梅田 春濤∥ウメダ シュントウ  円林寺住職 ・ 国学者


〔生没年〕 天保4年(1833)~明治36年(1903) 〔享年〕71

〔生国・住国〕 伊勢員弁郡 : 三重県員弁郡



〔学統〕 六人部是香

〔名〕誘勧


【 解説 】


 勢州員辨郡白瀬村に生まれる。弘化5年(1848)園琳寺住職となる。安政元年(1854)9月京都にあって、喘疾に罹り帰郷した後、其の職を弟暁雲に譲り退居した。
 若くして儒学や佛学に志し、本山高倉寮に往来して宗餘二乗を修め、神史を六人部是香に学びその奥義に通じ、国典に精通した。退去した後は、読書を楽しみ、赤心学校を興して子弟の教養に力めた。その薫化に浴するものは約1000人におよんだ。著作に『所護法階梯』、『駁平田篤胤』、『神敵二宗論』、『猪名部神社考』などがある。

(参照:国学者伝記集成. 続編、 三重先賢伝)


【 年譜 】


天明6(1786)3月、越前今立郡に生まれる。
弘化5(1848)園琳寺住職となる。
安政元(1854)9月、京都喘疾に罹り帰郷した後、其の職を弟暁雲に譲り退去。




【 出典 】



 〔事典・伝記〕

三重先賢伝 / 浅野松洞. -- 玄玄荘, 1931
越前若狭の民俗事典 / 斎藤槻堂著. -- 越前若狭の民俗事典刊行会, 1981
女流著作解題 / 女子学習院. -- 東出版,1997. -- (辞典叢書;21)


( 和学者総覧:1673、 国学者伝記集成. 続編 )