岡本 保孝‖オカモト ヤスタカ  


〔生没年〕 寛延2年(1749)9月21日 〜 文化14年(1817)4月19日  〔享年〕69

〔生国・住国〕 山城愛宕郡 : 京都府




〔姓〕賀茂県主 〔称〕房千代・弁之介・薩摩介・肥後守 〔号〕□○斎・淪精斎 〔諡〕栄壽院殿徳温賢良居士


【 解説 】


 旗本若林包貞の2男。幕臣岡本氏を嗣ぐ。
 清水浜臣に和学を、狩屋?斎に漢学を学ぶ。維新後は大学中博士となり、編輯課に勤仕。幅広い専門知識を持ち、蔵書を豊富に所蔵していて、その結実と言うべき岡本況斎雑著・況斎叢書は近世考証学上の偉大な業績である。歌集に『またるゝ声』『まるをの松』、歌学書として『国学復古派系統』がある。

(参照:日本人名大事典. 第1巻)


【 年譜 】





【 出典 】



 〔関連文献〕

京都名家墳墓録 / 寺田貞次. -- 村田書店, 1976
国学院大学図書館収蔵神道書籍解説目録. 第3輯. -- 国学院大学図書館調査室, 1984


( 和学者総覧:2564 )