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ホーム >> COEプログラム事業の遂行と成果について >> b. 研究会 >> グループ2「神道・日本文化の形成と発展の研究」
研究集会「近世・近代の神道における持続と変容」 
公開日: 2006/10/17
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研究集会 「近世・近代の神道における持続と変容」

1.開催目的

 これまで中世から近代における神道の歴史的展開に関する実証的な研究として、時代ごとの研究が推進されてきた。しかしながら、時代を跨いだ専門家による相互の議論や、神道学・歴史学・宗教学といった学問領域の認識を共有することは必ずしも十分ではなかった。今回は、その必要性に鑑み、中世後期から近世、近世から近代にかけて、それぞれ時代が移行する中で、神道がどのように持続し、或いは変容していったのか、それぞれの時代の専門家を招き、時代の「架橋」となる議論を展開することを目的として、研究集会を開催した。
具体的には、第1部で、「執奏家」である吉田・白川家の制度・思想・地域編成に関わる諸問題を中心に取り上げ、中世から近世までの神道・神社について論じた。第2部では、近代神祇制度の成立や、学術的な言説編成、神社における祭祀実践などの観点から近世から近代への持続・変容について、それぞれ発題を行った。そして、最後にディスカッサントも加えて検討を行なった。

2.開催日時

平成18年1月29日(日)9:45〜17:00

3.開催場所

國學院大學120周年記念2号館2203教室

4.発題者・司会

発題(第1部)
・岡田 荘司(事業推進担当者)「吉田神道の中世から近世への展開」
・井上 智勝(大阪歴史博物館学芸員)「吉田家の近世本所化と在地神社」
・幡鎌 一弘(天理大学おやさと研究所研究員)「白川家の経験−近世神道執奏家の宗教活動」
・松本 久史(日本文化研究所助手・COE事務局):司会
発題(第2部)
・武田 秀章(事業推進担当者)「明治維新と神祇政策」
・磯前 順一(日本女子大学助教授)「近代神道言説の編成と神道学」
・星野 光樹(COE研究員)「近代的神社祭祀の成立について」
・遠藤 潤(事業推進協力者):司会
ディスカッサント
・古相 正美(中村学園大学教授)
・西岡 和彦(事業推進担当者)
総合司会
・阪本 是丸(事業推進担当者・COE事務局)

5−1−(1)発表の概要
 発題者の概要については、以下の通りである。

発題1「吉田神道の中世から近世への展開」:(岡田)
 吉田神道が確立する文明2、3年は、吉田兼倶によって秘伝伝授が開始され、宗教的施設である斎場所が創建された。兼倶の秘伝・祭式は兼右・兼視らによって相承され、それらが地域に定住した人々の宗教的・文化的な要求に応える形で受容されたことで、中世から近代にかけて神道の宗教化・組織化がなされた。また吉田家は、神道の私的性格を強める一方で、その中心的施設である斎場所は神祇官代として公的な性格も持っていた。尚、報告では、吉田神道の祭式行事について、視聴覚資料(福島県海老沢稲荷神社、昭和59年撮影)による説明がなされた。

発題2「吉田家の近世本所化と在地神社」:(井上)
 井上は、吉田家の画期ついて、ゝ氾跳鷆罎唯一神道を唱え、諸活動を行った15世紀後期、⊇社禰宜神主法度が発布された寛文5年、G鮴邁箸台頭する18世紀中期以降、の3つの時期を示した。寛文5年以降、徳川幕府から神職の独占的支配を許可された「近世本所」として、在地の神職組織に対する支配を拡充していった吉田家は、18世紀前半における考証主義的神学者達の批判に晒された後も、幕末期まで神職編成の中心として存続した。

発題3「白川家の経験−近世神道執奏家の宗教活動」:(幡鎌)
 近世後期に白川家の宗教活動が活発化した理由について、配下神社数、門人層、歓遷数から見た場合には、霊社号の授与、屋敷の神や稲荷社の創建に関わったことなどが挙げられる。また、門人の獲得方法として、京都の宿屋など都市的な機能を積極的に活用したこと、神社をもたない下級の神道者を門人に取り込んでいったこと、日常生活における神事を資格化するなどから、白川家は、世俗化・専業化する社会に対応した形で展開していった宗教教団として位置付けられる。

発題4「明治維新と神祇政策」」(武田)
 明治維新の後、神祇行政の中心的な担い手となる津和野派国学者は、国家祭主としての天皇の存在を確立させるうえで、天皇親祭による宮中祭祀を実現させた。この時期の神祇官の性格とは、吉田・白川家の思惑とは異なり、宮中祭祀を成立させる上での過渡期的な性格であった。それら政策のなかで、吉田・白川家は国家祭祀に関わる権利、執奏家としての役割を剥奪されたが、神職についても精選補任・世襲廃止、上地令によって、既得権が剥奪されていった。

発題5「近代神道言説の編成と神道学」(磯前)
 近代の神道の言説が、権力構造と西洋化の問題のなかで再編成されているとする立場から、近代に至る神道の持続面について考えた場合、西洋に回収されない近世の伝統や宗教構造といったものが、近代に実態として取り出せるのか、また近世の国学と明治の神道学との連続性についても、どのような議論が提供できるのかといった問題について考える必要がある。

発題6「近代的神社祭祀の成立について」:(星野)
 祭政一致論は祭祀秩序の転換を促した思想である。その重要な論者で平田派国学者の六人部是香は、朝廷から庶民の生活に関わる祈願と在地の神職が行う祭祀とを結びつける幽冥論を展開し、それら祭祀の政治性・宗教性を主張した。しかし、近代以降、津和野派国学者の祭政一致構想が現実化していくなかで天皇親祭が制度化されると、神社祭祀は宮中祭祀と宗教的に関連付ける制度上の構想が示されたが実現されず、新たに元始祭が制度化されるなど近代的な役割が付与されるに至った。

5−1−(2)総合討論

近世近代神道研究集会













〜躪膸焚颪虜緞椹瓩里發函▲妊スカッサントを交えての討議

 ディスカッサントの西岡氏と古相氏から、今回の発題に関して、近世から近代の神道における正統性、および持続と変容を考える上で、(1)天皇の問題、(2)神仏分離の動向、(3)国学が果たした役割、(4)近代における吉田・白川の祭式の実践について、それぞれ質疑があった。これを承けて、総合司会の阪本氏から各発題者に対して見解を求めた。それぞれの問題に対するリプライは以下のとおりである。
(岡田)吉田家は、系図を改竄し中臣姓を名乗ったことによって、皇室祭祀や吉田神社の職掌に携わる正統性を得た。近世以降は、家学を実践することのみによって、その地位は保たれた。また、吉田の加持祈祷について、近代においても公的な祭祀が行われる場所とは別に、神楽殿や祈祷殿などで行われていた。
(井上)吉田家は神祇管領長上の地位―これは、神祇官の技術面での長としての立場を偽作したことで樹立された―によって、また、白川家は神祇伯としての立場によって、裁許状や官位などを授ける公的な正統性を持ち得た。また、吉田家はアマテラス直伝の神道に依拠し、白川家は、18世紀以降に「天子の手代」として現実の天皇を推戴していった。
(幡鎌)白川家が内侍所を管掌していることが、同家の宗教性等の源泉となっている点に留意したい。また、神仏分離の問題について、神道と仏教だけで問題を論じるのではなく、近代的な合理的発想を含めて考えていく必要がある。
(武田)神仏分離を実際に推進していったのは、地方の行政権力であり、国学者が積極的に行なったとする評価は誤りである。明治期における国学者のなかには、西川吉輔や大国隆正、福羽美静といった人物が、文明開化に呼応する形で神道の普及に努めた。
(磯前)近世から近代の神道の正統性とは、それぞれの立場が、回帰される起源を説き、それに対して、自分たちがいかに近いかを主張したものである。その意味で国学は、近世の秘伝や垂加神道などの伝授とは異なり、個々人が自由にテキストを読むことで、それぞれが起源に回帰し、「ナショナル」なものを広範な水準で想起させたものと言える。ただし、近代以降には、テキストの読み方について、国学の持つ非合理な部分が除かれていった。
(星野)「神社祭式」が制定された正統性は、中世以降に祭典が未整備であることを理由に、様々な文献に照らし合わせて、元々の祭式が検討されたという点にある。また、明治における国学の影響として祭式の問題を考えた場合、国学者が各神社の宮司として赴任し、祭祀を神式に改めることが必要とされるなかで、国学者が著した祭式次第書が需要されていったことが考えられる。

∋焚颪留麁氏・松本氏およびフロアとの討議

 引き続き、司会である遠藤氏・松本氏が、以下のような問題を提起し、それぞれ発題者に回答を求めた。
(1)近世本所として神道以外に機能したものと、そのなかで吉田家が本所となったことの意義:(井上)統一権力の承認を得たものという定義からすると、陰陽道における土御門家があるが、全国一律に編成がなされたわけではない。また、修験では聖護院と醍醐三宝院、仏教にも本山が複数あるなかで、幕府は神道を統括するのに、吉田家に本所を一元化させた点に特徴がある。
(2)近代の神道学における天皇の問題について:(磯前)近世、本居宣長の時代以降、直接天皇と関わらない市井の人々によって、天皇の歴史に向き合う読み方がなされてきた。近代の神道学のテキスト理解では、制度上に位置づけられた天皇として読まれている点に、近世との違いがある。
(3)幕府が神社についてどのように捉えていたのか:(井上)会津藩や水戸藩では、藩内の本所の一元化、神社・神主の序列化がなされ、こうした藩政が、諸社禰宜神主法度の制定に反映している。(幡鎌)幕府の神社に対する姿勢は、寺院に対する規制と比べると、基本的にはかなり希薄である。村請の社会で展開した宮座、氏神に深く立ち入るまでの姿勢は見られない。
(4)中世後期以降に、なぜ地方の宗教者が吉田家の門人になろうとするのか:(岡田)江戸初頭に神職が専業化するなかで、学問・文化情報が集約された中央で、装束などを学ぶ志向があった。
(5)近代に確立した神道学が実際の行政や神職に対して及ぼした影響について:(磯前)神道学は、国民道徳や天皇との関わりのなかで、国民が自分たちのアイデンティティと合致させていくことや、財産的・知的な正統性を得るための枠組みを提示した。そうした枠組みは、東大の神道学の教授が、國學院の神職養成の場において、教授や神職に対して影響を与えたことが考えられる。
 また、フロアからの質疑として、神道学を論じることの意義について磯前氏に発言が求められた。これを承けて磯前氏は、近代において西洋的な知に結びついたところに、東大の宗教学・神道学の問題があり、西洋的な知に影響を受けつつも回収されないという日本的なものとして、神道を表象することの国際的な可能性について説明した。

5−2 成果と課題

 今回の研究集会では、前半のなかで、近世の執奏家である吉田家や白川家が、地域の神職、宗教者とどのように結びついて組織化がなされたのか説明されるなかで、背景となる宗教事情や、学問の動向を明らかにされた。後半では、近代の祭祀秩序の変革、神道学や祭式の問題が検討され、天皇を正統としつつも、近世とは異なる形で成立する神道の諸相が示された。全体を通して、各時代に正統となる理念が何であったのかが確認されたが、近世から近代にかけての連続性を考える上で、学問や思想と、地域の神社・神職との間にある問題について議論が必要であろう。このことを考える上で、今回指摘された国学の果たした役割や、神仏分離の動向といった問題について、更に検討を深めることが今後の課題と思われる。

文責:星野光樹(事業推進協力者)

 
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