史』5(賀茂大神)・元慶7年4月25日辛酉条 (883)
賀茂祭如常。

『類聚国史』5(賀茂大神)・元慶7年4月26日壬戌条 (883)
諸衛解厳。

『日本三代実録』元慶7年5月22日丁亥条 (883)
夜分遣使者於松尾。賀茂御祖。別雷。稲荷。貴布祢。水主。乙訓七社。奉幣而雩。以旱也。

『日本三代実録』元慶7年7月13日丁丑条 (883)
遣従四位上行神祇伯棟貞王。奉幣於伊勢大神宮。賀茂御祖別雷。松尾。稲荷。貴布祢。丹生河上。大和等神社。遣使班幣。丹生河上加奉白馬。先是。六月廿七日鷺集大極殿鵄尾。今月三日已往霖雨淹旬。河水溢漲。内外略愁。陰陽寮占奏言。主上可患疫病。且天下将憂風水。故予祈神明。至是賽焉。

『日本三代実録』元慶7年9月2日乙丑条 (883)
奉幣於賀茂御祖。別雷。松尾。貴布祢。稲荷。乙訓。丹生河上神社。祈止雨也。

『類聚国史』4(伊勢斎宮)・元慶7年11月5日戊辰条 (883)
是日。減定伊勢斎内親王野宮夫数。元工三千十五人。夫一万五百卌五人。今定工千四百六十五人半。夫二百七十二人。先是。木工権大充正六位上内蔵朝臣有永等解云。謹検先例。徴発五畿内并近江美濃丹波但馬播磨等国所役人別十日。而右弁官済事之道。公平為先。支度之程。何拘恒例。今美濃但馬播磨等国。往還稍遠。人民多煩。宜暫停件三箇国。随状増加者。今所作屋舎之数。頗倍於先。結構之功。合期而成。減定単功既過半。望請顕功当時。遺例後代者。勅。依請。立以恒例。

『日本三代実録』元慶8年3月22日癸未条 (884)
喚神祇官於左仗頭。卜定斎王。其伊勢斎者皇女繁子卜食。賀茂斎者皇女穆子。太上天皇在祚。卜定入初斎院。今依旧不変。

『日本三代実録』元慶8年4月9日己亥条 (884)
以皇女伊勢斎繁子。賀茂斎穆子並為内親王。

『日本三代実録』元慶8年4月11日辛丑条 (884)
遣参議刑部卿正四位下兼行近江守忠貞王。向賀茂神社。告以不改斎王并為内親王之状。

『類聚三代格』17(国諱追号并改姓名事)・元慶8年4月13日勅 (884)
勅。朕以庸菲之資。謬膺天横之繇。仰璇璣而如冠夏日。撫玉鏡而若履春氷。今所有男女。皆居藩時生也。既殊周邦之懿親。何比漢典之封建。加以。弘仁已降。茂躅長存。或材子八人。作元凱於朝端。或本枝百世。助蒸嘗於祖廟。彼聖明之深図遠算。猶尚如斯。況朕之褊慮短矜。豈曰克堪。漢明帝有言。我子不当与先帝子等。至哉言也。宜同賜朝臣之姓。勿煩景風之吹。是朕一身閨閫之事耳。不欲為後王之法。唯二女応供奉斎宮斎院者。上畏神明。下迫群議。不得遂朕之素懐。其余皆罷鴻臚之冊務。従燕翼之謀。普告遐迩。令知朕意。主者施行。
  元慶八年四月十三日

『日本三代実録』元慶8年4月13日癸卯条 (884)
勅曰。朕以庸菲之資。謬膺大横之繇。仰璇璣如冠夏日。撫玉鏡而若履春氷。今所有男女。皆居藩時生也。既殊周邦之懿親。何比漢典之封建。加之。弘仁已降。茂躅長存。或材子八人。作元凱於朝端。或本枝百世。助蒸嘗於祖廟。彼聖明之深図遠算。猶尚如斯。況朕之褊慮短矜。豈曰克堪。漢明帝有言。我子不当与先帝子等。聖哉言也。宜同賜朝臣之姓。勿煩景風之吹。是朕一身之閨閫之事耳。不欲為後王之法。唯二女応供奉斎宮斎院者。上畏神明。下迫群議。不得遂朕之素懐。其余皆罷鴻臚之冊務従燕翼之謀。普告遐迩。令知朕意。

『日本三代実録』元慶8年4月18日戊申条 (884)
諸衛警固如旧儀。以明日賀茂祭也。

『日本三代実録』元慶8年4月19日己酉条 (884)
賀茂祭如常。斎内親王不向神社。

『日本三代実録』元慶8年4月21日辛亥条 (884)
繁子穆子両内親王。各賜絹五十疋。綿二百屯。細布廿端。調布百端。商布三百段。貞観銭廿貫文。韓櫃廿合。

『類聚三代格』1(神社事)・元慶8年7月29日符 (884)
太政官符
 応禁制賀茂神山狩猟事
右右大臣宣。奉 勅。件神山四至之内。不可穢黷之状。制旨間降。如聞。無頼之輩偸射猪鹿。宜厳加禁止。若有犯者。五位已上取名奏聞。六位已下捉進其身。依法科処。曾不寛宥。
  元慶八年七月廿九日

『日本三代実録』仁和元年4月10日甲子条 (885)
是日。賀茂斎内親王擬祓河辺便入紫野院。今月八日。弁官有人死穢。因而停止。於建礼門前大祓。

『日本三代実録』仁和元年4月18日壬申条 (885)
諸衛警固。以明日賀茂祭也。

『日本三代実録』仁和元年4月19日癸酉条 (885)
停賀茂祭。縁有人死穢也。

『日本三代実録』仁和元年6月28日辛巳条 (885)
賀茂斎内親王臨鴨水修禊。便入紫野院矣。

『日本三代実録』仁和元年9月22日癸卯条 (885)
分遣使者於賀茂上下。松尾。稲荷。住吉。石清水。高賀茂。平野。春日。大原野。梅宮十一神社奉幣。告文曰。天皇〈我〉詔旨〈止〉掛畏〈支〉賀茂大神〈乃〉広前〈尓〉申賜〈倍止〉申〈久〉。頃間天皇〈我〉御為〈尓〉。不祥之事可有〈之止〉。就事〈天〉所示〈奈毛〉有〈留〉。如此之事〈乎波〉。掛畏〈支〉皇大神〈乃〉広恵〈尓〉依〈天之〉。予防〈倍岐〉物〈奈利止奈毛〉所念行〈須〉。故是以。参議正四位下行近江権守源朝臣是忠〈乎〉差使〈天〉。礼代〈乃〉大幣〈乎〉令捧持〈天〉奉出〈須〉。掛畏〈支〉皇太神。此状〈乎〉平〈久〉聞食〈天〉。天皇朝廷〈乎〉宝位無動〈久〉。常磐堅磐〈尓〉。夜守日守〈尓〉護幸賜〈比〉。諸不祥事〈乎波〉未然〈尓〉防除賜〈比天〉。風水之災不発賜〈天〉。五穀豊稔〈尓〉天下平安〈尓〉守護賜〈倍止〉。恐〈美〉恐〈美毛〉申賜〈久止〉申。余社告文又復准斯。

『日本三代実録』仁和2年4月5日甲寅条 (886)
以従五位下守右少弁源朝臣希為斎院長官。右少弁如故。

『日本三代実録』仁和2年4月23日壬申条 (886)
諸衛警固。縁明日賀茂祭也。

『日本三代実録』仁和2年4月24日癸酉条 (886)
賀茂祭如常。

『日本三代実録』仁和2年6月25日条 (886)
任相撲司。以中納言従三位兼行左衛門督源朝臣能有。参議正四位下行左兵衛督源朝臣光。参議正四位下行皇太后宮大夫兼播磨守藤原朝臣国経。参議正四位下行左近衛中将兼近江権守藤原朝臣有実。参議正四位下行近江守源朝臣是忠。正四位下行左近衛権中将兼備前守源朝臣興基。従四位上行美濃守源朝臣貞恒。従五位上守左近衛少将兼行讃岐介藤原朝臣高藤。左衛門権佐従五位上源朝臣昇。従五位上守左少弁兼行式部少輔藤原朝臣佐世。左兵衛権佐従五位下藤原朝臣恒興。従五位下行左馬助藤原朝臣連並十二人為左司。正三位行中納言兼民部卿陸奥出羽按察使在原朝臣行平。参議正四位下行右兵衛督兼伊予権守源朝臣冷。参議正四位下行右近衛中将源朝臣直。参議正四位下行右衛門督藤原朝臣諸葛。大蔵卿正四位下源朝臣定有。散位従四位上源朝臣是貞。右近衛中将従四位下兼行木工頭讃岐権守平朝臣正範。右近衛少将正五位下兼行越中守源朝臣堪。右衛門佐従五位上平朝臣季式。従五位上守右兵衛佐源朝臣元。従五位下行右馬助在原朝臣載春。斎院長官従五位下兼守右少弁源朝臣希十二人為右司。左右大臣已下於左仗下先議定。差外記齎議草。向太政大臣里第視之。然後賜中務省。於外記候庁拝除。即時左右司。各就左右衛門府始行事。承前之例。始行事之時。各発音楽。而皇妣贈皇太后忌当今月晦日。仍随停止。

『日本三代実録』仁和2年8月7日癸丑条 ()
自去四月霖雨。至此大風雨洪水。分遣使者於賀茂上下。松尾。稲荷。貴布祢。丹生河上六社。奉幣祈止雨。告文曰。天皇〈我〉詔旨〈止〉。掛畏〈支〉松尾大明神〈乃〉広前申賜〈倍止〉申。方今秋稼〈乃〉登熟〈須留〉時〈奈利〉。大神〈乃〉厚護〈尓〉依〈天之〉。風雨〈乃〉災不起〈之天〉。五穀豊稔〈倍之止奈毛〉所念行〈須〉。故是以正親司少令史従八以上斎部宿祢岑吉〈乎〉差使〈天〉。礼代〈乃〉大幣帛〈乎〉令捧持〈天〉奉出〈須〉。此状〈乎〉神〈奈可良毛〉聞食〈天〉。風雨之災防除給〈比〉。五穀茂盛〈仁〉天下饒足〈之女〉給〈比〉。天皇朝廷〈乎〉宝祚無動〈久〉。常磐堅磐〈尓〉夜守日守〈利尓〉護幸奉賜〈倍止〉。恐〈美〉恐〈美毛〉申給〈久止〉申。自余社告文准此。丹生河上貴布祢二社加奉白馬各一疋。

『日本三代実録』仁和2年9月27日壬寅条 (886)
賀茂神社辺有狼。喫殺人。行人相逢。以刀刺殺。

『日本三代実録』仁和3年2月2日丙午条 (886)
以従五位下行少内記三善宿祢清行為大内記。従五位下行式部大丞藤原朝臣興範為掃部頭。従五位下守刑部大輔小野朝臣喬木為山城守。従五位上守宮内大輔源朝臣弼為大和権守。大輔如故。従五位下守図書頭清江宿祢貞直為和泉守。掃部頭従五位下在原朝臣一貫為摂津守。散位従五位上藤原朝臣継蔭為伊勢守。従五位上橘朝臣茂蔭為尾張介。前遠江守従五位上藤原朝臣清保為遠江守。散位外従五位下山口朝臣岑世為伊豆守。従四位上行左馬頭藤原朝臣利基為相模守。左馬頭如故。従五位上守大蔵大輔源朝臣建為介。斎院長官従五位下兼守右少弁源朝臣希為近江権介。余官如故。散位従四位下藤原朝臣諸藤為美濃権守。従五位下守左衛門権佐藤原朝臣良積為介。散位従五位下多治真人安方為越前介。従四位下行中務大輔十世王為加賀権守。中務大輔如故。従五位上行内薬正兼侍医針博士深根宿祢宗継為介。余官如故。従五位下行民部少丞藤原朝臣野風為越後守。散位従五位下藤原朝臣仁道為介。従四位下行民部大輔藤原朝臣忠主為丹波守。従五位下行主水正忠王為丹後守。勘解由次官従五位下兼守大判事惟宗朝臣直宗為播磨大丞。余官如故。従四位上行弾正大弼雅望王為美作権介。弾正大弼如故。散位従四位下藤原朝臣清経為周防権守。外従五位下矢田部造利人為長門介。外従五位下佐伯直清氏為淡路守。従四位上源朝臣国紀為伊予権守。従四位下藤原朝臣保則為守。主計頭従五位上宮道朝臣弥益為権介。本官如故。散位従五位下橘朝臣興門為肥前守。

『類聚三代格』2(年分度者事)・仁和3年3月14日符 (887)
太政官符
 応加試年分度者二人事
  一人為大比叡明神分大毘廬遮那経業
  一人為小比叡明神分一字仏頂輪王経業
右延暦寺座主法眼和尚位円珍表偁。故祖師法印大和尚位最澄。延暦末年奉使入唐。求法事訖。臨廻請於当州公馮。且明州主朝議郎使持節明州諸軍事守明州刺史上柱国熒陽鄭審則批判求法目録称。最澄闍梨。性稟生知之才。来自礼義之国。南登天台之嶺。窮智者之法門。西泛鏡湖之水。深潅頂之神秘。可謂法門竜象青蓮出池者。然則西朝重我国家称為礼義之郷。当寺法主大比叡小比叡両所明神。陰陽不測。造化無為。弘誓亜仏。護国為心。所伝真言潅頂之道。所建大乗戒壇之検。祖師創開専頼主神。若不然者。何立此業永鎮国家。頃年度僧惣八箇人。其六人者於東塔院春秋試度。惣為鎮国不捐其分。其二人者於西塔院春三月試度。就中一人為賀茂明神分。一人為春日明神分。主神独無其分。貞観二年擬奏斯由。依違不言。黙而至此。自彼以来冥祟稍頻。遂不言者恐神明怒。且夫毘廬遮那経者。八万法蔵之肝心。陀羅尼教之梁棟也。随経義釈七百余紙。文理甚深。局智難会。而旧置年分。只是一人。学徒乏少。大道猶哽。又仏頂輪王経者真言之枢機。法城之門戸也。所以祖師積年。耽習甚得呪験。仍於 延暦天子聖躬不予之時。依経修法奉資宝祚。山家之開泰莫不頼此功。是以東西弟子至今勤修。円珍伏見。仏法中興莫過承和之聖代。山神膺慶偏仰当時之鴻慈。伏望。蒙加度者二人為両神之分。解地主之結恨。増護国之冥威。即以三月十七日与元初二人同共試度。自余事条准延暦弘仁両朝之格。又授戒之後毎日読金剛般若経各一巻。誓願両山。奉護一天。十二年末恒奏巻数。復試之日除金光明経並読六巻止観者。中納言従三位藤原朝臣山陰宣。奉 勅。宜依来表。須准去延暦廿五年正月廿六日格永以行之。
  仁和三年三月十四日

『日本三代実録』仁和3年3月14日戊子条 (887)
勅加試延暦寺年分度僧二人。其一人大毘盧遮那経業。為大比叡神分。其一人一字頂輪王経業。為小比叡神分。先是。彼寺座主前入唐尋教釈法眼和尚位円珍上表言。国之為国。本依設礼。人之為人。亦由行礼。故書曰。人有礼則安。無礼則危。経曰。人能行礼。得生天上。是知。内経外書。以礼存立。故祖師法印大和尚位最澄。延暦末年。奉使入唐。求法事訖。臨廻請当州公憑。且明州朝議郎使持節明州諸軍事守明州刺史上国柱熒陽鄭審則批判求法目録称。最澄闍梨。性稟生知之才。来自礼儀之国。南登五台之嶺。窮智者之法門。西泛鏡湖之水。探潅頂之神秘。可謂法門竜象。青蓮出池者。然則西朝重我国家。称為礼儀之郷。当寺法主大比叡小比叡両明神。陰陽不測。造化無為。弘誓亜仏。護国為心。所伝真言潅頂之道。所建大乗戒壇之検。祖師創開。専頼主神。若不然者。何立此業。永鎮国家。頃年度僧。惣八箇人。其六人者於東塔院。春秋試度。惣為鎮国。不捐其分。其二人者。於西塔院。春三月試度。就中一人為賀茂明神分。神分。一人為春日明主神独無其分度僧。実是闕礼者也。去貞観二年擬奏斯由。依違不言。黙而至此。自彼以来。窅祟頻繁。遂不言者。恐神明怒。且夫毘盧遮那経者。八万法蔵之肝心。陀羅尼教之梁棟也。随経議釈七百余紙。文理尋深。局知難会。而旧置年分。只是一人。学徒乏少。大道猶哽。又頂輪王経者。真言之枢機。法城之門戸也。所以祖師積年耽習。其得呪験。仍於延暦天子聖躬不予之時。依経修法。奉資宝祚。山家之開泰。莫不頼此功。是以。東西弟子。至今勤修。円珍伏見。仏法中興。莫過承和之聖代。山神膺慶。偏仰当時之鴻慈。伏望蒙加度者二人。為両神之分。解地主之結恨。増護国之冥威。即以三月十七日。与元初二人。同共試度。自余事条。准延暦弘仁両朝之格。又受戒之後。毎日読金剛般若経各一巻。誓願両山。奉護一天。十二年末。恒奏巻数。復試之日。除金光明経。並読六巻止観者。至此従之。須准延暦廿五年正月廿六日度年分僧格。永以行之。

『日本三代実録』仁和3年4月17日庚申条 (887)
諸衛厳警。縁明日賀茂祭也。

『日本三代実録』仁和3年4月18日辛酉条 (887)
賀茂祭如常。

『日本三代実録』仁和3年6月25日丁卯条 (887)
任相撲司。以中納言従三位兼行左衛門督源朝臣能有。参議正四位下行左兵衛督源朝臣光。参議正四位下行皇太后宮大夫兼播磨守藤原朝臣国経。参議正四位下行左近衛中将兼近江権守藤原朝臣有実。参議正四位下行近江守源朝臣是忠。正四位下行左近衛権中将兼備前守源朝臣興基。従四位上行美濃守源朝臣貞恒。従五位上守左近衛少将兼行讃岐介藤原朝臣高藤。左衛門権佐従五位上源朝臣昇。従五位上守左少弁兼行式部少輔藤原朝臣佐世。左兵衛権佐従五位下藤原朝臣恒興。従五位下行左馬助藤原朝臣連並十二人為左司。正三位行中納言兼民部卿陸奥出羽按察使在原朝臣行平。参議正四位下行右兵衛督兼伊予権守源朝臣冷。参議正四位下行右近衛中将源朝臣直。参議正四位下行右衛門督藤原朝臣諸葛。大蔵卿正四位下源朝臣定有。散位従四位上源朝臣是貞。右近衛中将従四位下兼行木工頭讃岐権守平朝臣正範。右近衛少将正五位下兼行越中守源朝臣堪。右衛門佐従五位上平朝臣季式。従五位上守右兵衛佐源朝臣元。従五位下行右馬助在原朝臣載春。斎院長官従五位下兼守右少弁源朝臣希十二人為右司。左右大臣已下於左仗下先議定。差外記齎議草。向太政大臣里第視之。然後賜中務省。於外記候庁拝除。即時左右司。各就左右衛門府始行事。承前之例。始行事之時。各発音楽。而皇妣贈皇太后忌当今月晦日。仍随停止。

『類聚三代格』2(年分度者事)・寛平7年10月28日符 (895)
太政官符
 応四月十五日以前行授戒事
右得延暦寺牒偁。被太政官今年三月七日下当寺牒偁。如聞諸寺他宗応得度者。各就便宜労下宣旨。直預彼寺授戒。論之正道。理不可然。大納言正三位兼行左近衛大将皇太子傅陸奥出羽按察使源朝臣能有宣。奉 勅。凡天台宗年分之外臨時度者。寺家具注官符日月依止師主。二月以前直申送官。更待符到。三月之内令授戒畢。自今以後永為恒例者。謹案牒旨。二月言上之制雖限臨時度者。而三月授戒之期未降年分度者。若以年分准臨時者。授戒之期太早。若令臨時随年分者。旧格之旨得宜。伏検去貞観八年閏三月十六日格云。寺家牒偁。太政官去年三月十五日下治部省符偁。検旧例。年分度者経二箇年。臨時度者経三箇年。然後令受戒者。然而山家年分既異諸宗。得業以後何更経年。凡年々試度年々受戒謂之年分。若不尓者恐有所闕。伏冀。依先師式当年授戒。則閉山門。誓護国家。又雖臨時度者不必経三年。縦雖少年而廿歳以上才行兼備堪為僧者。方加試練同聴登壇。謹請処分者。右大臣宣。奉 勅。年分度者依請。自余一同去年三月十五日符者。寺依格旨行来無闕。又於臨時度者応受戒者。皆依宣旨乃聴登壇。而今官牒下寺制依宣旨而授戒。禁遏三月以後授戒。官牒之旨最有理致。但三月受戒之期於当寺甚早也。所以然者。当寺年分惣一十人。皆是 先皇御願也。就中二人奉為大小比叡両神。三月十七日試度之。二人奉為賀茂春日両神。三月廿五日試度之。然則余程無幾式月已迫。凡年分学生等。幼稚離郷長大住山。各勤学業更無他計。纔預度例乃求戒具。染縫三衣買備一鉢。非是啻一二日之功。授戒何畢三月之内。因是欲令二人待後年者。得度既畢。属神分授戒。豈闕年料。望請。官裁当寺授戒之事。准於貞観七年三月十五日格。四月十五日以前定戒日行之。又臨時度者与年分度者同日令受戒。並十六日結夏安居鎮護国家者。大納言正三位兼行左近衛大将皇太子傅民部卿陸奥出羽按察使源朝臣能有宣。奉 勅。依請。
  寛平七年十月廿八日

『類聚三代格』1(祭并幣事)・寛平9年4月10日符 (897)
太政官符
 応科決被差賀茂祭騎兵致拒捍土浪人事
右得山城国解偁。管八箇郡司解偁。件祭騎兵択土浪人堪事者差進既畢。而寄事高家不順国仰。若不言上恐有後責。仍注拒捍人交名申送者。国検案内。承引之輩不及廿人。陳列之儀当致闕怠。望請 官裁。如此之類。不限土浪。不論蔭贖。行斎之外決笞五十。以懲将来者。中納言兼右近衛大将従三位行春宮大夫藤原朝臣時平宣。可贖之色。国司先勘其過。依法責贖。自余依請。
  寛平九年四月十日


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