打它 公軌∥ウダ キンノリ 隠遁歌人
〔生没年〕 ? ~正保4年(1647)3月14日
〔生国〕 越前敦賀 : 福井県敦賀市
〔住国〕京都 : 京都府
〔墓地〕 京都妙光寺
〔学統〕 木下勝俊・松永貞徳
【 解説 】
飛騨国主の金森長近に仕えた金山奉行茂住(打它)宗貞の嫡男として生れたが、家を継がず若い頃より隠遁生活を送る。敦賀から京都に移り住み、洛西鳴滝の妙光寺を再興した。
木下長嘯子の門下となり和歌を学ぶ。その見識を高く評価され、上皇から『万葉集』の注釈を下賜された。また、和歌と共に茶道や書も嗜んだという。
(参照:国学者伝記集成. 第1巻)
【 年譜 】
慶安2(1649)【刊行】挙白集 《きょはくしゅう》
【 出典 】
〔地方自治体史誌〕
福井県敦賀郡誌/敦賀郡役所.--名著出版,1972