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ホーム >> COEプログラム事業の遂行と成果について >> a. 調査 >> グループ2「神道・日本文化の形成と発展の研究」
日本僧の中国江南巡礼地に関する調査 
公開日: 2006/2/15
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1、調査者
   鈴木靖民(事業推進担当者)
   浅野春二(事業推進担当者)
   佐藤長門(本学助教授)
   山崎雅稔(COE研究員)
   福田陽子(本学博士課程後期)
   
  調査協力者
   王海燕(浙江大学講師)

2、調査地 中華人民共和国(杭州・天台・台州・寧波・舟山)

3、調査期間 平成17(2005)年12月19日〜26日

4、調査の目的
 第競哀襦璽廖ε譽▲献異文化間交流史プロジェクトの今回の調査は、中国江南地方に渡海して求法活動を展開した日本僧、あるいは日本に来た渡海僧の足跡をたどりながら、日本の宗教文化に影響を及ぼした現地の信仰のあり方を確認することを目的とした。例えば、インドから伝わった仏教は、中国で在来の固有信仰や道教などと相互に影響しあい、地域ごとの特色を生み出しており、それが日本に伝えられたり、新しい潮流をもたらしたりした。江南の仏教その他の信仰形態を調査することで、古代・中世の日本文化の東アジア文化圏における位相を考える。

5、調査経過の概要

(1)杭州は、10世紀に銭塘江河口に建設され、日本や高麗との貿易でも栄えた呉越国の首都であり、日本や高麗との貿易都市としても栄えた。ここでは平安時代に渡宋した成尋の日記を手掛かりに、成尋が拠点にしていた興教寺の立地や道元が如浄禅師に師事した浄慈寺など当地域の寺院のネットワークを検討した。浄慈寺の門前にある雷峰寺は、近年再建されたばかりのものであったが、発掘調査時に平安時代の貨幣が出土しているとの新知見を得た。また浙江大学韓国研究所の協力により、同研究所が発掘調査を行った高麗寺(慧因院)址を踏査した。寺院址からは宋と高麗の通商を批判した蘇東坡像が発見されており、宋の官人を神格化して寺院の安寧を企図していたことを確認した。
(2)天台は、隋代に建立された天台宗の聖地国清寺があり、最澄をはじめ円載・円修・円珍・成尋・重源・栄西などの日本僧がここを巡礼し、求法活動を行っている。今回は国清寺の近くに所在する赤城山を踏査した。国清寺の開基智畋膸佞修行し、感得を受けた聖地でありながら、山の中腹には、道教の第六洞天、酒肉を食らう済公を祀った済公院などが建立されており、仏教が他の民間信仰と混淆している姿を確認した。
(3)台州では、鑑真とともに日本に渡った思托がいた寺院であり、最澄が天台山修禅寺道邃受戒の極楽浄土院があった龍興寺を訪れた。同じ臨海市内では、『嘉定赤城志』にみえる五代十国時代の「新羅坊」・「新羅山」を踏査した(前者は発見できなかった)。円仁の『入唐求法巡礼行記』では楚州などに新羅人のコミュニティが分布し、彼らが日本僧や新羅僧の往還を担ったことが知られるが、それが唐末の排仏政策や動乱を経て中国沿岸部に移動した可能性があることを確認した。また同市の東湖石刻碑林では、海上交通・貿易を統監する市舶使に関する新知見を得た。
(4)寧波では、成尋や道元の上陸地である三江口(甬江・姚江・奉化江の合流地点)を踏査するとともに、同地に所在する天后宮、甬江の河口で日本船や高麗船が頻繁に往来した招宝山付近を調査した。天后宮は、南北から人々が訪れる寧波に相応しく、もとは2つあったが、寧波の都市計画によりそれぞれの馬姐神を2体一緒に安置するようになった珍しい形態のものであった。また天一閣を訪れ、博多宋人碑を実見、調査した(現存する3点のうち2点を実見)。この碑は博多在住の宋商人が寧波の寺院に喜捨したことを記念して刻したものであるが、これまで拓本と釈文のみ公開されているに過ぎない。調査では、拓本から予想していたよりも、字体は稚拙な印象を受け、文字も深く刻まれていることが分かった。碑石の1つは、拓本と釈文とでは、行の送り方が反対になっている点が不明であったが、第一発見者の林士民(天一閣)との会見を通して、碑文は内容的にも左から右に読むべきであることを確認した。
(5)舟山では、五台山・九華山・峨媚山と並ぶ仏教聖地として知られる普陀山を調査した。ここは日本僧恵萼の開基伝承が『仏祖統記』などに伝えられているが、文献資料にはいくつかのバリエーションがあり、『高麗図経』では新羅賈人が開基に関わっていることになっていたり、それが中国商人であったりするものもある。実際に現地には、「新羅礁」と呼ばれる岩礁があり、標識も設置されているものの、金文経氏(韓国・元崇実大学)の教示によれば、文献にみえる周辺の地名に関しては再検討を要するとのことであった。そこで、「新羅礁」の位置を中心に地理考証を行った。また、宋代に交易者や在地での信仰を集めていた「泗州大師堂」の所在地を探索した(泗州大師は江南地方に留錫したインド僧)。成尋の日記は、この寺院の位置を記しているが、現在その所在を知られていない。海岸沿いを踏査したが、埋め立て工事や開発が進んでおり、これを発見することができなかった。

6、調査の成果と今後の課題
 今回の調査では、日本僧の滞在録を手掛かりにしつつも、現地に残る地方志や古地図などを参考にして、地名や寺院址を検討しながら、仏教を中心とする江南の信仰のあり方を探った。調査を通して、日本文化に影響を与えた仏教交流の前提として、現地で根付き、混淆している仏教と他宗教の関係の一端を確認し、それが東アジアの異文化間交流を媒介した事実を見出すことができた。
 日本文化の形成や発展を促した外的要因を想定する際、これまで、「朝鮮」や「中国」といった漠然とした文化的範疇を念頭において議論する傾向があった。しかし、今回の調査を通して、地域ごとに展開した歴史を考慮することにより、具体的かつ新たな知見を確実に獲得でき、その成果も実証的で有益なものであることを改めて確認した。これを今後の調査研究にも生かしたい。

(文責・COE研究員山崎雅稔)

 
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