國學院大學(Kokugakuin University)神道・神社史料集成(Shinto Jinja Database)21世紀COEプログラム(21st Century Center of Excellence (COE) Program)
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名神


『続日本紀』天平2年10月庚戌(29日)条(730)

使渤海信物於諸国名神

『続日本紀』天平宝字8年11月癸丑(20日)条(764)

使-幣於近江国名神是。仲麻呂之走也。朝庭遥望-請国而莫所以宿也。

『続日本紀』延暦7年5月己酉(2日)条(788)

曰。使雨於伊勢神宮及七道是夕大雨。其後雨多。遠近周匝。遂矣。

『続日本紀』延暦9年5月甲午(29日)条(790)

炎旱経月。公私焦-幣畿内焉。

『続日本紀』延暦10年7月庚申朔条(791)

炎旱旬。-幣畿内諸

『日本紀略』延暦11年6月戊子(5日)条(792)

-幣於畿内皇太子也。

『日本紀略』延暦13年9月戊戌(28日)条(794)

幣帛於諸国于新也。

『類聚国史』11(神祇11祈祷)・延暦16年6月壬申(18日)条(797)

使-幣畿内七道諸国皇帝親臨発焉。以万国安也。

『日本後紀』延暦24年7月癸巳(26日)条(805)

使-幣於畿内也。

『類聚国史』173(災異7疾疫)・大同3年2月丙子(24日)条(808)

大極殿-天下疫気也。

『日本後紀』大同4年正月乙未(18日)条(809)

下二天下諸大般若経一奉読供養。-置国分国分者。定額

『類聚国史』11(神祇11祈祷)・弘仁元年7月丙辰(18日)条(810)

勅。夏苗已茂。秋稼始熟。風雨失時。嘉穀害。下二使畿-

『日本紀略』弘仁元年8月丙子(8日)条(810)

-以祷病。

『日本後紀』弘仁2年7月己酉(17日)条(811)

安芸国佐伯郡速谷神伊都岐島神。並名神例。兼四時

『日本後紀』弘仁3年6月壬子(26日)条(812)

勅。甘沢不降。彼南神霊垂祐。幣畿

『日本後紀』弘仁3年7月丁巳朔条(812)

勅。頃者疫旱並行。生民未安。情切納隍。但神明之道。転福。此災幣於天下

『日本紀略』弘仁4年10月壬午(3日)条(813)

-幣於也。

『日本後紀』弘仁5年9月戊子(15日)条(814)

-也。

『類聚国史』11(神祇11祈祷)・弘仁7年7月癸未(20日)条(804)

勅。風雨不時。田園被害。此則。国宰不之所也。今聞。今茲青苗滋茂。嘉穀盈畝。黎元殷畿内七道諸其官長清慎斎戒。-

『日本紀略』弘仁9年11月丙午(16日)条(818)

筑後国御井郡高良玉垂命神

『日本紀略』弘仁9年12月乙丑(16日)条(818)

丹波国桑田郡出雲社

『日本紀略』弘仁11年6月丙申(26日)条(820)

也。

『類聚符宣抄』3・弘仁12年7月20日宣旨(821)

風土異令。人願不同。自今以後。可之状。然後特国内奉幣祈請。一国之諸国之異災於天
弘仁十二年七月廿日  少外記宮原宿祢村継

『類聚国史』11(神祇11祈祷)・弘仁12年8月丙寅(3日)条(821)

勅。今嘉穀垂穂。多稔方熟。風水為災。其傷-幣也。

『日本紀略』弘仁12年8月辛巳(18日)条(821)

-也。

『日本紀略』弘仁14年5月甲寅朔条(823)

使-幣諸道皇帝始即也。

『類聚国史』11(神祇11祈祷)・天長元年8月丁丑朔条(824)

幣帛風雨也。

『日本紀略』天長6年2月庚午(20日)条(829)

-幣五畿七道也。

『類聚国史』11(神祇11祈祷)・天長7年7月甲申(12日)条(830)

使十八-幣五畿内七道諸国也。

『類聚国史』11(神祇11祈祷)・天長8年8月庚午(5日)条(831)

-風雨之也。

『釈日本紀』15(述義11・29-神造是島響也)所載『日本後紀』天長9年5月癸丑(22日)条(832)

伊豆国言上。三島神伊古奈比咩神。二前此神平造之地。二千町許。神宮二院。池三神異之事。不

『類聚国史』11(神祇11祈祷)・天長9年7月乙巳(15日)条(832)

-幣五畿内七道諸国也。

『類聚国史』185(仏道12僧位)・天長9年8月庚午(11日)条(832)

也。又下二十三大寺僧二百卅二今月八十五-読大般若其二百口僧。各位一

『続日本後紀』天長10年7月戊子(3日)条(833)

越後国蒲原郡伊夜比古神彼郡毎也。

『続日本後紀』天長10年閏7月乙卯朔条(833)

勅。于秋洪水敗稼。大風害物。古来尚在。宜下二天下諸-

『続日本後紀』承和元年6月丁未(28日)条(834)

伊勢大神宮及畿内七道名神以祈也。

『続日本後紀』承和元年7月壬戌(13日)条(834)

幣畿内下二諸大寺及諸国講修法。以

『続日本後紀』承和元年8月己亥(21日)条(834)

暴風大雨相并。-抜樹民廬幣畿内

『続日本後紀』承和2年7月乙巳(2日)条(835)

幣於天下風雨之

『続日本後紀』承和2年8月甲戌朔条(835)

霖雨霽焉。幣畿内丹生川上社。殊白馬一

『続日本後紀』承和2年9月辛未(29日)条(835)

上野国群馬郡伊賀保

『続日本後紀』承和2年12月壬午(12日)条(836)

尾張国日割御子神孫若御子神高座結御子神。惣三前奉熱田大神御児神也。

『続日本後紀』承和3年4月甲午(26日)条(836)

-奉幣帛五畿内七道遣唐使也。

『続日本後紀』承和3年7月壬午(15日)条(836)

勅曰。方今時西五穀垂穂。有風雨序。下二五畿内七道諸災未其幣帛料長官自親斎戒。祭

『類聚国史』173(災異7疾疫)・承和3年7月癸未(16日)条(836)

復勅曰。如聞。諸国疫癘間発。夭死者衆。夫者。唯般若冥助。名神厳力而已。宜下二五畿内七道諸国-読般

『続日本後紀』承和3年11月丙寅朔条(836)

勅。-持神一乗之福。修善之五畿七道僧各一国内名神法華経一国司検校。務

『続日本後紀』承和3年11月己巳(4日)条(836)

美濃国不破郡仲山金山彦大神従五位

『日本紀略』承和4年6月己未(28日)条(837)

勅云々。使山城大和-幣名又勅下二五畿内七道諸-

『続日本後紀』承和4年8月戊戌(7日)条(837)

伊予国従四位下大山積神。従五位下野間神。並

『続日本後紀』承和5年7月壬申(17日)条(838)

幣内外諸国也。

『続日本後紀』承和5年8月癸丑(28日)条(838)

降雨殊切。-幣賀茂松尾乙訓垂水住吉以祈焉。

『続日本後紀』承和6年4月辛未(20日)条(839)

一向下二七道諸国

『続日本後紀』承和6年5月丙午(26日)条(839)

大和国葛上郡従三位高天彦神

『続日本後紀』承和7年6月癸酉(29日)条(840)

勅。頃者澍雨頻降。嘉穀滋茂。如五畿内七道諸国。幣於焉。

『続日本後紀』承和8年2月己酉(8日)条(841)

備前国邑久郡安仁神焉。

『続日本後紀』承和8年7月己丑(21日)条(841)

勅。下二五畿内七道諸

『続日本後紀』承和9年3月丁巳(22日)条(842)

使-松尾鴨御祖鴨別雷乙訓也。是日雨降。通宵不緩。

『続日本後紀』承和9年9月辛亥(20日)条(842)

勅。去四月四日御卜曰。来年春夏間。可-幣於伊勢大神幣於天下災於未

『続日本後紀』承和9年11月乙卯(25日)条(842)

讃岐国粟井神

『続日本後紀』承和10年正月丁酉(8日)条(843)

勅。如聞。疫癘間発。夭死者衆。加之。狂花発兮来二于九上三十五大寺及七道諸国々分二并定額寺。名神等寺。仁王般若

『続日本後紀』承和10年4月己未朔条(843)

正五位下酒解神。従五位下大若子神。従五位下小若子神三前。並奉従四位下。従五位下自玉手祭来酒解神一前正五位

『続日本後紀』承和10年4月丁丑(19日)条(843)

山埼神

『続日本後紀』承和10年7月丁酉(10日)条(843)

-幣於天下

『続日本後紀』承和10年10月壬申(17日)条(843)

梅宮従四位下酒解子神一前。平野社一前。

『続日本後紀』承和12年4月癸卯(27日)条(845)

-幣於畿内雨。

『続日本後紀』承和12年5月丙辰(10日)条(845)

勅。比者渉雨。新苗将燋。而今嘉雨稍降。井邑赴農。畿外之国。何。五畿内七道諸-幣於兼毎雩。雨降度。

『続日本後紀』承和12年12月庚辰(7日)条(845)

従四位下稲荷神名神

『続日本後紀』承和13年4月丁亥(17日)条(846)

常陸国那賀郡従五位下勲八等吉田神

『続日本後紀』嘉祥元年3月壬申(13日)条(848)

勅奉山城国乙訓郡山埼明神御戸代田二

『続日本後紀』嘉祥元年5月辛未(13日)条(848)

陸奥国従五位下勲九等刈田嶺名神正五位余如故。

『続日本後紀』嘉祥元年5月庚辰(22日)条(848)

武蔵国無位枌山名神従五位

『続日本後紀』嘉祥元年6月丁酉(10日)条(848)

勅曰。陰陽寮申云。今茲秋雨応者若下二五畿内七道諸-幣於-止雨

『日本紀略』嘉祥元年7月丁卯(10日)条(848)

-幣畿内

『続日本後紀』嘉祥元年11月壬申(16日)条(848)

隠岐国伊勢命神明神也。

『続日本後紀』嘉祥2年2月庚戌(25日)条(849)

陰陽寮言。今年疫癘可滋。又四五月応者。勅。頃来染之人。往々夭亡。夫護防之恃。実存済之方。亦下二五畿内七道諸-兼復国分二寺及定額一七ケ日。昼如法修行。必

『続日本後紀』嘉祥3年2月甲寅(5日)条(850)

御病殊劇。皇太子及諸大臣於床下二四衛府及内竪綿-散四-経諸左右馬寮御馬六疋松尾諸鷹犬及篭-知近江諸殺梵釈寺延命故也。僧綱十禅師及有験者於御簾絹十二続命十二大寺左右馬寮各調走馬十於八省東廊

『文徳天皇実録』嘉祥3年5月丙戌(9日)条(850)

制。七十発願誓念。其得度者。皆於名

『文徳天皇実録』嘉祥3年9月庚子(26日)条(850)

侍従従五位上島江伊勢大神神祇大副従五位下中臣朝臣逸志賀茂大神神祇権少祐正六位上占部業基尾張大神賀瑞之-祓於建礼門使也。又-知五畿七道諸賀端之

『類聚三代格』1(神叙位并託宣事)・嘉祥4年正月27日官符(851)

太政官符
国内諸神不有位無正六位
右太政官去年十二月廿八日五畿内七道諸符偁。右大臣宣。奉 勅。特有思。天下大小諸神。或本或未簿有位更無位新唯大社并名神従五位者。而今推量。六位之中其階有四。于奉必応疑。従五之外。不有位無正六位
嘉祥四年正月廿七日

『文徳天皇実録』仁寿元年6月甲寅(13日)条(851)

近江国散久難度

『文徳天皇実録』仁寿2年4月甲辰(8日)条(852)

下二使五畿七道諸名神

『文徳天皇実録』仁寿2年7月乙亥(10日)条(852)

下二使賀茂松尾稲荷貴布祢即日

『文徳天皇実録』仁寿3年6月己巳(10日)条(853)

大和国金峯

『文徳天皇実録』仁寿3年6月庚午(11日)条(853)

尾張国多天

『文徳天皇実録』仁寿3年6月甲戌(15日)条(853)

伊予国村山

『文徳天皇実録』仁寿3年7月甲午(5日)条(853)

駿河国浅間

『文徳天皇実録』仁寿3年11月癸丑(27日)条(853)

遠江国敬満神

『文徳天皇実録』斉衡元年4月丙辰(2日)条(854)

河内国大雷火明神従五位

『文徳天皇実録』斉衡元年4月丁巳(3日)条(854)

下二伝灯大法師位智戒。興智。真秀。伝灯法師位明昭。玄永。伝灯満位僧基蔵。基七道諸国名神-読般也。

『文徳天皇実録』斉衡2年正月壬寅(21日)条(855)

伊勢国阿耶賀

『文徳天皇実録』斉衡2年4月乙卯(7日)条(855)

下二使備中-吉備津彦

『文徳天皇実録』斉衡2年5月丁卯(20日)条(855)

筑後国高良玉垂名神位田四

『文徳天皇実録』斉衡2年9月癸丑(7日)条(855)

園神

『文徳天皇実録』斉衡3年4月甲戌(2日)条(856)

詔。諸国三位已上名神々主及祢宜祝等。並

『文徳天皇実録』天安元年2月乙酉(17日)条(857)

下二使内外諸名神木連理白鹿等之宣制曰。天皇詔旨。掛畏諸大神広前。恐美毛申賜ヘ止。維斉衡三年十月廿日。公卿奏。常陸国木連理献。同年十二月十三日。美作国白鹿良久乎世利。如嘉瑞。聖皇御世。天地示賜止奈毛聞食。是薄徳ヘ支尓波。掛畏皇大神慈賜示賜ヘ留奈利止天奈毛。貴喜受賜。御代。天安元年。申賜使。礼代大幣帛奉出。此状奈可良聞食。風雨災無。天下饒足之女。天皇朝廷。今弥益々。常盤堅盤。夜守日守利尓護賜ヘ止。恐見毛申賜波久止申。

『文徳天皇実録』天安元年10月丁卯(3日)条(857)

筑後従三位高良玉垂命名神。従五位下豊比咩神等。封戸并位

『文徳天皇実録』天安元年10月己卯(15日)条(857)

常陸大洗磯前酒列磯前両神。薬師菩薩

『文徳天皇実録』天安2年4月辛丑(10日)条(858)

冷泉院南大祓。為名神社奉幣帛之使

『文徳天皇実録』天安2年8月丁未(19日)条(858)

山城従五位下鴨川合神

『類聚三代格』2(年分度者事)・貞観元年8月28日官符(859)

太政官符
-度延暦寺年分度者二
一人-賀茂大安楽経一部卅八
一人-春日維摩詰所説経一部三
並可-試法花金光明経二
右十禅師伝燈大法師位恵亮表偁。恵亮去嘉祥三年八月五日 陛下之日。-啓所已畢。頃年殊降誕臨時得度于八箇年。伏冀。 天慈幸恩勅不三月下旬比叡山西塔宝幢之。然後太政官弘仁十四年之後。先師十二箇年不一日不- 聖恵亮等師資相承此仏但件人等得業以後僧中諸事。天台真言等一同用者。右大臣宣。奉 勅。
貞観元年八月廿八日

『日本三代実録』貞観元年8月28日辛亥条(859)

十禅師伝灯大法師位恵亮表延暦寺年分度者二其一人賀茂大安楽-試法華経金光明一人春日維摩詰所説-試法華経金光明表曰。恵亮言。皇覚導物。且実且権。大士垂迹。或王或神。故聖王治国。神明之冥神道剪累。調御之慧伏惟。金輪陛下。仏付大法法門余慶。還歟。所維摩不二之典。盛仏境不思之高貴四徳之教。寔仏性常住之並斯如来。護国利人之門。不者也。是以。恵亮等。去嘉祥三年八月五日陛下-啓祈已畢。頃年殊降誕且度。于八年。伏冀。天慈幸永歳三月下旬。比叡山西塔宝幢-然後弘仁十四年官其受戒之後。先師十二年不一日不闕。-恵亮等。師資相承。此仏尽未来際。-護国但件人等。得業以後。僧中諸事。天台真言等一同用之。然則開闢以来仙霊。我朝以後聖王只諸神歳々威。亦乃群生日々長福。茲大我皇伏願。長寿次則-薫田邑聖四流高謝。五智円顕。竜天風雨之率土昇平之然後竪-昇覚

『日本三代実録』貞観元年10月28日庚戌条(859)

鋳銭司新鋳名神社并諸山-賜親王已各有差。

『日本三代実録』貞観3年正月21日丙申条(861)

詔山城。河内。和泉。摂津及七道諸国近来東大寺大毘盧遮那仏像。功夫既成。仍来三月十四日無遮之大荘厳之妙十一廿-断殺于会国分二-集部内僧其料物便其大宰府観音之。下二下二会集僧-讃盧舎那仏乃至無知小民教我寺知識所毘盧舎那。今日至心応我亦運心。専念同就。広但先帝-拠本願天皇之弘八幡大菩主。天下名神及万民知識此事遂成。始終雖殊。徳業惟一。然則使下二八幡大菩下二諸余々力自本願天皇及先帝御霊。乃至開闢以来登遐聖霊。同表裏夷晏。風雨順時。年穀豊稔。以基。焉。

『日本三代実録』貞観3年5月15日戊子条(861)

使者於近京名神雨。告文曰。天皇詔旨掛畏八幡大菩薩広前申賜倍止。頃者経之天。百姓農業掛畏大菩薩矜賜牟尓天之。甘雨普降。五穀豊熟倍之止念行天奈毛。散位従五位下和気朝臣彜範使。礼代大幣帛奉出。此状平聞食。甘雨忽降之女天。天下豊年之女。天皇朝庭宝位無。常磐堅磐護賜矜賜倍止。恐美毛申賜久止申。自余社告文准此。

『日本三代実録』貞観5年3月4日丙寅条(863)

幣七道諸国今春咳嗽流行。人多疫死。仍名社神感。因以賽之。

『日本三代実録』貞観5年7月4日甲午条(863)

広瀬竜田-遣使幣諸名神

『日本三代実録』貞観6年8月5日己未条(864)

-知甲斐国云。駿河国富士山火。彼国言上。之蓍云。浅間名神祢宜祝等不之所也。仍之状-訖。亦奉幣解焉。

『日本三代実録』貞観7年4月17日丁卯条(865)

勅奉明神松尾神五段。賀茂御祖神五段。別雷神五段。稲荷神三段。平野神五段。大原野神五段。並山城国愛宕。紀伊。乙訓。葛野等郡得度除帳之。下二従五位下行木工権助和気朝臣彜石清水八幡大菩薩楯矛并御告文云。天皇詔旨。掛畏石清水坐八幡大菩薩広前申給。新宮構造天波楯桙及種々神財而神財且奉出己止太利。楯桙并御鞍等乎奈毛利介留。此今造飾。礼代大幣帛。使木工権助従五位下和気朝臣彜範差奉出給。但御鞍三具奈毛奉出須倍加利介留。然申伝太留奈毛。二具天介留。因一具乎波大菩薩。一具乎波卜定大帯命。但比咩大神御料今使。吉日良辰奉出。此状介久聞食。天皇朝庭宝位無。堅石常石。夜守日守護幸。天下国家無護助給倍止。恐美毛申賜波久止申。参議従四位下守右大弁兼行播磨権守大枝朝臣音人平野内蔵頭従五位上藤原朝臣安方太政大臣東京第楯桙御鞍告文石清

『日本三代実録』貞観7年11月4日辛巳条(865)

下二使者於伊勢大神宮明神十一天皇-御内也。

『日本三代実録』貞観7年12月9日丙辰条(865)

勅。甲斐国八代郡浅間明神於官祝祢祭。是。彼国司言。往年八代郡暴風大雨。雷電地震。雲霧杳冥。難駿河国富士大山西峯。急-砕巌今年八代郡擬大領無位伴直真貞託宣云。我浅間明神。欲此国斎頃年百姓病曽覚祝祢々潔奉真貞之身。或伸或屈長短。件等国司之卜於託明神祝。同郡人伴秋吉郡家以南-建神異火之変。于止。下二使千許町。仰而見之。正中最頂-造社丹青立。其四面石高一丈八尺許。広三尺。厚一尺余。立石之門。相去一尺。中一重高構営。彩色美麗。不望請。斎祭兼之。

『日本三代実録』貞観7年12月20日丁卯条(865)

下二甲斐山梨-浅間八代

『類聚三代格』2(年分度者事)・貞観8年閏3月16日官符(866)

太政官符
-戒年分度
延暦寺去年四月十一日偁。左弁官今月九日宣旨偁。太政官去三月十五日治部符偁。年分度者二箇臨時度者三箇沙弥之法花最勝威儀三部然後者。寺者。今之輩誰但此寺年分者惣八人也。就六人。是 先皇御願。国忌之日同今二人即 今帝御願。降誕之-賀茂春日両処唯未以前沙弥亦乃受戒以後不十二箇年。-守公-修三-護国皆是先師遺也。先師之戒既所有行業不得業以後何更経年。若両箇年不歟。凡年々試度年々受戒。之年若不者亦恐歟。伏冀。不先師之当年受戒。則-護国其沙弥威儀経。一試業之日同臨時度三箇何者人入道之前後練業之浅乎。或幼年従修学年深。或長後出或入道如才学優長。或出家経身才猶疎。得失如斯。望請。才与長。行将積之輩。官符三月之内三部其受縦雖而廿歳以上才行兼備堪者。方然則玉石同分。修学無怠。 処者。右大臣宣。奉 勅。年分度者依請。自余一去年三月十五日
貞観八年閏三月十六日

『日本三代実録』貞観8年7月6日戊申条(866)

使於伊勢太神応天門告文曰。天皇詔旨。掛畏伊勢度会宇治五十鈴河上下都磐根大宮柱広敷立。高天千木高知称辞定奉天照坐太神広前申賜倍止。去閏三月十日応天門并東西楼火災在焼尽。其後頻卜求。御体御疾事。又火災兵事等事可卜申世利。因茲。掛畏皇太神仰恃奉。大幣帛奉出賜牟止所念行。穢事頻有奉出恐懼祗畏御坐。因改。大舎人頭従五位上礒江王。神祇大副従五位下大中臣朝臣豊雄等使。忌部神祇権大祐正六位上斎部宿祢高善弱肩大繦取掛。礼代大幣帛大唐綵帛錦綾妙麗添加。持斎奉出賜。此状奈加良聞食。今。未然之外消滅賜。天皇朝廷常盤堅盤。夜守日守護幸奉給申賜波久止申。辞別申。今年旱災有。百姓農業皆悉枯損。此又皇太神厚助天之甘雨令。五穀豊登之女。国家安平矜幸賜申給波久止申。又-幣南海道諸告文曰。天皇詔旨南海道諸名神広前申給。去四月十五日并度々。神祇伯従四位下中臣朝臣逸志之天祷申給之久。去閏三月十日夜。八省応天門并左右楼失火事有。因茲神祇陰陽等乎之天。今亦火災兵警御病事等可卜申。如咎災乎波皇神達厚護恵防掃給部支止念行之天。祷申給。天神地祇平聞食。若狂人国家奈良波。皇神達早顕出給。若神達御意止之天出給我止謹恐聞食。種々災皆悉銷亡給。天皇御体。常磐堅磐。宝祚無護恵給。天下国家平。百姓作食五穀茂豊倍止名神尓波京庫幣帛使。天神地祇仁波国別長官親自潔斎交易官符下給。乍聞食。平護恵助給祷申給。自以降。宮内相仍。穢事依延怠。今穢過後使内竪正八位上斎部宿祢社雄卜定奉給詔旨聞食。今御体天地日月共護恵助給。旱魃風雨災無助給。恐美毛申給申。辞別。念行御意御坐。国麗色纐纈并白綾捧副奉給。平聞食幸恵奉給申給久止申。

『類聚三代格』1(神宮司神主祢宜事)・貞観10年6月28日官符(868)

太政官符
一応-用神事 四箇条内
右太政官弘仁十二年正月四日大和符偁。彼国解偁。部内名神其社有数。或為歳。或為雨。仮令大和大神広瀬竜田賀茂穴師等大神是也。而頃年之間。事不祥之徴間々不息。-尋所太政官延暦十七年正月廿四日五畿内諸符偁。奉 勅。神。福。今神主等。一任終身。侮黷不敬。祟咎屡臻。以後。-択彼氏之中潔清廉貞補任。限相替。秩満之代点定言者。国選点言上。而或点上外被愚吏商量事望請。点上之人一切任用。以泊酌之神聴之者。右大臣宣。奉 勅。請。
一応官人諸社神
右太政官同日符偁。彼国解偁。有之輩若-任神神社傾覆職此之由。望請。-抽無-理神者。同宣。奉 勅。請。
一応下二神主
右太政官同日符偁。彼国偁。祢宜祝等考者。国司勘定。而今于神任中功過無望請。件神主考。国司随褒貶。以者。同宣奉 勅。請。
以前撰格所起請偁。上件事条遵行有便。伏望。-知四畿内及七道諸者。中納言兼左近衛大将従三位藤原朝臣基経宣。奉 請。
貞観十年六月廿八日

『日本三代実録』貞観13年5月16日辛酉条(871)

是。出羽国司言。従三位勲五等大物忌神社飽海郡山巌石壁立。人跡稀到。夏冬戴雪。禿去四月八日山上有火。又有雷。之河。泥水泛溢。其色青黒。臭気充満。人不聞。死魚多浮。擁塞不流。両大長各十許丈。相連流出。入小虵随者不縁河苗稼流損者多。或草木臭朽而不生。于古但弘仁年中山中見火。其後不幾。之蓍並云。彼国名神賽。又冢墓骸骨其山山。此災是日-知国宿鎮謝之焉。

『日本三代実録』貞観15年2月23日戊午条(873)

陰陽寮言。今茲天行応慎。稼穡不登。也。五畿内七道諸幣境内国分及諸定額昼則転経。夜則礼懴。薫修之間。-断殺国司講師斎潔至誠。仏神之冥災疫於未焉。

『日本三代実録』貞観16年閏4月7日乙丑条(874)

山城国正四位上稲荷上中下三名神並奉従三告文曰。天皇詔旨。稲荷神申賜部止。京都之天。公私崇仰御徳高支尓御冠猶卑利天奈毛。殊所念。従三位御冠上奉崇奉。此状神祇大副従五位下大中臣朝臣有本使。御位記申奉出。神奈可良毛聞食。天皇朝廷宝祚無常磐堅磐護幸奉賜。天下平安尓之天。水旱之災。疫癘之憂無。風雨順。五穀豊登世之女波々。弥高弥広栄飾崇奉無止申賜波久止申。

『日本三代実録』貞観17年6月26日丁丑条(875)

-知大宰幣肥後国境内-謝大鳥群烏之也。

『日本三代実録』貞観17年12月13日壬戌条(875)

下二五畿七道諸-幣境内及国分二寺諸定額寺。僧七金剛般若薬師観音明年-除水旱疾疫兵喪火

『日本三代実録』貞観18年10月5日戊申条(876)

-遣使者於五畿七道諸幣境内諸卜筮也。告文曰。天皇詔旨。畿内畿外名神広前申給久止。去四月十日。八省院大極殿火災事在。東西両楼并廊百余間一時焼尽太利。因。今亦火災兵事等可卜申世利。其後城外処々無止世留事在介利。如乎波。皇神達厚護防払部之止念行。祷申給天神地祇平聞食。若悪人国家奈良波。皇神達早顕出給。若天火奈良波。如未然之外払却給。此状。差使奉出。皇神達此状聞食。自以後。諸種々災皆悉銷払給。天皇御体。常磐堅磐護給幸給。風水災不起。天下平安五穀豊登部止申給久止申。

『日本三代実録』元慶元年閏2月26日戊戌条(877)

参河国正五位上狭投神従四位下。尾張国正五位下名神正五位上。上総国正六位上神代神。常世神。飛騨国本母神。剣緒神並従五位

『日本三代実録』元慶2年3月9日乙巳条(878)

-遣使幣馬於賀茂御祖別雷松尾。石清水。稲荷住吉平野。大原野。幣五畿七道諸也。告文曰。天皇詔旨。掛畏平野広前美毛申賜倍止。去秋御体不予御坐時。去八月十九日祈申之久。御体平安護助奉賜。宝位無御坐賜。礼代大幣御馬牽副奉出無止祈申之岐。祈申之毛。平安護助奉賜倍利。因大幣帛。御馬。参議正四位下行左大弁兼左近衛中将近江権守源朝臣舒使奉出。此状聞食。天皇朝廷。今常磐堅磐護幸奉賜。天下平安五穀豊登之米倍止。恐美毛申賜波久止申。自余社告文並准此。

『日本三代実録』元慶8年2月21日壬子条(884)

中納言従三位兼行左衛門督源朝臣能有於山階山陵。参議刑部卿兼行近江守忠貞王於柏原山陵。参議正四位下行皇太后宮大夫兼備中守藤原朝臣国経於嵯峨山陵。参議正四位下行左大弁兼播磨守藤原朝臣山陰於深草山告以也。-遣大中臣氏人等。於五畿七道諸境内名神

『日本三代実録』仁和元年閏3月10日乙未条(885)

隠岐国従四位下天健金草明神従四位

『日本三代実録』仁和元年10月9日庚申条(885)

是。大宰府上言。管肥前国。澍雨不降。七月十一日。国司-幣諸経。十三日夜。陰雲晦合。聞遅明。粉土屑水陸田苗稼。草木枝葉。皆悉焦枯。俄然降雨。-去塵枯苗更正。薩摩国言。同月十二日夜。晦冥。衆星不見。砂石如雨。之故頴娃郡正四位下開聞明神。発之時。国宰潔斎奉幣。雨砂乃止。八月十一日。震声如雷。焼炎甚熾。雨砂満地。昼而猶夜。十二日自雷電。砂降未止。砂石積地。或処一尺已下。或処五六寸已上。田野埋瘞。人民騒動。至是。神祇官卜云。粉土之怪。明春彼国。当陰陽寮占云。府辺東南之神。当-去於隣是。蚕麻穀稼。有是以。-知府下二彼両-幣部内衆焉。

『日本三代実録』仁和2年8月7日癸丑条(886)

去四霖雨。至大風雨洪水。-遣使者於賀茂松尾稲荷貴布祢丹生河上告文曰。天皇詔旨。掛畏松尾大明神広前申賜倍止申。方今秋稼登熟須留奈利。大神厚護天之。風雨災不之天。五穀豊稔倍之止奈毛所念行。故是以正親司少令史従八以上斎部宿祢岑吉使。礼代大幣帛奉出。此状奈可良毛聞食。風雨之災防除給。五穀茂盛天下饒足之女。天皇朝廷宝祚無。常磐堅磐夜守日守利尓護幸奉賜倍止。恐美毛申給久止申。自余社告文准此。丹生河上貴布祢二社加白馬各一

『類聚三代格』2(年分度者事)・仁和3年3月14日官符(887)

太政官符
-試年分度者二
一人大比叡明神大毘廬遮那経業
一人小比叡明神一字仏頂輪王経業
右延暦寺座主法眼和尚位円珍表偁。故祖師法印大和尚位最澄。延暦末年奉使入唐。求法事訖。臨於当公馮。且明州主朝議郎使持節明州諸軍事守明州刺史上柱国熒陽鄭審則批判求法目録称。最澄闍梨。性生知之礼義之天台之智者之法西鏡湖之灌頂之神法門龍象青蓮出者。然則西朝我国礼義之当寺法主大比叡小比叡両所明神。陰陽不測。造化無為。弘誓亜仏。護国為心。真言灌頂之道。所大乗戒壇之検。祖師創開専若不者。何頃年度僧惣八箇人。其六人者東塔春秋試度。惣其二人者西塔春三月試度。就一人賀茂明神一人春日明神主神独貞観二年擬依違不言。黙而至此。以来冥祟稍頻。遂不者恐神明怒。且夫毘廬遮那経者。八万法蔵之肝心。陁羅尼教之梁棟也。随経義釈七百余紙。文理甚深。局智難会。而旧只是一人。学徒乏少。大道猶哽。又仏頂輪王経者真言之枢機。法城之門戸也。所以祖師積年。耽習甚 延暦天子聖躬不予之修法奉山家之開泰莫是以東西弟子至勤修。円珍伏見。仏法中興莫承和之聖山神膺当時之鴻伏望。-加度者二両神之地主之結護国之冥三月十七元初二同共試度。自余事条延暦弘仁両朝之又授戒之後毎金剛般若経各一-願両-護一十二年末恒復試之日金光明六巻止者。中納言従三位藤原朝臣山陰宣。奉 勅。去延暦廿五年正月廿六日之。
仁和三年三月十四日

『日本三代実録』仁和3年3月14日戊子条(887)

-試延暦寺年分度僧二其一人大毘盧遮那経業。大比叡神其一人一字頂輪王経業。小比叡神是。彼寺座主前入唐尋教釈法眼和尚位円珍上表言。国之為国。本依礼。人之為人。亦由礼。故書曰。人有則安。無則危。経曰。人能行礼。是知。内経外書。以存立。故祖師法印大和尚位最澄。延暦末年。奉使入唐。求法事訖。臨於当州公且明州朝議郎使持節明州諸軍事守明州刺史上柱国熒陽鄭審則批判求法目録称。最澄闍梨。性生知之礼儀之天台之智者之法西鏡湖之灌頂之神法門龍象。青蓮出者。然則西朝我国礼儀之当寺法主大比叡小比叡両明神。陰陽不測。造化無為。弘誓亜仏。護国為心。真言灌頂之道。所大乗戒壇之検。祖師創開。専若不者。何頃年度僧。惣八箇人。其六人者東塔春秋試度。惣其一其二人者。西塔春三月試度。就一人賀茂明神一人春日明神主神独其分度実是闕者也。去貞観二年擬依違不言。黙而至此。以来。窅祟頻繁。遂不者。恐神明怒。且夫毘盧遮那経者。八万法蔵之肝心。陁羅尼教之梁棟也。随経義釈七百余紙。文理甚深。局知難会。而旧只是一人。学徒乏少。大道猶哽。又頂輪王経者。真言之枢機。法城之門戸也。所以祖師積耽習。其延暦天子聖躬不予之法。山家之開泰。莫是以。東西弟子。至勤修。円珍伏見。仏法中興。莫承和之聖山神膺慶。当時之鴻伏望蒙度者二両神之地主之結護国之冥三月十七元初二同共試度。自余事条。延暦弘仁両朝之又受戒之後。毎日金剛般若経各一-願両-護一十二年末。恒復試之日。金光明六巻止者。至之。延暦廿五年正月廿六日度年分僧之。

『日本三代実録』仁和3年4月6日己酉条(887)

天皇大極殿下二参議正四位下行近江守源朝臣是忠於伊勢大神幣。-遣使-幣山城国八幡。伊勢国多度。近江国日吉。駿河国浅間明神

『日本紀略』寛平6年9月30日己丑条(894)

対馬島上県郡正五位上和多都美名神。下県郡正五位上名神並従四位下。正四位下多久豆名神正四位上。従五位上小坂宿祢名神正五位下。正六位上石剣名神従五位

『類聚三代格』1(神社事)・寛平7年6月26日官符(895)

太政官符
-制大和国丹生川上雨師神社
四至  南大山 西板波 北猪鼻
神祇官偁。大和神社神主大和人成解状偁。別社丹生川上雨師神祝祢宜等解状偁。謹名神云。不之深山吉野丹生川上。我宮以敬祀者。者。馬。仍四至之内。-牧神-制狩而国栖戸百姓并浪人等。事供-妨神爰祝祢宜等依敢相者。所実。仍申送者。官 官者。大納言正三位兼行左近衛大将皇太子傅陸奥出羽察使源朝臣能有宣。-知彼
寛平七年六月廿六日

『類聚三代格』2(年分度者事)・寛平9年6月23日官符(897)

太政官符
-度金勝寺年分者二
一人-為甲賀郡飯道名神。坂田郡山津照
一人-為野洲郡三上兵主
法花経一部八巻。最勝王経一部十並法相宗
近江国偁。甲賀野洲両郡解偁。謹金勝寺之古応化聖金粛菩 朝庭尊崇。黎民帰依。金粛尸解之後。興福寺故伝灯大法師位願安。-居此修練無比。弘仁年-為国-立伽唱導声価都鄙騰躍。厚此勝-造精-置仏八宗-写一切経論并一千一百部法花之長于晩-読法之三 承和聖帝殊-入灯額金智行者継踵。研学者並肩。是以二時長講逐欠。終日三昧守休。今件甲賀郡飯道名神。坂田郡山津照名神。野洲郡三上兵主両名神等。国家人民山門之精護法之鎮吏民之祝必彼寺既国中部内攘亦已久矣。就二箇郡尤是故毎使望請。速-為四所件二人度唯両郡例輸之外。毎課丁一調庸之之年分者。専京戸之外土之其年分試業諸寺課試。得度之後六箇年間不便各-読本業-願彼-衛国-護村者。国 官者。従三位守権大納言兼右近衛大将行民部卿菅原朝臣道真宣。奉 勅。請。
寛平九年六月廿三日

『日本紀略』昌泰元年7月20日戊子条(898)

-知七道諸幣神宝於諸名神或云。廿六日発遣之。

『日本紀略』昌泰元年8月23日庚申条(898)

-遣使者於伊勢大神宮并五畿七道諸又豊前国宇佐宮

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