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ホーム >> COEプログラム事業の遂行と成果について >> a. 調査 >> グループ2「神道・日本文化の形成と発展の研究」
古代神社の立地環境研究に伴う第2回富山県調査 
公開日: 2005/12/17
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1 調査目的
 今回の調査は、「神社と神道に関する基礎データの収集とその分析・研究」の一環として、平成14(2002)年度より実施している古代神社の立地環境に関する調査に伴うものである。今回の調査は、前年度(報告記事参照)に引き続いて、神社の立地環境が文字資料から極めて詳細に確認することのできる富山県を対象とし、いわゆる旧越中国『東大寺開田図』(正倉院等所蔵)に記された「社」等の、神社に比定される場所の実況見分および関係資料の収集を行った。
 前年度の調査では、式内社と開田図に示された社との共存関係や、寺領における神社の立地モデルについての考察を行っているので、今回は、地理的条件から見た現地比定の妥当性を判断することや、考古学的な成果を詳細に把握することに重点を置いた。

2 調査日
 平成17(2005)年9月1日(木)〜3日(土)

3 調査地
 『東大寺開田図』所載神社比定地(富山県高岡市・砺波市・射水郡大門町)
 高岡市立博物館(富山県高岡市古城)
 高岡市中央図書館(富山県高岡市末広町) 他

4 調査実施者
 岡田 莊司(事業推進担当者)
 加瀬 直弥(21世紀研究教育計画嘱託研究員)
 横山 直正(大学院文学研究科博士課程前期神道学専攻)
*外部機関所属の研究者(敬称略)
 笹生 衛(千葉県教育庁教育振興部文化財課主任文化財主事)

5 調査の詳細
5-1 須加開田図内神社比定地について(高岡市百橋周辺)
 須加開田世岐里2行3に所在していた「社」については、前年度も、金田章裕氏の「空間占拠と開拓−越中国射水郡東大寺開田地図−」(佐々木高明編『農耕の技術と文化』集英社・平成5(1993)年)によった現地周辺の調査を行ったが、今回特に注目したのは、開田図に記載された開発状況と自然地形との整合性である。この須加開田に関しては、天平宝字3(759)年11月14日射水郡須加開田地図と、神護景雲元(767)年11月16日射水郡須加村墾田地図(ともに正倉院所蔵)という時期の異なる2幅の開田図が存在する。これらを比較することによって、田地の開発状況と神社との関係が明快に理解できるが、水路の引き方に大きな差異が生じている点(*1)については、前年度の調査でも十分な理解が得られなかった。そこで今回は、水路とは別の水源と考えられている図中の「壟(図中では土へんに「巨」とある)」と、その「壟」がある1メートル程度の段丘の低位面との相対的な位置関係や、開田域北方の須加山から開田域へと流れる水路の穏当な道筋の想定を行った。
 これと同時に、「須田藤の木遺跡」(平成11(1999)年に暗文土器や銅製の山形金具(大刀の装飾品)などが出土し、官衙的な様相を帯びるとされる開田域内(神社比定地より約500メートル北)の遺跡)を発掘調査した際の調査報告書(『須田藤の木遺跡調査報告』高岡市教育委員会、平成12(2000)年)等の資料を高岡市立中央図書館で収集した。
 また、高岡市立博物館において、須田藤の木遺跡調査の責任者であった根津明義氏(同館主査兼学芸員)より発掘成果に関する詳細な説明をいただき、同時に当該調査および昭和45(1970)年の調査における神社比定地付近から出土した須恵器瓶等の遺物を実見する機会を得た。

*1 天平宝字3年図では開田域の北境からまっすぐ南に引かれていた水路が、神護景雲元年図では開田域東側中央から西に導水され、社を捲くような形で南下させ排水させるよう示されている。

5-2 鹿田開田内神社(射水郡大門町布目沢周辺)について
 鹿田村については、神護景雲元年11月16日射水郡鹿田村墾田地図(正倉院所蔵)が残されており、16条小田下里4行7に「榛林并神社」、16条小田下里5行1に「社所」の記載が見られる。当図についても金田氏が比定地を推測しているが、推定比定域内かつ神社の近くに所在する「布目沢北・東遺跡」(発掘調査報告は平成3・4(1991・2)年に『大門町企業団地内遺跡発掘調査報告』として富山県埋蔵文化財センター・大門町教育委員会より刊行)における出土遺構との対応関係の把握を行った。

6 本調査で得られた知見と課題
 冒頭に掲げたとおり、今回の調査は、周辺の開発環境から見た神社の姿を、地理的条件および考古学的成果を詳細に分析すべく実施した。須加開田と「須田藤の木遺跡」との詳細な関係については根津氏が『富山史壇』誌上に論文を投稿されており、開田域の詳細な比定に関しては、出土遺構面から見られる溝状遺構の角度等などを勘案して再検討すべき点もあるが、こうした前提に配慮しながらも、今回の調査では以下の2点が浮き彫りになった。
(い)須加開田の社は、先行集落があったとされる遺構および「須田藤の木遺跡」に見られる官衙推定遺構と比較した場合、相対的に水利を得やすい低位面の田地に接している。こうした状況は、「三宅所」と開田との境界にある鹿田村の「神社」や、扇状地の扇端中央にある島根県青木遺跡に見られる神社推定遺構の立地環境も同様である。したがって、今後古代神社の立地環境を論ずる際には、「生活拠点と水田開発の要の間に神社が位置する」といった類型が成り立つかどうか考える必要がある。
(ろ)昨年度指摘したように、行政拠点と神社との位置関係は近接している場合がある。しかしながら今回は、須加開田が官衙遺構と社が近接していない事例として位置づけられることが分かった。このことによって、行政拠点と社との地理的関係を、行政と神祇信仰との関係を論ずる材料に用いる際には、慎重な姿勢が求められることが明らかとなった。
 これらの点とともに、須加開田の神護景雲元年図における、東側から導水する方法は、現地の地形から見た限り不可能であることから(*2)、開田図に示された状況が実態に即していない可能性も窺えた。このことは、生活環境と祭祀の関係についての詳細なデータ収集の推進を図る必要性を示していよう。

*2 金田氏の比定に従った場合、神護景雲元年図に示された水路どおりに水を引くには、「社」の約200メートル東で数メートル揚水する必要が伴う。なお、地域住民によると、そうした高低差は近年の土地改良による整地の結果生じたものではないという。

文責 加瀬 直弥(21世紀研究教育計画嘱託研究員)・横山 直正(大学院文学研究科博士課程前期神道学専攻)
 
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