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ホーム >> COEプログラム事業の遂行と成果について >> b. 研究会 >> グループ2「神道・日本文化の形成と発展の研究」
研究集会「近世の政治と祭祀・儀礼」 
公開日: 2006/12/1
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1 開催目的
 本プログラムの一部門として近世の政治・宗教と儀礼を研究している研究グループは、昨年度開催したシンポジウム「近世日光の祭祀と儀礼」(2005年5月22日、於國學院大學)において、社会理念・常識についての新しいイメージ生成の追究を目的とし、国家祭祀としての東照宮祭礼の成立過程や山王一実神道の継承・変容過程、日光社参の諸問題について議論し、東照宮の問題についての具体像を提示した。しかし一方で、徳川家康の神格化が近世に全国で見出せる武士の神格化と如何にかかわるのか、各地に勧請された東照宮がどのように地域に定着し変容していったのか、さらに東照宮をめぐる儀礼全体における個別の儀礼の位置づけや政治との関係、近世の朝廷をも含めた祭祀体制のなかでの位置づけ、といった課題が残されたままになった。これらの課題に接近するために、武家の神格化、各地の東照宮祭礼の実態、江戸幕府政治における東照宮の位置づけ、朝廷の伝統的な祭祀・儀礼と東照宮との位相関係についての検討および討論を通じ、東照宮の具体像を抽出する目的から研究集会を開催した。
 なお、この研究集会は国史学会との共催で実施した。

2 日時
 2006年6月24日(土)13:00-17:30

3 会場
 國學院大學120周年記念1号館1205教室

4 発題者・コメンテーター・司会(敬称略)
 発題者
  高野信治(九州大学大学院教授)
  福原敏男(日本女子大学教授)
  根岸茂夫(事業推進担当者)
  松本久史(國學院大學日本文化研究所講師)
 コメンテーター
  椙山林継(事業推進担当者)
  西岡和彦(國學院大學助教授)
  岩橋清美(國學院大學非常勤講師)
 司会
  吉岡 孝(國學院大學講師)
  種村威史(國學院大學大学院生)

5 研究集会の詳細
5-1 発題の内容
高野信治「武士神格化について」
 近世の武士神格化の本質を把握することにより、徳川家康の神格化がいかなる意味をもつのか検討することを目的とした。近世の武士神格化は、中世の御霊信仰を背景にしつつ、地域性や民俗性を加味して武士が神として祀られるようになる。近世において武士神格化の最大のものが徳川家康であるがゆえに、東照宮は国家神的存在としてのみ捉えられがちであるが、神格化には様々な契機があることを検討し、神に祀られた経緯の検討の必要性を指摘した。そのうえで大名の東照宮祭祀の具体的経緯を考察し、徳川家に近い大名の場合は、先祖神としての意識があるとの傾向を示した。一方、外様大名のなかには、鍋島氏のように、領内の肥前一宮争論が吉田家側と天海側との宗教的覇権争いと絡み、その結果天海側が東照宮を勧請した事例など、藩主が主体的に祀っていない場合もある。関東を中心に家康の足跡を聖跡的に祀っている事例があるが、決して全国的ではなく、国家神ゆえに祀られたとのみ判断することの危険性を指摘した。

福原敏男「城下町祭礼としての東照宮祭礼―練物祭礼の視点から―」
 各地に勧請された東照宮における祭礼を通じて、地域における東照宮の定着と変容を検討するため、城下町惣町祭礼としての東照宮祭礼が行われた名古屋・水戸・和歌山・岡山・広島・鳥取・仙台の7都市の東照宮祭礼を取り上げた。東照宮祭礼は神輿渡御行列と練物の二つに分かれ、神輿行列は武士の行列に似て厳格であるが、練物は民衆が中心であった。練物は御輿渡御に付随する「付祭り」とも言われるが、その練物にこそ各都市の個性が発揮されるものであった。具体的に各都市の事例をみると、名古屋では創始時より氏子町方から練物が出ており、仙台は藩主の上覧場と練物の距離が近く、城下町町人と楽しむ交流の場を共有する点に特徴がある。東照宮祭礼は官祭という上からの権力浸透装置としての祭礼の面もあるが、一方では民衆の支えがあって成り立つ部分があることも確かであると指摘した。

根岸茂夫「日光社参と家綱・綱吉政権」
 従来の研究史をまとめ、寛文3年(1663)家綱の日光社参が、その後の諸政策に大きな影響を与えていると評価したうえで、政治背景をふまえて各時期の日光社参を位置づけた。すなわち、初期は仏教的行事としての社参であり、家綱の社参も家光の年忌法要を目的としていたと指摘した。同時に、軍役動員の諸相という視点から検討すると、寛文3年の社参は「武威」を示す実践的な軍事行動であったと指摘した。しかし、綱吉は天和3年(1863)家光33回忌の社参を中止した。以降、日光社参は年忌とは無関係に行われるようになり、日光社参は仏教的行事から神格化された祖先崇拝の神事へ、仏教施設としての日光山から神社としての東照宮という位置づけへと変化する。この日光社参・東照宮に対する人々の認識の変化の画期を、江戸幕府政治が大きく転換し政治の矛盾が顕在化していく元禄期に見出せると論じた。

松本久史「近世の朝廷祭祀と東照宮」
 近世における朝廷の祭祀・儀礼のあり方、イデオロギーを東照宮と比較検討をすることを通じ、近世の祭祀・儀礼のあり方を見出すという目的のなかで、本発題は特に朝廷と神社との関係の構造把握を行い、なかでも「祈祷」に焦点をあてて、朝廷と神社のかかわり、祭祀・儀礼の持つ意味を考察した。近世朝廷の神社を中心とした祭祀体制の概要を確認したうえで、朝廷における「祈祷」の実態を示し、朝廷からの依頼で定期的に行われる月次祈祷といった「祈祷」の日常性へ注目する必要性を指摘した。さらに幕府においても全国的に「祈祷」が命じられており、日光・紅葉山・寛永寺等の東照宮を含めた具体例を検討すると、幕府の神社「祈祷」体制は東国中心の秩序形成がなされており、畿内中心の朝廷秩序とは異なっていたと指摘した。

5-2 成果と課題
 討論は最初にコメンテーターである椙山林継氏・西岡和彦氏・岩橋清美氏からコメント・質問・指摘があった。全体に関わって、本研究集会のタイトルにある「政治」が前面に出てきていない、また事例が様々で全体的にまとめることの困難さが指摘された。その一方で、歴史的視点、民俗的視点など多角的な視点からみた点に評価が寄せられ、評価が分かれた。質問は主に、武士神格化や東照宮祭礼における近世的な時代性の特徴の有無、東照宮の位置づけへの疑問、民衆による東照宮という場の利用、天皇家と徳川将軍家の姻戚関係などについて挙げられた。また、4報告を通して東照宮は領主が受容していく論理と、民衆が受容していく論理が全く違い、階層によっても、それぞれの受容のあり方が全く違うものであることが明確になったとしたうえで、領主階級と民衆社会の差異、あるいは時代的変遷というのを近世社会の構造に置き換えた時にどう考えられるのかとの問題提起があった。
 次に各コメンテーターからの質問・指摘に対し、発題者から応答があった。高野氏は、武士の神格化という文脈から見れば、治者かどうかという点に近世的な時代性がみられると指摘した。また、東照宮の国家神的信仰を否定するわけではなく、国家神的信仰の地域的受容という観点でみる必要性を主張した。福原氏は為政者が勧請した神を民衆が確かに東照宮という場を借りて祭礼を行っていると確認した。根岸氏は、近世社会の構造の中での時期設定、そのなかでの日光社参の位置づけについて、先ず政治史的には4つの時期に区分できるとし、発題で取り上げた寛文・元禄期は第1期から第2期への移行期であり、日光社参の変化もここに表れるのではないかと提起した。また、日光のイメージは「奥の細道」などの旅行記・案内記、「日光結構往来」といった往来物などの浸透により共有化されていったと指摘した。松本氏は、天皇家と徳川将軍家の姻戚関係への指摘に関連して、朝廷と幕府を結んでいる東福門院の存在は、日光に留まらず、京都の有力寺社との関係をつなぐという点でも非常に重要であったと説明した。
 続いて会場の参加者も含めた全体討論が行われた。中野光浩氏からは、階層性の部分と時代的な目線、縦軸と横軸で見ていくことが重要であると確認された。また、朝鮮通信使の問題を外交と国家儀礼がリンクしている点として注目すべきであると指摘された。井上攻氏からは、民衆レベル、地域レベルでの受容を捉えるときに、形式的な儀礼だけではなく、背景にある問題についてまで、一つの地域なり、一つの村を徹底的に構造分析する必要があると指摘された。
 本研究集会では、高野氏・福原氏により、従来国家神としてのみ捉えがちであった東照宮を、地域性・民俗性を視野に入れて検討した。同時に、為政者が勧請した東照宮の地域における受容や変容の実態を明らかにした。一方、根岸氏により、日光社参・東照宮に対する人々の認識の変化と、江戸幕府政治の展開の画期との関連性が提示された。また、松本氏は、信仰に関わる行為全体のなかであまり注目されていない「祈祷」という日常的な行為に注目して、東照宮信仰を見通すことを試みた。ここに、東照宮をめぐる儀礼の諸相と江戸幕府政治における東照宮の位置づけなど、東照宮の具体像がある程度抽出できたのではなかろうか。
 ことに従来の研究が、徳川家康の神格化や王権の問題、「治国利民」といった民衆統治や対外関係と国家理念など、多くの業績が近世前期までの国家と宗教の問題に集中しているのに対し、今回の研究集会では、近世中期以降の政治や民衆からの受容のあり方など、近世社会の展開の中での位置づけを提起した成果は大きい。しかしながら、より幅広い階層における受容の実態および時期的・段階的な変容の追及、近世の文化や例幣使や朝鮮通信使の問題への言及などの課題も出た。これらの課題については、今後の研究に期したい。
文責:谷川愛(東京大学総合研究博物館リサーチフェロー・資料整理協力者)
 
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