神道と日本文化の国学的研究発信の拠点形成 Kokugakuin University
 サイト内の検索

高度な検索
 メニュー
  • ホーム

  •     ・COEプログラムのご案内
        ・最新のお知らせ
        ・最近の刊行物
    
      ・神道・神社史料集成
        (神社資料データベース)

      ・国学関連人物データベース
ホーム >> COEプログラム事業の遂行と成果について >> c. 国際会議・シンポジウム >> グループ2「神道・日本文化の形成と発展の研究」
「宗教と社会」学会第13回学術大会開催校特別テーマセッション「神仏関係の歴史的実像―史料から見た信仰の場と組織―」 
公開日: 2006/12/21
閲覧数: 2833 回
Size 6589 bytes
印刷用ページ
 
1.開催目的:
 本テーマセッションは、「宗教と社会」学会との共催で、午前午後を通した2部構成の大掛かりなものとなった。
 このセッションは、―祥茲痢嵜席習合」を日本社会に普遍的かつ理想的な信仰形態と捉え、近代の「神仏分離」以降の神道・神社の在り方を否定的に裁断する視点(「法難」史観)と、他方、歴史性を捨象した本質主義的な神道理解(「正しい神道からの逸脱」観)という両極端な神仏関係像に安易に満足するのではなく、これらの一方的な理解によらない新しい視野を獲得するための問題提起を、あくまで史料の精緻な分析によって考察しようとすることがその趣旨である。第競哀襦璽廖嵜斉察ζ本文化の形成と発展に関する調査研究」がこれまでの「神仏関係」に関わる歴史的研究の成果を発表するために企画したもので、総合コメンテーターの林淳氏(愛知学院大学教授)以外、発題者や司会、コメンテーターなどは、事業推進担当者やCOEに関係する本学所属の若手研究者が務めた。


2.日時:平成17(2005)年6月12日、9時30分〜17時00分


3.会場:國學院大學 120周年記念1号館1303教室


4.発題者・司会・コメンテーター等(敬称略):

【第1部 中世の神仏関係】
・発題者:
 加瀬直弥(21世紀研究教育計画嘱託研究員・COE事務局)
  「中世前期の神社における仏教組織の動向」
 新井大祐(COE研究員)
  「中世神社縁起の製作と流布−蟻通明神縁起の展開をめぐって−」
・コメンテーター:三橋 健(事業推進担当者)、
・ディスカッサント:米村(太田)直之(21世紀研究教育計画嘱託研究員・COE事務局)

【第2部 近世・近代の神仏関係】
・発題者:
 松本久史(日本文化研究所助手・COE事務局)
  「近世偽文書と神職意識にみる神仏関係―元和・天和の「神社条目」について―」
 藤田大誠(日本文化研究所兼任講師・事業推進協力者)
  「幕末維新期の神仏分離に関する一考察」
 森 悟朗(COE研究員)
  「近代における神社参詣と地域社会―神奈川県江の島を事例として―」
・コメンテーター:阪本是丸(事業推進担当者)

【総合討議】
・コメンテーター:林 淳(愛知学院大学教授)
・司会:遠藤潤(日本文化研究所助手・事業推進協力者)
・コーディネーター:松本久史


5.概要
 司会は遠藤潤が全日に亙り務めた。
 午前の第1部〈中世の神仏関係〉では、まず加瀬が、「神仏同体説」が展開され始める院政期における著名社の神仏関係の実態を、神職組織の動向を中心に検討。この時期、神社における堂塔(仏教建築物)建立は院や貴族の経済力に依存した一過性の「流行」の色彩が強く、既存の神社施設の造営とは一線を画するが、一方で、特定の本地仏を確定させる積極性は乏しいものの、仏教的教説を受け入れ「流行」に対応しようとする神職の姿勢も垣間見えると指摘した。
 新井は、蟻通明神縁起の古代末期から近世初期の展開を検討し、古代末期の『枕草子』などに見え始める縁起は近世に至るまで「和泉国の蟻通明神」として残り続けるが、中世に創出された「紀伊国の蟻通明神」はこれとは異型の仏教説話的縁起であり、その後埋没していく。その理由は、実際の神社への信仰と中世の知の場における神祇説との乖離があったためで、中世における神祇信仰の「特異性」が抽出できるのではないかと述べた。
 2つの発題を受けたラウンド・テーブルでは、ディスカッサントとして米村、コメンテーターとして三橋が参加した。三橋は、文字資料だけではなく曼荼羅など絵画資料も積極的に活用すべきことを指摘し、米村やフロアとのやり取りでは、それぞれ、提示された史料の評価に関しての質疑が展開された。
 午後の第2部〈近世・近代の神仏関係〉では、まず松本が発題し、従来の近世の神仏関係論について、国学や水戸学などの「排仏論」ばかりを偏重する傾向があり、実際の神仏交渉の「場」に注目したものが少ないと批判。その上で、神祇道家の吉田家が全国の神職に流布させたと推測される偽文書である元和・天和年間の「条目」に注目し、その受容の目的は主に神職の身分確立のためにあり、これらが国学等の受容基盤形成の前提となると指摘した。
 藤田は、従来の殆どの研究が「神仏分離=廃仏毀釈」という極めて固定化された理解を出発点としてその「地方的展開」を考察してきたことを批判した上で、神仏分離政策を段階的に正確に理解するためにも「発信源」としての「中央の神仏分離」研究が重要だと指摘。特に維新期の「皇室の神仏分離」の一環としての「宮門跡の還俗」の過程を辿り、自発的に門跡制度の廃止を訴えた山階宮晃親王の事例から、「還俗の強要」ということはできないと述べた。
 森は、近世に多くの参詣者を惹きつけていた霊地である神奈川県江の島を事例として、その神仏分離以後における持続と変容について検討した。神仏分離後の「江島神社」では、還俗した旧別当家は神職として残り、また旧御師の島民も島を離れず、霊地としての新たな在り方を模索して例祭の継承・再編や神職による旅館経営が行なわれたが、参詣者の呼び込み活動は次第に島民側に比重が移ることになり、やがて神職家も神社から離れ、旅館業に専念し、神社の外から支えるという対応を採ったと指摘した。
 これらの発題を受けたラウンド・テーブルでは、まず阪本がコメント。三者の発表から、質的、空間的、歴史的に異なる多様な神仏分離の姿が提示されており、廃仏毀釈の問題とは区別して考える必要があると指摘し、近世における神と仏を明確に区別する意識や、近代以前の宮中の仏事、維新期の神仏分離政策の主体である岩倉具視や津和野派国学者に対する再認識の必要性について述べた。質疑応答では、幡鎌一弘氏(天理大学おやさと研究所研究員)から、藤田が使用した「法難」史観という表現は一面的で違和感がある、との疑問も呈された。
 この後、総合討議が行なわれ、まず林がコメント。近年の國學院大學発の研究状況を踏まえた上で、「神道史の研究が向上し、歴史学者と神道研究者との交流が盛んになっている」と述べる一方、黒田俊雄の「顕密体制論」など、従来の仏教優位の学術的な枠組みに対して、発第者たちが「まず自分の位置付けとなる「住所」、スタンスを明らかにすべき。その不足を感じた」とも指摘した。また、今回の発表内容からいえば、「神仏関係」という問題設定に関して疑問を呈し、広く宗教史と採る方が妥当性があると指摘した。また、黒田俊雄や村上重良、安丸良夫など他分野から神道に関心を持ってなされた先行研究の多くは、国家への関心に支えられており、その意味では、今回でいえば、藤田の発表が神仏関係と国家の問題とを関係づけて論じていた、と述べた。また、藤田は「法難史観」という批判的タームを使用したことに対する先の批判に応え、「出発点に神仏分離と廃仏毀釈を直結させた定義を置き、そこから始められる従来の研究に対する異議申し立ての意味があった。維新期の「神仏分離令」を即「廃仏毀釈政策」と見做すことは問題ではないか」と述べた。
 最後に阪本が、「中世を対象としてみても、当時の神祇をめぐるあり方を神仏習合ということばで概括するとその実像からは乖離してしまう。例えば、興福寺と春日大社の関係、石清水八幡宮、宇佐八幡、氷川神社など具体的な事例を見れば、いろいろな人々が今でいう神社を支えており、その形態は様々である。それは修験においても各霊山で多様なあり方を示している。神仏習合から神仏分離へ、というような把握ではなく、個別具体的な研究を進めていくことによって、やがてその実像に迫ることができると思われる」と総括した。

文責:藤田大誠(日本文化研究所兼任講師・事業推進協力者)
 
このセクションの目次に戻る | 総目次に戻る
このページに対するお問い合せ先: 研究開発推進機構事務課

國學院大學研究開発推進機構 〒150-8440 東京都渋谷区東4-10-28
TEL 03-5466-0162
Copyright © 2002-2004 Kokugakuin University. All rights reserved.