神社資料データベース 國學院大學COEプログラム

神社資料データベース・古代
ホーム
 ・国名から神社を検索
 ・地図から神社を検索
  地域別一覧
-------------
COEプログラム・ホーム
國學院大學

春日祭神四座(建御賀豆智命神)

・鎮座地
大和国添上郡

・『延喜式』神名帳に見られる祭祀
名神大月次新嘗

・六国史終了時の神階
正一位勲一等

・グラフ→
[graph] 6

・その他

・史料
『続日本紀』養老元年2月壬申朔条 (717)
遣唐使祠神祇於蓋山之南。

『続日本紀』天平勝宝2年2月乙亥(16日)条 (750)
幸春日酒殿。唐人正六位上李元環授外従五位下。

『続日本紀』宝亀8年2月戊子(6日)条 (777)
遣唐使拝天神地祇於春日山下。去年風波不調。不得渡海。使人亦復頻以相替。至是副使小野朝臣石根重修祭祀也。

『類聚三代格』1(科祓事)・延暦20年5月14日符 (801)
太政官符
 定准犯科祓例事
一大祓料物廿八種〈承前悪祓料物准此重輸今除一祓下条亦同〉
  馬一疋          大刀二口         弓二張
  矢二具<以十隻為一具。已上三種並不限新旧>     刀子六枚
  木綿六斤         麻六斤          庸布六段
  鍬六口          鹿皮六張         猪皮六張
  酒六斗          米六斗          稲六束
  鰒六斤          堅魚六斤         雑腊六斤
  塩六升          海藻六斤         滑海藻六斤
  食薦六枚         薦六枚          坏六口
  盤六口          柏十五把<枚手六十枚料> 匏四柄
  楉四枝<長各一丈>    席一枚
右闕怠大嘗祭事。及同斎月内弔喪問病判署刑殺文書決罰。食宍預穢悪之事者。宜科大祓。所輸雑物具如前件。官人有犯。兼解見任。
一上祓料物廿六種
  大刀一口         弓一張          矢一具
  刀子二枚         木綿三斤         麻三斤
  庸布三段         鍬三口          鹿皮三張
  酒三斗          米三斗          稲三束
  鰒三斤          堅魚三斤         雑腊三斤
  塩三升          海藻三斤         滑海藻三斤
  食薦三枚         薦三枚          坏四口
  盤四口          柏十把<枚手卌枚料>   匏二柄
  楉三枝<長各一丈>    席一枚
右闕怠新嘗祭。鎮魂祭。神嘗祭。祈年祭。月次祭。神衣祭等事。殴伊勢大神宮祢宜内人。及穢御膳物并新嘗等諸祭斎日。犯弔喪問疾等六色禁忌者。宜科上祓。輸物如右。
一中祓料物廿二種。
  刀子一枚         木綿一斤         麻一斤
  庸布一段         鍬一口          鹿皮一張
  酒一斗          米一斗          稲一束
  鰒一斤          堅魚一斤         雑腊一斤
  塩一升          海藻一斤         滑海藻一斤
  食薦二枚         薦二枚          坏四口
  盤四口          匏一柄          柏五把<枚手廿枚料>
  楉二枝<長各一丈>
右闕怠大忌祭。風神祭。鎮花祭。三枝祭。鎮火祭。相嘗祭。道饗祭。平野祭。園韓神春日等祭事。殴物忌戸座御火炬。姦物忌女及触穢悪事預御膳所。并忌火等祭斎日殴祝祢宜及預祭事神戸人。犯弔喪問疾等六色禁忌者。宜科中祓。輸物如右。
一下祓料物廿二種。
  刀子一枚         木綿六両         麻六両
  庸布一段         鍬一口          鹿皮一張
  酒四升          米四升          稲四把
  鰒六両          堅魚六両         雑腊六両
  塩四合          海藻六両         滑海藻六両
  食薦一枚         薦一枚          坏二口
  盤二口          匏一柄          柏五把<枚手廿枚料>
  楉二枝<長各一丈>
右闕怠諸祭祀事。及斎日殴祝祢宜并預祭神戸人犯諸禁忌者。宜科下祓。輸物如右。
以前被右大臣宣偁。承前事有犯科祓贖罪。善悪二祓重科一人。条例已繁。輸物亦多。事傷苛細。深損黎元。仍今改張立例如件。其殴傷若重者。祓浄之外依法科罪。斎外闘打者依律科決。不在祓限。又祝祢宜等与人闘打及有他犯事須科決者先解其任即決罰。神戸百姓有犯失者行斎之外決罪如法。今具奏状奏聞。奉 勅。依請。
  延暦廿年五月十四日

『新抄格勅符抄』10(神事諸家封戸)・延暦20年9月22日符 (801)
太政官符 神祇官
一応割神封物充春日祭料事
調布五百端〈下総国香取神封二百端 常陸国鹿島神封三百端〉
庸布三百端  商布六百端
麻六百斤  紙六百張 香取神封
右件神封物。割充如前。仍須毎年納送祭所。自余雑物一同前符。官宜承知依件施行。
一停止春日神封廿烟  常陸国
右割神封物充祭料畢。仍納件封還□収。下符民部省畢。官宜承知依件行之。符到奉行。
  延暦廿年九月廿二日


『日本後紀』延暦24年2月庚戌(10日)条 (805)
造石上神宮使正五位下石川朝臣吉備人等。支度功程。申上単功一十五万七千余人。太政官奏之。勅曰。此神宮所以異於他社者何。或臣奏云。多収兵仗故也。勅。有何因縁所収之兵器。奉答云。昔来天皇御神宮。便所宿収也。去都差遠。可慎非常。伏請卜食而運遷。是時文章生従八位上布留宿祢高庭。即脩解申官云。得神戸百姓等款偁。比来。大神頻放鳴鏑。村邑咸怪。不知何祥者。未経幾時。運遷神宝。望請奏聞此状。蒙従停止。官即執奏。被報宣偁。卜筮吉合。不可妨言。所司咸来。監運神宝。収山城国葛野郡訖。無故倉仆。更収兵庫。即而聖体不予。典闈建部千継。被充春日祭使。聞平城松井坊有新神託女巫。便過請問。女巫云。今所問不是凡人之事。宜聞其主。不然者。不告所問。仍述聖体不予之状。即託語云。歴代御宇天皇。以慇懃之志。所送納之神宝也。今践穢吾庭。運収不当。所以唱天下諸神。勒諱贈天帝耳。登時入京密奏。即詔神祇官并所司等。立二幄於神宮。御飯盛銀笥。副御衣一襲。並納御轝。差典闈千継充使。召彼女巫。令鎮御魂。女巫通宵忿怒。託語如前。遅明乃和解。有勅。准御年数。屈宿徳僧六十九人。令読経於石上神社。詔曰。天皇御命〈尓〉坐。石上〈乃〉大神〈尓〉申給〈波久〉。大神〈乃〉宮〈尓〉収有〈志〉器仗〈乎〉。京都遠〈久〉成〈奴流尓〉依〈弖〉。近処〈尓〉令治〈牟止〉為〈弖奈母〉。去年此〈尓〉運収有〈流〉。然〈尓〉比来之間。御体如常不御坐有〈流尓〉。大御夢〈尓〉覚〈志〉坐〈尓〉依〈弖〉。大神〈乃〉願坐〈之〉任〈尓〉。本社〈尓〉返収〈弖之〉。无驚〈久〉无咎〈久〉。平〈久〉安〈久〉可御坐〈止奈母〉念〈志〉食。是以鍛冶司正従五位下作良王。神祇大副従五位下大中臣朝臣全成。典侍正五位上葛井宿祢広岐等〈乎〉差使〈弖〉。礼代〈乃〉幣帛并鏡令持〈弖〉。申出給御命〈乎〉申給〈止〉申。辞別〈弖〉申給〈久〉。神〈那我良母〉皇御孫〈乃〉御命〈乎〉。堅磐〈尓〉常磐〈尓〉。護奉幸〈閉〉奉給〈閉止〉称辞定奉〈久止〉申。

『日本後紀』大同元年8月庚午(10日)条 (806)
先是中臣忌部両氏各有相訴。中臣氏云。忌部者。本造幣帛。不申祝詞。然則不可以忌部氏為幣帛使。忌部氏云。奉幣祈祷。是忌部之職也。然則以忌部氏為幣帛使。以中臣氏可預祓使。彼此相論。各有所拠。是日勅命。拠日本書紀。天照大神閉天磐戸之時。中臣連遠祖天児屋命。忌部遠祖太玉命。掘天香山之五百箇真坂樹。而上枝懸八坂瓊之五百箇御統。中枝懸八咫鏡。下枝懸青和幣白和幣。相与致祈祷者。然則至祈祷事。中臣忌部並可相預。又神祇令云。其祈年月次祭者。中臣宣祝詞。忌部班幣帛。踐祚之日。中臣奏天神寿詞。忌部上神璽鏡剣。六月十二月晦日大祓者。中臣上御祓麻。東西文部上祓刀。読祓詞訖。中臣宣祓詞。常祀之外。須向諸社供幣帛者。皆取五位以上卜食者充之。宜常祀之外。奉幣之使。取用両氏。必当相半。自余之事。専依令条。

『続日本後紀』承和3年5月丁未(9日)条 (836)
奉授下総国香取郡従三位伊波比主命正二位。常陸国鹿島郡従二位勲一等建御賀豆智命正二位。河内国河内郡従三位勲三等天児屋根命正三位。従四位下比売神従四位上。其詔曰。皇御孫命〈尓〉坐。四所大神〈尓〉申給〈波久〉。大神等〈乎〉弥高〈尓〉弥広〈尓〉仕奉〈止奈毛〉思〈保志〉食。是以件等冠〈尓〉上献状〈乎〉。中務少輔従五位下藤原朝臣豊継。内舍人正六位下藤原朝臣千葛等〈尓〉令捧持〈弖〉。奉出事〈乎〉申給〈久止〉申。辞別〈弖〉申給〈久〉。神那我良〈母〉皇御孫之御命〈乎〉。堅磐〈尓〉常磐〈尓〉護奉幸〈閉〉奉給〈部〉。又遣唐使参議正四位下藤原朝臣常嗣〈乎〉。路間無風波之難〈久〉。慈賜〈比〉矜賜〈比天〉。平〈久〉可太良可〈尓〉帰〈之〉賜〈倍止〉。称辞竟奉〈久止〉申。

『続日本後紀』承和6年10月丁丑(29日)条 (839)
奉授坐下総国香取郡正二位伊波比主命。坐常陸国鹿島郡正二位勲一等建御加都智命並従一位。坐河内国河内郡正三位勲二等天児屋根命従二位。従四位上比売神正四位下。

『続日本後紀』承和8年3月壬申朔条 (841)
勅。大和国添上郡春日大神神山之内。狩猟伐木等事。令当国郡司殊加禁制。

『類聚三代格』1(神社事)・承和8年3月1日符 (841)
太政官符
 応禁制春日神山之内狩猟伐木事
右被中納言従三位兼行左兵衛督陸奥出羽按察使藤原朝臣良房宣偁。春日神山四至灼然。而今聞。狩猟之輩触穢斎場。採樵之人伐損樹木。神明攸咎。恐及国家。宜下知当国厳令禁制者。国宜承知。仰告当郡司并神宮預。殊加禁制。兼復牓示社前及四至之堺。令人易知。若不遵制旨。猶有違犯者。量状勘当。不得容隠。
  承和八年三月一日

『日本三代実録』天安2年11月3日庚申条 (858)
停平野春日等祭焉。

『日本三代実録』貞観元年2月10日丙申条 (859)
春日祭如常。

『日本三代実録』貞観元年7月14日丁卯条 (859)
遣使諸社。奉神宝幣帛。参議正四位下行左大弁兼左衛門督美作守藤原朝臣氏宗為賀茂御祖別雷両社使。散位従五位下正峯王為松尾社使。正五位下守右中弁兼行式部少輔大枝朝臣音人為平野社使。従五位下行主殿権助藤原朝臣水谷為大原野社使。右兵衛佐従五位下源朝臣至為乙訓社使。従五位下守右兵庫頭藤原朝臣四時為大神社使。掃部頭従五位上藤原朝臣貞敏為石上社使。従四位下行兵部大輔藤原朝臣仲統為春日社使。従五位下守図書頭当麻真人清雄為当麻社使。中務少輔従五位下源朝臣包為住吉社使。散位従五位下丹墀真人縄主為丹墀社使。少納言兼侍従従五位下良峯朝臣経世為杜本社使。神祇大祐正六位上大中臣朝臣豊雄為気比気多両社使。散位従五位下紀朝臣宗守為日前国懸両社使。

『類聚三代格』2(年分度者事)・貞観元年8月28日符 (859)
太政官符
 応試度延暦寺年分度者二人事
  一人奉為賀茂名神可令読大安楽経一部卅八巻
  一人奉為春日名神可令読維摩詰所説経一部三巻
   並可加試法花金光明経二部。
右十禅師伝燈大法師位恵亮表偁。恵亮以去嘉祥三年八月五日 陛下御東宮之日。上啓所願已畢。頃年殊垂恩感。毎降誕日。臨時得度于今八箇年。伏冀。 天慈幸降恩勅不改素願。毎年三月下旬於比叡山西塔宝幢院将試度之。然後准太政官弘仁十四年符令受大戒之後。依先師式十二箇年不出山門。一日不闕長講件経。利益名神。奉護 聖朝。恵亮等師資相承修此仏業。但件人等得業以後僧中諸事。准天台真言等宗一同用之者。右大臣宣。奉 勅。宜依来表。
  貞観元年八月廿八日

『日本三代実録』貞観元年8月28日辛亥条 (859)
依十禅師伝灯大法師位恵亮表請。始置延暦寺年分度者二人。其一人為賀茂神。可試大安楽経。加試法華経金光明経。一人為春日神。可試維摩詰所説経。加試法華経金光明経。表曰。恵亮言。皇覚導物。且実且権。大士垂迹。或王或神。故聖王治国。必頼神明之冥助。神道剪累。只憑調御之慧刄。伏惟。金輪陛下。乗六牙而降神跡。逮九歳而登九五。受仏付嘱。転大法輪。法門余慶。還在于今歟。所謂維摩不二之典。盛演仏境不思之義。高貴四徳之教。寔談仏性常住之旨。並斯如来。護国利人之門。不可一廃者也。是以。恵亮等。以去嘉祥三年八月五日 陛下在東宮日。経啓祈願已畢。頃年殊垂恩感。毎降誕日。且度。于今八年。伏冀。天慈幸降恩勅。不改素願。永歳三月下旬。於比叡山西塔宝幢院。将試度之。然後准弘仁十四年官符。令受大戒。其受戒之後。依先師式。十二年不出山門。一日不闕。長講件経。利益名神。奉護聖朝。恵亮等。師資相承。修此仏業。尽未来際。擁護国家。但件人等。得業以後。僧中諸事。准天台真言等宗。一同用之。然則開闢以来仙霊。開覚性而遊妙覚。我朝以後聖王進醍醐而保常楽。非只諸神歳々増威。亦乃群生日々長福。持茲大善。集我皇朝。伏願。長御紫宸。大敷玄徳。寿固群岳。恩深四溟。次則資薫田邑聖霊。四流高謝。五智円顕。竜天順風雨之期。率土楽昇平之化。然後竪窮三界。横被四生。永謝迷津。超昇覚道。

『日本三代実録』貞観元年11月9日庚申条 (859)
平野春日神祭如常。

『日本三代実録』貞観2年2月3日甲申条 (860)
春日祭如常。

『日本三代実録』貞観2年11月8日甲申条 (860)
春日平野等祭如常。

『日本三代実録』貞観3年2月4日戊申条 (861)
祈年祭并春日祭如常。

『日本三代実録』貞観3年11月2日壬申条 (861)
春日平野祭如常。

『日本三代実録』貞観4年2月9日戊申条 (862)
春日祭如常。

『日本三代実録』貞観4年11月8日壬申条 (862)
平野春日祭如常。

『日本三代実録』貞観5年2月3日丙申条 (863)
停春日祭。

『日本三代実録』貞観5年11月7日丙申条 (863)
平野春日祭如常。

『日本三代実録』貞観7年2月8日庚申条 (865)
春日祭如常。

『日本三代実録』貞観7年11月7日甲申条 (865)
平野春日祭如常。

『日本三代実録』貞観7年12月17日甲子条 (865)
勅。河内国平岡神四前。准春日大原野神。春冬二祭奉幣。永以為例。

『日本三代実録』貞観8年2月2日戊申条 (866)
春日祭如常。

『類聚三代格』2(年分度者事)・貞観8年閏3月16日符 (866)
太政官符
 応令受戒年分度者事
右得延暦寺去年四月十一日牒偁。左弁官今月九日宣旨偁。太政官去三月十五日下治部省符偁。検旧例年分度者経二箇年。臨時度者経三箇年。令練沙弥之行。兼試法花最勝威儀三部経。然後令受戒者。寺宜依件行之者。今案彼格最有理致。弘道之輩誰不遵行。但此寺年分者惣八人也。就中六人。是 先皇御願。国忌之日同令得度。二人即 今帝御願。臨降誕之日奉為賀茂春日両処名神亦令得度。非唯未度以前練沙弥行。亦乃受戒以後不出山門十二箇年。慎守公制勤修三昧誓護国家。皆是随先師遺誡也。先師之戒既異諸宗。所有行業不同他類。得業以後何更経年。若両箇年不聴受戒。恐於御願致闕断歟。凡年々試度年々受戒。謂之年分。若不尓者亦恐有所闕歟。伏冀。不違先師之戒。当年受戒。則閉山門。誓護国家。其沙弥威儀経。一准官符。試業之日同加試練。又雖臨時度者不必経三箇年。何者人有利鈍学有優劣。況有入道之前後練業之浅深乎。或幼年従師修学年深。或長後出俗未染法流。或入道如昨才学優長。或出家経年身才猶疎。得失如斯。何得一准。望請。才与年長。行将齢積之輩。准官符旨先勘度縁。三月之内試三部経。若無擁滞者聴其受戒。縦雖少年而廿歳以上才行兼備堪為僧者。方加試練同聴登壇。然則玉石同分。修学無怠。謹請処分者。右大臣宣。奉 勅。年分度者依請。自余一同去年三月十五日格。
  貞観八年閏三月十六日

『日本三代実録』貞観8年11月7日戊申条 (866)
停春日祭。以有穢也。

『類聚三代格』1(斎王事)・貞観8年12月25日符 (866)
太政官符
 藤原朝臣可多子
右権大納言兼左近衛大将従三位藤原朝臣氏宗宣。奉 勅。件可多子定春日并大原野斎女畢。唯其月料具在別式。且須自来年正月始行。
  貞観八年十二月廿五日

『日本三代実録』貞観8年12月25日丙申条 (866)
詔以藤原朝臣須恵子為春日并大原野神斎。

『日本三代実録』貞観9年2月2日壬申条 (867)
春日祭如常。

『日本三代実録』貞観9年11月丙申朔条 (867)
平野春日祭並停。以日蝕也。

『日本三代実録』貞観9年11月13日戊申条 (867)
平野春日祭如常。今月一日縁日蝕停祭礼。故是日祀焉。

『日本三代実録』貞観10年2月8日壬申条 (868)
春日祭如常。

『日本紀略』貞観10年11月7日丙申条 (868)
平野春日祭。

『日本三代実録』貞観10年閏12月21日庚戌条 (868)
是日。宣 詔内外曰。春日大原野両社斎女藤原朝臣可多子。太政官貞観八年十二月廿五日下所司。注藤原朝臣須恵子。今追改焉。

『日本三代実録』貞観10年閏12月25日甲寅 ()
勅令大和国。差充騎兵卌人。執杖士廿人。春日斎女参社之威儀。毎至春祭。在前差課国郡司各二人。相共祗承。立為恒例。

『日本三代実録』貞観11年2月8日丙申条 (869)
春日祭如常。是日。斎女始参於社。告文曰。天皇〈我〉詔旨〈止〉。掛畏〈支〉春日大神〈能〉広前〈尓〉。恐〈美〉恐〈美毛〉申賜〈倍止〉申〈久〉。先々〈尓〉祷申賜〈布〉事有〈天〉。掛畏〈岐〉皇太神〈乃〉斎女〈尓〉。藤原朝臣可多子〈乎〉定〈天〉令奉仕之状〈乎〉聞食〈天〉。天皇朝廷〈乎〉平〈久〉御坐〈志米〉。食国〈能〉天下〈毛〉無事〈久〉令有賜〈倍止〉為〈天奈毛〉。従四位上行左中弁兼皇太后宮亮藤原朝臣家宗〈乎〉差使〈天〉。礼代〈能〉大幣帛〈乎〉令捧持〈天〉奉出賜〈布〉。此状〈乎〉聞食〈天〉。天皇朝廷〈乎〉宝位無動〈久〉。常盤堅盤〈尓〉。夜守日守〈尓〉。護幸奉賜〈比〉。天下平安〈尓〉。風雨随時〈天〉。五穀豊登〈志米〉賜〈倍止〉。恐〈美〉恐〈美毛〉申賜〈波久止〉申。

『日本三代実録』貞観11年11月7日庚申条 (869)
春日平野祭如常。

『日本三代実録』貞観12年2月2日甲申条 (870)
春日祭如常。

『日本三代実録』貞観12年11月12日庚申条 (870)
平野春日祭如常。

『日本三代実録』貞観12年11月17日乙丑条 (870)
是日。分遣使者諸社。奉鋳銭司及葛野鋳銭所新鋳銭。賀茂御祖別雷両社使前安芸介従五位下大中臣朝臣是直。松尾社使神祇権大祐正六位上斎部宿祢高善。稲荷社使神祇大祐正六位上大中臣朝臣常道。石清水社使主水佑正六位上大中臣朝臣坂田麿。平野社使神祇少副正六位上大中臣朝臣有本。梅宮社使大物従五位下橘朝臣茂生。春日社使雅楽少允従七位上大中臣朝臣冬名。大原野社使主水正正六位上大中臣朝臣鹿主。

『日本紀略』貞観13年2月8日甲申条 (871)
是日。春日祭。

『日本三代実録』貞観13年6月2日丁丑条 (871)
新鋳銅印。春日斎院。

『日本三代実録』貞観13年11月19日辛卯条 (871)
停新嘗会。又平野。春日。梅宮。大原野等祭。並随停止。以太皇大后崩也。

『日本三代実録』貞観14年2月8日戊申条 (872)
春日祭如常。使等不歌舞。

『日本紀略』貞観14年11月6日壬申条 (872)
平野春日祭如常。

『日本三代実録』貞観15年2月13日戊申条 (873)
今月一日初申可修春日祭。而彼日有事而停。是日祀之。

『日本紀略』貞観15年11月11日壬申条 (873)
平野春日祭。

『日本三代実録』貞観16年正月29日庚寅条 (874)
右近衛宇保貞主宿直杖下。頓得病死。或称。気絶於宮中。或云出於宮外而命終。来月上旬。応祠祈年大原野春日等神。仍是日大祓於建礼門前。

『日本三代実録』貞観16年2月6日丙申条 (874)
祭春日神。例也。而内裏犬産。内蔵寮闘殴出血及左馬寮牛斃。右馬寮馬死。由是停遣勅使。

『日本三代実録』貞観16年11月16日辛丑条 (874)
先是。十月廿七日木工寮史生出雲島成死。喪家人入寮。寮官人参入内裏。由是。平野。梅宮。春日。大原野。園韓神。鎮魂等諸祭。皆従停廃。大祓於建礼門前。

『日本三代実録』貞観17年2月6日庚申条 (875)
停春日祭。

『日本三代実録』貞観17年6月8日己未条 ()
遣従四位下行左馬頭藤原朝臣秀道於春日神社奉幣兼祷。欲奉斎女以祈甘雨也。告文曰。天皇〈我〉詔旨〈止〉。掛畏〈支〉春日大神〈乃〉広前〈尓〉恐〈美〉恐〈美毛〉申賜〈倍止〉申〈久〉。近来経日渉旬〈天〉。雨沢不降〈之天〉。百姓農業枯損〈奴倍之〉。因茲卜求〈尓〉。皇大神〈乃〉斎女不奉〈尓〉依〈天〉。致此災賜〈倍利止〉卜申〈世利〉。是非故怠。今必卜定〈天〉令奉仕〈牟〉。仍且其由〈乎〉為令祷申〈止之天奈毛〉。従四位下行左馬頭藤原朝臣秀道〈乎〉差使〈天〉。礼代大幣帛〈乎〉令捧持〈天〉奉出賜〈布〉。此状〈乎〉平聞食〈天〉。甘雨忽降〈之〉。五穀茂熟〈之天〉。天皇朝庭〈乎〉常磐堅磐〈尓〉夜守日守〈尓〉護奉賜〈倍止〉。畏〈美〉畏〈美毛〉申賜〈波久止〉申。

『日本三代実録』貞観17年11月4日癸未条 (875)
藤原朝臣意佳子為春日大原野神斎。以前斎藤原朝臣可多子遭喪也。意佳子。中納言従三位兼行右近衛大将皇太后宮大夫藤原朝臣良世之女也。

『日本三代実録』貞観17年11月5日甲申条 (875)
平野春日祭如常。

『日本三代実録』貞観18年2月7日乙卯条 (876)
停大原野祭。以大膳職触死穢也。大祓於建礼門前。承前之例。有事故停春日大原野祭之時。不修大祓。弁官依神祇官解而行之。由是責神祇官。令進過状。

『日本三代実録』貞観18年2月12日庚申条 (876)
停春日祭。以皇太后宮犬死内裏染汚也。

『日本紀略』貞観18年11月11日甲申条 (876)
平野春日祭。

『日本紀略』元慶元年2月6日戊申条 (877)
春日祭。

『日本紀略』元慶元年11月11日戊申条 (877)
平野春日祭。

『日本三代実録』元慶2年2月6日壬申条 (878)
春日祭如常。

『日本三代実録』元慶2年11月4日乙未条 (878)
授春日神主神祇少副正六位上大中臣朝臣常道従五位下。

『日本三代実録』元慶2年11月5日丙申条 (878)
平野春日祭如常。

『日本三代実録』元慶2年11月16日丁未条 (878)
先是。去年天皇聖体違予。右大臣斎戒粛祗。祷翌日之瘥。是日身自向大和国春日神社奉幣。賽先祷也。

『日本紀略』元慶3年2月12日壬申条 (879)
春日祭。

『日本三代実録』元慶3年11月5日庚申条 (879)
平野春日祭如常。

『日本紀略』元慶4年2月12日丙申条 (880)
春日祭。

『日本紀略』元慶4年11月10日庚申条 (880)
平野春日祭。

『日本紀略』元慶5年2月6日甲申条 (881)
春日祭。

『日本紀略』元慶5年11月3日丁未条 (881)
発春日祭使。

『日本紀略』元慶5年11月4日戊申条 (881)
平野春日祭。

『日本三代実録』元慶6年2月11日甲申条 (882)
春日祭如常。

『日本三代実録』元慶6年10月25日甲子条 (882)
令大和国結作春日神社馬場埒。并加掃除。先是。毎年春秋祭日。令興福寺結作馬埒。洒掃塵穢。寺家言。仏神異道。忌祟応避。寺之此作。実乖物情。故改之。

『日本三代実録』元慶6年11月4日壬申条 (882)
停平野春日等祭。以去月三日大蔵省人死。今月三日満穢限。今日以前不能下供神物也。

『日本三代実録』元慶6年11月16日甲申条 (882)
春日祭如常。

『日本三代実録』元慶7年11月9日壬申条 (883)
平野春日祭如常。

『日本三代実録』元慶8年2月5日丙申条 (884)
是日。春日祭如常。

『日本三代実録』元慶8年8月26日甲寅条 (884)
新造神琴二面。奉充春日神社。以神護景雲二年十一月九日所充破損也。

『日本紀略』元慶8年11月3日庚申条 (884)
平野春日祭。

『日本三代実録』仁和元年9月22日癸卯条 (885)
分遣使者於賀茂上下。松尾。稲荷。住吉。石清水。高賀茂。平野。春日。大原野。梅宮十一神社奉幣。告文曰。天皇〈我〉詔旨〈止〉掛畏〈支〉賀茂大神〈乃〉広前〈尓〉申賜〈倍止〉申〈久〉。頃間天皇〈我〉御為〈尓〉。不祥之事可有〈之止〉。就事〈天〉所示〈奈毛〉有〈留〉。如此之事〈乎波〉。掛畏〈支〉皇大神〈乃〉広恵〈尓〉依〈天之〉。予防〈倍岐〉物〈奈利止奈毛〉所念行〈須〉。故是以。参議正四位下行近江権守源朝臣是忠〈乎〉差使〈天〉。礼代〈乃〉大幣〈乎〉令捧持〈天〉奉出〈須〉。掛畏〈支〉皇太神。此状〈乎〉平〈久〉聞食〈天〉。天皇朝廷〈乎〉宝位無動〈久〉。常磐堅磐〈尓〉。夜守日守〈尓〉護幸賜〈比〉。諸不祥事〈乎波〉未然〈尓〉防除賜〈比天〉。風水之災不発賜〈天〉。五穀豊稔〈尓〉天下平安〈尓〉守護賜〈倍止〉。恐〈美〉恐〈美毛〉申賜〈久止〉申。余社告文又復准斯。

『日本紀略』仁和元年11月4日甲申条 (885)
春日平野祭。

『日本三代実録』仁和2年2月10日庚申条 (886)
春日祭如常。

『日本三代実録』仁和2年11月9日甲申条 (886)
平野春日祭並如常。

『日本三代実録』仁和3年2月4日戊申条 (886)
祈年祭并春日祭如常。

『類聚三代格』2(年分度者事)・仁和3年3月14日符 (887)
太政官符
 応加試年分度者二人事
  一人為大比叡明神分大毘廬遮那経業
  一人為小比叡明神分一字仏頂輪王経業
右延暦寺座主法眼和尚位円珍表偁。故祖師法印大和尚位最澄。延暦末年奉使入唐。求法事訖。臨廻請於当州公馮。且明州主朝議郎使持節明州諸軍事守明州刺史上柱国熒陽鄭審則批判求法目録称。最澄闍梨。性稟生知之才。来自礼義之国。南登天台之嶺。窮智者之法門。西泛鏡湖之水。深潅頂之神秘。可謂法門竜象青蓮出池者。然則西朝重我国家称為礼義之郷。当寺法主大比叡小比叡両所明神。陰陽不測。造化無為。弘誓亜仏。護国為心。所伝真言潅頂之道。所建大乗戒壇之検。祖師創開専頼主神。若不然者。何立此業永鎮国家。頃年度僧惣八箇人。其六人者於東塔院春秋試度。惣為鎮国不捐其分。其二人者於西塔院春三月試度。就中一人為賀茂明神分。一人為春日明神分。主神独無其分。貞観二年擬奏斯由。依違不言。黙而至此。自彼以来冥祟稍頻。遂不言者恐神明怒。且夫毘廬遮那経者。八万法蔵之肝心。陀羅尼教之梁棟也。随経義釈七百余紙。文理甚深。局智難会。而旧置年分。只是一人。学徒乏少。大道猶哽。又仏頂輪王経者真言之枢機。法城之門戸也。所以祖師積年。耽習甚得呪験。仍於 延暦天子聖躬不予之時。依経修法奉資宝祚。山家之開泰莫不頼此功。是以東西弟子至今勤修。円珍伏見。仏法中興莫過承和之聖代。山神膺慶偏仰当時之鴻慈。伏望。蒙加度者二人為両神之分。解地主之結恨。増護国之冥威。即以三月十七日与元初二人同共試度。自余事条准延暦弘仁両朝之格。又授戒之後毎日読金剛般若経各一巻。誓願両山。奉護一天。十二年末恒奏巻数。復試之日除金光明経並読六巻止観者。中納言従三位藤原朝臣山陰宣。奉 勅。宜依来表。須准去延暦廿五年正月廿六日格永以行之。
  仁和三年三月十四日

『日本三代実録』仁和3年3月14日戊子条 (887)
勅加試延暦寺年分度僧二人。其一人大毘盧遮那経業。為大比叡神分。其一人一字頂輪王経業。為小比叡神分。先是。彼寺座主前入唐尋教釈法眼和尚位円珍上表言。国之為国。本依設礼。人之為人。亦由行礼。故書曰。人有礼則安。無礼則危。経曰。人能行礼。得生天上。是知。内経外書。以礼存立。故祖師法印大和尚位最澄。延暦末年。奉使入唐。求法事訖。臨廻請当州公憑。且明州朝議郎使持節明州諸軍事守明州刺史上国柱熒陽鄭審則批判求法目録称。最澄闍梨。性稟生知之才。来自礼儀之国。南登五台之嶺。窮智者之法門。西泛鏡湖之水。探潅頂之神秘。可謂法門竜象。青蓮出池者。然則西朝重我国家。称為礼儀之郷。当寺法主大比叡小比叡両明神。陰陽不測。造化無為。弘誓亜仏。護国為心。所伝真言潅頂之道。所建大乗戒壇之検。祖師創開。専頼主神。若不然者。何立此業。永鎮国家。頃年度僧。惣八箇人。其六人者於東塔院。春秋試度。惣為鎮国。不捐其分。其二人者。於西塔院。春三月試度。就中一人為賀茂明神分。神分。一人為春日明主神独無其分度僧。実是闕礼者也。去貞観二年擬奏斯由。依違不言。黙而至此。自彼以来。窅祟頻繁。遂不言者。恐神明怒。且夫毘盧遮那経者。八万法蔵之肝心。陀羅尼教之梁棟也。随経議釈七百余紙。文理尋深。局知難会。而旧置年分。只是一人。学徒乏少。大道猶哽。又頂輪王経者。真言之枢機。法城之門戸也。所以祖師積年耽習。其得呪験。仍於延暦天子聖躬不予之時。依経修法。奉資宝祚。山家之開泰。莫不頼此功。是以。東西弟子。至今勤修。円珍伏見。仏法中興。莫過承和之聖代。山神膺慶。偏仰当時之鴻慈。伏望蒙加度者二人。為両神之分。解地主之結恨。増護国之冥威。即以三月十七日。与元初二人。同共試度。自余事条。准延暦弘仁両朝之格。又受戒之後。毎日読金剛般若経各一巻。誓願両山。奉護一天。十二年末。恒奏巻数。復試之日。除金光明経。並読六巻止観者。至此従之。須准延暦廿五年正月廿六日度年分僧格。永以行之。

『類聚三代格』2(年分度者事)・寛平7年10月28日符 (895)
太政官符
 応四月十五日以前行授戒事
右得延暦寺牒偁。被太政官今年三月七日下当寺牒偁。如聞諸寺他宗応得度者。各就便宜労下宣旨。直預彼寺授戒。論之正道。理不可然。大納言正三位兼行左近衛大将皇太子傅陸奥出羽按察使源朝臣能有宣。奉 勅。凡天台宗年分之外臨時度者。寺家具注官符日月依止師主。二月以前直申送官。更待符到。三月之内令授戒畢。自今以後永為恒例者。謹案牒旨。二月言上之制雖限臨時度者。而三月授戒之期未降年分度者。若以年分准臨時者。授戒之期太早。若令臨時随年分者。旧格之旨得宜。伏検去貞観八年閏三月十六日格云。寺家牒偁。太政官去年三月十五日下治部省符偁。検旧例。年分度者経二箇年。臨時度者経三箇年。然後令受戒者。然而山家年分既異諸宗。得業以後何更経年。凡年々試度年々受戒謂之年分。若不尓者恐有所闕。伏冀。依先師式当年授戒。則閉山門。誓護国家。又雖臨時度者不必経三年。縦雖少年而廿歳以上才行兼備堪為僧者。方加試練同聴登壇。謹請処分者。右大臣宣。奉 勅。年分度者依請。自余一同去年三月十五日符者。寺依格旨行来無闕。又於臨時度者応受戒者。皆依宣旨乃聴登壇。而今官牒下寺制依宣旨而授戒。禁遏三月以後授戒。官牒之旨最有理致。但三月受戒之期於当寺甚早也。所以然者。当寺年分惣一十人。皆是 先皇御願也。就中二人奉為大小比叡両神。三月十七日試度之。二人奉為賀茂春日両神。三月廿五日試度之。然則余程無幾式月已迫。凡年分学生等。幼稚離郷長大住山。各勤学業更無他計。纔預度例乃求戒具。染縫三衣買備一鉢。非是啻一二日之功。授戒何畢三月之内。因是欲令二人待後年者。得度既畢。属神分授戒。豈闕年料。望請。官裁当寺授戒之事。准於貞観七年三月十五日格。四月十五日以前定戒日行之。又臨時度者与年分度者同日令受戒。並十六日結夏安居鎮護国家者。大納言正三位兼行左近衛大将皇太子傅民部卿陸奥出羽按察使源朝臣能有宣。奉 勅。依請。
  寛平七年十月廿八日

『類聚三代格』19(禁制事)・寛平7年12月3日符 (895)
太政官符
 応禁止五位以上及孫王輒出畿内事
右大納言正三位兼行左近衛大将皇太子傅民部卿陸奥出羽按察使源朝臣能有宣。奉 勅。五位已上及孫王不出畿外之制。先建憲章従行尚矣。今如聞。畿内百姓愁歎無極。公事私業或失其勤。試遣使者略問部内。所申雖多。其尤甚者。権貴雑居動為煩苦。宜禁止件輩輒出稍慰民意。唯高年送老之徒。痼疾就医之地。各量穏便可有処分者。仍須七十以上并宿病尫弱。或遂療治之便。或立終焉之謀者。申牒国司。依実修解。被報符後聴任居住。国司若不拠実処之科責。曾不寛宥。但山城国内東至会坂関。南至山埼。与渡。泉河等北涯。西至摂津丹波等国堺。北至大兄山南面不在制限。大和国春日社二月十一月祭。興福寺三月国忌斎会。同寺十月維摩会。薬師寺三月最勝会等。応参氏人及散位諸司五位以上。其人有限臨期直参。又諸人氏神多在畿内。毎年二月四月十一月何廃先祖之常祀。若有申請者直下官宣。如此之類往還有程。不得任意留連経日遊蕩。其違越者録名言上。処違勅罪。
  寛平七年十二月三日


>>この頁の冒頭へ  || >>地域別一覧 || >>国名から神社を検索  || >>地図から神社を検索

國學院大學21世紀COEプログラム
Copyright © 2004 Kokugakuin University. All Rights Reserved.