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ホーム >> COEプログラム事業の遂行と成果について >> b. 研究会 >> グループ2「神道・日本文化の形成と発展の研究」
研究集会『丹生明神と高野山‐神仏関係の具体的事象‐』(第11回「古代・中世の神道・神社」研究会) 
公開日: 2006/9/2
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1 開催目的
 「神道・日本文化の形成と発展の研究」グループにより推進する事業「神社と神道に関する基礎データの収集とその分析・研究」では、プログラム開始年度から、神道及び神社に関する広い視野からの研究の可能性を探求し、様々な研究事業を実行してきたが、神道と仏教との関係を把握する試みは、学識者からの注目が集まっていることもあり、主要な研究テーマとして積極的に推進してきた。今回紹介する研究集会『丹生明神と高野山−神仏関係の具体的事象−』は第11回目の「古代・中世の神道・神社研究会」として位置付けており、これまでの「古代・中世の神道・神社研究会」や第2回総合シンポジウム「神道の形成発展」、さらには中世神道関係典籍の展覧会など、広い視野から見た神仏関係の流れをより詳細に把握するために開催されたものである。
 研究集会では、そのタイトル通り和歌山県の高野山と、その鎮守として位置付けられている山中・天野の丹生都比売神社における神仏関係を対象とした。高野山はその核心である金剛峯寺壇上伽藍に神社の祭神でもある丹生・高野両明神を祀るなど、著名な寺院の中でもとりわけ神祇との深い関わりが確認される。この点に鑑み、具体的な神仏関係の歴史的経緯や現状を把握すべく、神道学・歴史学・民俗学の分野から、同地の神仏関係の実態、さらには仏教組織の信仰をもたらした神祇の神威などについて検討することとした。

2 開催日時
 平成18(2006)年7月29日(土) 13時30分から17時30分まで

3 開催場所
 國學院大學120周年記念1号館・1303教室

4 講師・発題者・批評者・司会(この項敬称略)
・特別報告講師
  丹生 晃市(丹生都比売神社宮司)「高野山における丹生明神遷座祭を奉仕して」
・発題者
  加瀬 直弥(進行司会・研究開発推進センター講師)「古代の高野山と丹生都比売神社」
  高木 徳郎(和歌山県立博物館学芸員)「中世の高野山と丹生都比売神社」
  伊藤 信明(和歌山県立文書館嘱託研究員)「近世の高野山と丹生都比売神社」
  藤井 弘章(進行司会・事業推進協力者)「丹生都比売神社の祭祀と民俗」
・批評者
  山本 信吉(愛媛県歴史文化博物館館長・元奈良国立博物館館長)
  山陰 加春夫(高野山大学教授)
  米村 直之(研究開発推進センター講師)
・総合司会
  岡田 莊司(事業推進担当者)

5 会の詳細
5-1 会の概要

特別報告「高野山における丹生明神遷座祭を奉仕して」
 丹生氏は、丹生都比売神社の年中行事などの説明及び、平成十六年に自身が奉仕した壇上伽藍・御社修理に伴う神体遷座の準備・斎行についての報告を行った。この中で丹生氏は、御社遷座奉仕について、近世以来断絶していた神社神職の儀式作法等が、高野山との協力体制のもと、文献史料を基軸に復元される経緯を詳細に説明した。また、世界文化遺産として登録されている神社を「神仏融合」の場とする構想も披露され、神社における信仰の現状を把握する好機を得ることができた。

発題「古代の高野山と丹生都比売神社」
 加瀬は、空海と丹生明神との出会いに関して触れられた10世紀末頃の成立とされる『御遺告』などを取り上げ、その制作年代が、天野という土地の神から高野山領と対応する広い範囲に根ざした神という位置づけへ、高野山の丹生明神に対する意識が変化する過渡期であることを論じた。その上で、高野山が天野の神として丹生明神を捉えていた背景として、同地における紀伊国造と深くかかわる信仰の存在が何らかの影響を及ぼしていたことを推測した。

発題「中世の高野山と丹生都比売神社」
 高木氏は、「中世の高野山と丹生都比売神社」というテーマのもと、丹生都比売神社で行われていた一切経会の始まりに関する発表を行った。高木氏は、一切経会を始めた行勝上人等高野山の寺僧が、何を目的としていたかという点を、願文等から説明した上で、法会開始の背景に、高野山金剛峯寺と根来寺の対立関係があることを論じた。その上で、「人々が危機に直面した際に神仏習合が意識される」という、神仏関係の枠組みを示した。

発題「近世の高野山と丹生都比売神社」
 近世の天野社と高野山に関する研究はほとんど蓄積がなかったが、近年になって二祝子丹生相見家文書(和歌山県立文書館寄託)と天野社惣神主家丹生輝代麿家文書(高野山大学図書館寄託)が閲覧可能となり、和歌山県立文書館の伊藤信明氏によって目録が作成されている(丹生相見家文書は同文書館から目録が刊行されているが、丹生輝代麿家文書は現在作成中)。近世文書を通覧している伊藤氏により、『紀伊続風土記』からも実態が不明な遷宮行事について報告がなされた。伊藤氏は、丹生輝代麿家文書からは、(1)天野社、(2)壇上御社、(3)奥の院脇宮両社、(4)寺領村落の氏神、以上の各社について惣神主家が遷宮を執行したことが分かることを述べ、神主家の文書には遷宮の資材調達や会計関係の資料、臨時遷宮の資料などは残されていないことを指摘した。こうした文書の伝来形態から、遷宮行事はすべて高野山の指図のもとで行われていたことが分かり、惣神主家は一連の遷宮行事の中で、唯一遷座儀礼にのみ関与していたということがいえるという。また(4)は、惣神主家が直接遷座儀礼を執行する場合と、三輪・御流神道による遷宮大事の免許を村落氏神の神主たちに与える形式で、間接的に関わる場合があったことを指摘した。

発題「丹生都比売神社の祭祀と民俗」
 古代、中世、近世についての歴史的報告を踏まえて、藤井からは、現行の民俗行事からみた、天野という地域と丹生都比売神社および高野山との関係に言及する報告を行った。まず、天野という地域が紀ノ川筋から峠1つを越えた山間の小盆地であり、紀ノ川筋と高野山の中間に位置するという地理的概況を紹介した。そして、近代以降、高野山との関係がほとんどなくなった神社は、天野の住民によって支えられてきたが、とくに生業との関係でいうと、1月14日に行われてきた御田祭への参加が重要な位置を占めていることを述べ、各家で準備した福杖と、神社から授与される福の種(白米)と牛玉宝印のお札は、稲と柿の豊作を祈る行事に用いられてきたことを述べた。そのうえで、天野は山間の集落でありながら、稲作に重点を置いた地域であり、民俗事例からみると、祭神にも狩猟や水銀などの要素はあまり認められないということを指摘した。さらに、近代以降も地域のなかには、大念仏講や六斎念仏という高野山とかかわりの深い行事が行われてきたことも紹介した。

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批評・討議
 以上の特別報告と4つの発題を受けて、山本信吉氏、山陰加春夫氏、米村直之氏よりコメントをいただいた。
 山本氏は、高野山正智院の経蔵のなかにみられる神道書をもとに、高野山における神道論の形成を総括するコメントであった。1点目としては、鎌倉時代に御流神道と伊勢信仰の調和が図られ、室町時代には御流唯一神道が確立、江戸時代に高野山の包括的な御流神道が成立することを指摘。2点目として、鎮守・地主神の御流化について、伊勢と丹生・高野明神との結合、高野山への諸神の勧請を取り上げ、表白文の神分からは、高野山が天野社の三宮、四宮として厳島、気比を受け入れたのに対して、高野山と対立していた根来寺が日前・国懸宮を鎮守神として高めていくという点にも言及した。3点目として、中世の春日信仰との結びつきを通して御流神道の神国思想化がみられることなどを指摘した。
 ついで、山陰氏からは、(1)参拝・参籠する側からみた神仏習合、(2)天野と仁和寺、山上にとっての天野の関係、(3)僧侶にとっての神、という3つの視点からのコメントとなった。とくに(2)は、天野について、院政期は山上との関係だけでなく、京都とのネットワークの中で考える必要があること、山上にとっての天野は、平安から鎌倉にかけて、高野山再建の基地、避寒の場、僧侶の論議が行われる場、女性救済の場などと役割を変質させていったこと、鎌倉時代になって、天野はようやく高野山と対等のつきあいができるようになったことを指摘した。さらに、(3)では、高野山では現在も丹生・高野明神が折々の行事に登場することを紹介した。
 最後に米村氏は、中世の天野社・御社の造営・遷宮についてコメントを行った。天野社の造営に関しては、南北朝期には高野山の僧が奉行となり、天野社の造営期間中には天野社に止住し、14世紀末には、天野社の造営費用を高野山の僧侶が、高野一山を対象とする勧進活動によって捻出するなど、高野山にとって非常に重要なものと位置づけられていたことを指摘し、壇上伽藍の御社については、中世においても、近世の遷宮と同様、天野社の惣神主が招かれて実施されていたことを紹介した。

5-2 会の開催によって得られた成果と課題
 今回の研究集会は、その対象を絞ったテーマ設定としたため、発題・コメントともに史資料に裏打ちされた具体的実態及びその分析結果が提示された。そこから抽出された要点を、神祇信仰の問題に絞って1つあげるとするならば、「信仰する人々がそれぞれに、よって立つ宗教思想・作法に基づきつつ、神祇への帰依を行っていた」ということであろう。
 もっとも、具体的実態がいくつか提示されたがゆえに、それら史資料を十分に整理し、時間的な経緯や当時の宗教をめぐる全国的な実情を踏まえた上で結論を出す必要性を認識する結果ともなった。とりわけ、丹生都比売神社・高野山双方の人的組織等の把握や、神社の鎮座地・天野における人々の営みについての歴史的経緯など、信仰を維持する人々の実態についてはより詳細に把握する必要がある。山陰氏・米村氏のコメントは、その点を理解する上で貴重なものであった。
 また、山本氏が詳細に指摘した当地における神道思想の展開も、人的交流の把握により、理解できることになるものと考える。ともあれ、本拠点で今後進める神仏関係研究の課題が明確になったことは、本事業の一つの成果である。

文責 岡田 莊司・藤井 弘章・加瀬 直弥
 
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