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ホーム >> COEプログラム事業の遂行と成果について >> a. 調査 >> グループ2「神道・日本文化の形成と発展の研究」
第2回「出雲地域における神社の資料論的研究」に関する調査 
公開日: 2004/12/16
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1.調査テーマ:
  日御碕神社、ならびに同社宮司家小野家所蔵の文書・神像等資料調査ほか

2.調査日:
 平成16(2004)年11月22日〜26日

3.調査地:
 日御碕神社(島根県簸川郡大社町日御碕) 
 文化伝承館(島根県出雲市浜町)ほか

4.調査参加者:
 三橋 健(本学大学院文学研究科助教授・COE事業推進担当者)
 新井大祐(本学COE研究員・同日本文化研究所共同研究員)
 菊地晋介(本学大学院文学研究科神道学専攻博士課程後期)
 上野 力(本学大学院文学研究科神道学専攻博士課程前期)

5.調査目的:
  第1回(平成15年11月12日〜15日)の調査では、事業推進担当者三橋以下4名が、日御碕神社(島根県簸川郡大社町日御碕)において、主として日御碕神社本『出雲國風土記』(県重文)や巻子本(絵巻・絵図)、ならびに神像等の調査・撮影を行った。
そこで今回は、特に同社蔵の「日御碕神社文書」ならびに「小野家文書」中の社記・系譜類や、同社より出雲市立文化伝承館に寄託中の神像(約150躯)の調査・撮影を行うとともに、同社摂末社や宮司(検校)家の墓所など周辺地域の地理的調査を行い、多角的な視座から同社の信仰史を考察するための資料収集につとめた。

6.調査概要
 (1)日御碕神社所蔵「日御碕神社文書」・「小野家文書」、および周辺地域調査
 11月24・25日の両日、日御碕神社社務所において同社所蔵の文書の調査・撮影を行った。前述の通り、今回は特に同社社家の系譜類の収集に重点を置くと共に、近世期、同社と深い関わりのあった白川家関係の資料や、近世期の境内の様子を伝える資料、また、それらを利用した周辺地域の摂末社の位置関係などの調査を行った。
  さらに、同社付近の弥山中腹に存在する小野検校家の墓所・墓石を調査した。
 調査・撮影を行った資料は以下の通りである。

 愍野氏家譜 全』
『小野氏家譜』1
『小野氏家譜』表紙

『小野氏家譜』2
『小野氏家譜』内部

◆惴杵十叔三月日 日御碕社并島々名寄』(小野家所蔵 [小−310])
『文化三年九月十二日 雲州日御碕伝記』(小野家所蔵 [小−312])
ぁ慳声F年正月 日御碕社は杵築大社末社にあらざる弁』(小野家所蔵 [小−313])
ァ慂顕住闇九月六日 日御碕神社記』上(小野家所蔵 [小−314])
Α慂顕住闇九月六日 日御碕神社記』下(小野家所蔵 [小−315])
А慳声F鷭充掲 小野家系譜』(小野家所蔵 [小−316])
─悄別声初)小野家伝書』(小野家所蔵 [小−318])
『(幕末頃)雲陽秘事記』(小野家所蔵 [小−322])
『寛永拾三年神在月 日御碕社家屋敷図面』(日御碕神社所蔵 [日−175])

『社家屋敷図面』
『日御碕社家屋敷図面』

『(応永廿七年)庚子仲夏廿六日 花山院耕雲筆日御碕社修造勧進状 写』
(日御碕神社所蔵 [日−19])
『慶長十五年卯月十三日 恵光院野沢順氏日御崎社由緒』
 (小野家所蔵 [小−61])※「野沢順式」が正しい。
『寛政元己酉年 日御碕摂社末社神号之扣』

『摂社末社神号控』
『日御碕摂社末社神号之扣』

『享和三 臼井孟雅禁中調進物古雅之器物図説』
『御献方之図伝』

『御献方之図伝』1
『御献方之図伝』2
『御献方之図伝』

亜愼御碕両宮并摂社末社』
院愼御碕廿二社 太玉神 土祖神』
ほか

※各項資料名は『島根県古文書緊急調査総合目録』(島根県教育委員会 昭和50(1975)年)によっ
た。
また、[ ]内に示した番号は、同書の整理番号、「日」は「日御碕神社文書目録」、「小」は「日御碕神社検校 小野家文書目録」の略号である。なお、上述の番号がないものは、同目録に所載されていない。


(2)小野家蔵神像群調査
 25日には、文化伝承館において日御碕神社社家小野家より同館に寄託されている神像群の調査・撮影を行った。

調査
調査風景

 これらは主として小野家敷地内にかつて存在した邸内社の天神社より発見されたものである。その多くは冠を着け笏を取る男神像(その発見の経緯より天神像と推察される)であるが、扇を持たせた女神像や、僧形神像なども多数見受けられる。
 大半は像高150〜200mmほどの一木造り・無彩色の朴訥な像容であるが、中には彩色を施した300mmを超える豪華なものもある。

神像1
神像1

神像2
神像2

神像3
神像3


(3)史蹟調査
 26日は、まず、『出雲國風土記』「出雲郡宇賀郷」条に見られる「黄泉之穴」に比定される平田市猪目町の猪目洞窟の視察を行った。

猪目洞窟
猪目洞窟

 次いで、かつての出雲地域における社寺信仰の有り様を地理的観点から考察するために、鰐淵寺(平田市別所町)や出雲大社(簸川郡大社町杵築東)を実際に訪れた。

鰐淵寺
鰐淵寺

摩陀羅社
同寺境内、摩陀羅社


7.成果と課題:
(1)文書類調査に関しては、かつての社頭の様子を知り得る摂末社関連資料より、現在にいたるまでの同社境内の変化や、近世期における同社の神仏習合の有り様を窺い知ることができた。
 また、これまで所在不明となっており、島根県立図書館蔵の謄写本(大正2(1913)年書写)に拠らねばならなかった『小野氏家譜』の原本と推察される一本を見出した。
 同本には謄写本にはみられない注や朱筆が散見することから、謄写本に拠っていた従来の同家系譜研究との比較検討の必要性が見出された。
 また、墓所調査より、仏式葬から神葬祭に転換した時期の問題や、同社社職組織における各家の地位的関係を考察する上での手掛かりが得られた。
(2)神像調査については、出雲地方ではひな人形の替わりに天神像が飾られる風習もあることから、同地域における天神信仰の実態を考える材料となるであろう。
 また、その他の僧形神像などは、日御碕神社における神仏習合の解明の糸口となると考えられる。
(3)史蹟調査では、まず猪目洞窟は、人骨なども発見されていることから、かつての埋葬地であったと考えられている。実際に訪れると、出雲大社裏の山を越えて丁度同社真裏の海辺に存在することから、古代の人々の聖域観など、神道を育んだ基層的信仰の問題を考える上で示唆に富んだ地理的要件を持つことが理解された。
 また、鰐淵寺は出雲地方を代表する天台宗古刹であり、近世まで出雲大社の神宮寺的存在であると同時に、弥山山地を挟んで西に位置する日御碕神社とも密接な関係を持っていたことで知られている。実際に同地を訪れることで、日御碕神社−鰐淵寺−出雲大社の位置関係を把捉した。
 
なお、今後の課題としては、近世期より近代の神仏分離にいたるまでの史料を収集・分析し、同社における通史的な信仰史研究を進め、地域における神社の機能や周辺の人々との関わりについて考えたい。

 最後になるが、昨年同様、日御碕神社・小野高慶宮司はじめ神社関係者の方々に多大なるご協力をいただいた。
 また、神像調査に際し、文化伝承館・藤原隆氏よりご助力・ご教示を賜った。
 さらに、今回の調査では、三橋助教授が指導教員となっている大学院生有志同行者の協力に依る所も少なくない。
 ここに心より御礼申し上げる。

※本報告中の写真は事業推進担当者・三橋健が日御碕神社、ならびに小野高慶氏より、許可を得て公開しているものである。したがって、無断転載・使用等を一切禁止する。


文責:新井大祐(COE研究員)







 
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