神道と日本文化の国学的研究発信の拠点形成 Kokugakuin University
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ホーム >> COEプログラム事業の遂行と成果について >> a. 調査 >> グループ1「基層文化としての神道・日本文化の研究」
「日本の宗教・儀礼文化の形成発展と異文化間交流」に関する調査研究 
公開日: 2003/7/8
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21世紀COEプログラム 「神道と日本文化の国学的研究発信の拠点形成」
「日本の宗教・儀礼文化の形成発展と異文化間交流」に関する調査研究報告 

奄美徳之島カムィ焼の調査

1.調査地 
   宮崎県宮崎市 宮崎県総合博物館
   鹿児島県大島郡伊仙町(徳之島)

2.期間 
   2002年11月14日(木)〜11月17日(日)

3.出張者 
   鈴木靖民(事業推進担当者)
   山崎雅稔(COE 研究員)

カムィ焼き1

カムィ焼き
(下:宮崎県総合博物館リーフレットより)


4.調査目的
 奄美群島の徳之島において、およそ11世紀から14世紀にかけて生産され、南西諸島一帯から南九州に及ぶ広範囲に流通していた陶器・カムィ焼、とくにそこに記された文字・記号の調査を通じて、南島文化を歴史学的に解明し、日本文化の有する多様性・独自性を考察する手がかりを得る。 

5.調査経過
〔1日目〕11月14日 
午前、東京羽田を出発、宮崎へ向かう。
午後、宮崎県総合博物館にて「古代特別展示 文字のある風景」を見学。

この展示は、近年目覚しい発掘の成果を得ている古代南九州地域の出土文字資料を一堂に集めたものである。当地域への文字文化の浸透を通じて、その背景にある古代国家の支配の広がりや人々の生活・信仰などの一端をうかがうことができる。展示を担当の宮崎産業経営大学の柴田博子氏と学芸員の籾木郁郎氏に、説明をして頂いた。これらのなかに、調査目的である文字の刻されたカムィヤキ1点が展示されており、熟覧できた。

〔2日目〕11月15日 
午前、鹿児島空港を出発、徳之島へ向かい、下記のシンポジウム主催者の出迎えを受ける。
午後、伊仙町役場社会教育課の課長以下の協力で、カムィ焼古窯群を調査。

翌日(16日)の「カムィヤキ古窯群シンポジウム」開催に伴い、公開された窯跡のうち1基を事前に見学した。窯の規模や構造を確認できた。同行した専門家の吉岡康暢氏、永山修一氏の見解を聴取できた。
 併せて、面縄貝塚遺跡の発掘現場(面縄小学校敷地内)を見学した。土器・獣骨・貝類が出土しており、わけてもヤコウガイの貝匙などの貝類の加工物が多数出土している。共伴の土器から縄文時代にさかのぼるという。

カムィ焼き3


 カムィ焼古窯群の発見者である義憲和氏(伊仙町立歴史民俗資料館館長)を訪問し、発見当時のことを聴取するとともに、資料館の展示物を見学した。展示室の一室には、高さ30〜60cm程度の褐色の壺類が数多く収集されていた。これらは近世〜近代にかけて、生産され、流通したものでカムィ焼の系譜を引くものと考えられる。その多くに数字と文字を組み合わせた箆書き記号が記されていた。これらは生産・流通に関わる窯記号と考えられる。

〔3日目 11月16日〕
 伊仙町立体育館で開催された奄美群島交流推進事業文化交流部会実行委員会主催「カムィ焼古窯跡群シンポジウム」に参席。シンポジウムには日本各地と韓国から1200人以上が参集し、盛大に行われた。

 シンポジウムでは、中世徳之島のカムィ焼をめぐって、生産技術・様式・流通などの各方面から、南島を研究する歴史学・考古学者7名による報告、会場との議論が交わされた。その窯の形状や陶器表面の紋様などは、高麗陶器と類似性を持つこと、同じく南島の交易品であったヤコウガイが朝鮮半島や東北地方にまで交易されるのに対して、カムィ焼は、南島社会〜南九州に限られ、流通範囲が限定的であることなども指摘された。
  
当日は、カムィ焼古窯群跡出土の多数の土器片のほか、熊本県相良村下り山遺跡、大韓民国全羅南道康津七陽面三興里遺跡、沖縄県那覇市牧志御願東方遺跡などの、窯の構造や陶芸技術面でカムィ焼との類似性・関連が指摘されている遺物を詳細に観察することができた。また報告者との間で意見交換を行なった。

〔4日目〕11月17日
 午前、カムィ焼古窯群を再調査ののち、義憲和氏の案内で徳之島独自の葬制が窺われる面縄貝塚の喪葬地などを見学。
 午後、鹿児島空港を経由し、東京に帰着。

6.調査概要
調査した文字・記号のあるカムィ焼の主要な資料は以下の通り。所見を記して今後の研究に資したい。


(1) 宮崎県総合博物館「古代 文字のある風景」展示品
鹿児島県名瀬市奄美博物館所蔵の小壺(龍郷町表採)。頸部に箆書きの記号(文字)が確認できる。箆書きは、「夫」あるいは「天」と読める。窯での生産・出荷時の記号と考えられ、〕匕気琉、◆孱魁廚鮗┐慌菴記号、2燭の象徴的な記号などが想定できる。は本土各地出土の「※(三に人)」字土器が「奉」に通じ、神への祈願を表わすとされることとあわせて考えるべきか。


なお、未調査であるが笠利町歴史民俗資料館所蔵の小壺(マエヤグスク表採)にも、底部外面に「天」と箆書きするカムィ焼がある(中山清美副館長のご教示による)。
カムィ焼き5
(宮崎県総合博物館リーフレットより)


(2) 鹿児島県伊仙町カムィ焼古窯群および伊仙町総合体育館展示品
 a 第1支群−4 外部底面
    土器制作工程(台など)を反映か、その模擬か。
  b 第10支群−2 肩部
    窯記号か。
カムィ焼き6


c 第11支群−3 外面 針書
    日本本土中世陶器の系譜を引くか(吉岡康暢氏の御教示)。


  d 第10支群−4
    窯記号か。
カムィ焼き7


e 第9支群−5 壺の縦型の把手。   
   矢羽文様を刻書。壺自体が矢筒に利用されたか(赤司善彦氏のご教示)。漁労・狩猟の豊饒祈願など矢の象徴性を表すか。
カムィ焼き9


f 第9支群 底面外部
   窯記号か。
カムィ焼き8


g 不明  底部(破片)外面。
  土器制作台に敷いた小枝などをモチーフに意識か(吉岡氏のご教示)。
カムィ焼き10

h 第1支群 大型壺(完形)。胴部。
\い針書、線刻。窯記号に意識的に小波線を追記か。さらに焼成後、別の部分に2カ所、波線を針書。単なる窯記号以上の意味を示唆する。大型壺での貯蔵・運搬と関係する図像表現か。
カムィ焼き11


(3)沖縄県那覇市牧志御願東方遺跡
    a 小壺 胴部(破片)
    窯記号でなく描画か。矢印の変形か。
カムィ焼き12


7.徳之島カムィ焼調査の意義と課題

(1)11〜14世紀、日本本土(ヤマト)の須恵器に類似したカムィ焼は、壷型の貯蔵具・運搬具であり、本土の中世に相当する時代、奄美大島の南の徳之島の100基を超える窯群で大規模に生産されつづけ、先島の波照間島を南限とする南西諸島のほとんどの島々から鹿児島県薩摩半島まであまねく広範に流通した。カムィ焼は、薩摩半島で発見されるだけでなく、各地で長崎県西彼杵半島産の石鍋、中国舶載の陶磁などと共に出土することがあり、琉球王国成立前の南島の人々の生活・生業・文化と本土や中国との交流の関係を考えさせる。熊本県では酷似する構造の窯の遺構が発掘されている。さらには陶器製作の面で、轆轤を回す方向、木の板で横方向に叩く成形のしかた、表面の波形や木の枝状の線刻による表現ないし装飾(図像)の多用などは、陶器の灰黒色の外見と併せて、朝鮮半島の高麗の陶器に共通することが指摘されている。

 奄美・徳之島自体が歴史的に政治・経済・文化などの境界領域に位置するが、カムィ焼も太平洋と東シナ海の環東アジア海域のなかで育まれた、実に国際性・境界性豊かな歴史資料であることが分かる。その経営や輸送に携わった集団が薩摩の武士か(吉岡康暢氏)、遥か東北・平泉中尊寺まで夜光貝を運んだ博多商人か(木下尚子氏)は、なお検討を要するが、琉球王国の成立や、日本中世九州地方の社会の動向とも絡み、日本人の海を介した異文化間交流はもとより、「東アジアのグローバル化」を読み解く(吉岡康暢氏)手がかりとなる。

(2)このいわゆる「交易文化」(フィリップ・カーティン氏)の研究のもつ意義は以上に止まらない。およそ交易にともなう交流は、異文化間交易、ひいては異文化間交流の範疇に属して考えられるが(例えば大航海時代の南蛮文化)、人、モノ、情報、技術、技能・思想の移動や接触・伝播を促し、各地相互の間の文化形成・文化創出・変革、時として文化破壊までをも惹き起こす様々な可能性を内包する。南島人の島嶼社会での生活・生産・生業の変容、航海や商業をはじめとする遠洋航海活動の実態、その外圧にともなう日常性・非日常性の交錯する過程で、必然的に生じる物質的、精神的習俗や呪術や信仰や思想などが、まず追究すべき課題となる。

(3)カムィ焼の表面に描かれる文字(漢字)や記号、装飾(図像)などの表記・表現に注目したい。これらは目下のところ確認できる南島で書かれた最古の文字・記号資料として重要であり(「開元通宝」などは舶来品なので除く)、東アジアと日本の異文化間交流、南島および日本古代・中世の交流史、比較史研究の、僅少であるが看過しがたい材料である。なかんづく、中国(宋・明)・日本・朝鮮半島(高麗)の漢字文化圏に挟まれ、文字文化の境界でもある南島は本来、無文字(非文字)社会であった。これらには生産や出荷にともなう窯記号が多いが、矢羽紋様の記号、「天」または「夫」字状の刻字、線刻による波線の装飾(図像)表現もあり、一定の社会における神秘性・共同性とのかかわりが予想される。つまり、この無文字社会における交易文化の発展を契機とする文字・記号の起源・成立、始用、普及、社会的意義などを探ることのできる貴重な事例というべきである。例えば、無文字社会における文字の呪能、「秘儀性」と「規約性」(川田順造氏)、無文字社会(未開)と文字社会(文明)の接触・交流、という広がりのある普遍的な議論が期待できるであろう。

(4)この度の調査を機に、北方を含む日本各地のデータを掘り起こし集積すること(中国・朝鮮半島での調査も望まれる)、子細な観察を継続させることによって、南島の一隅から、古代以来日本の基層文化の一翼を担い、今日なお日本文化、特に精神文化と不可分の関係にある漢字文化の問題に向けて、歴史具体的に発問できるであろう。この調査・研究は物質文化を題材としながらも、精神文化の核心に外側・周縁からの接近を企図するものでもある。今後、この種の歴史資料の収集・活用と、言語・文字・文学・民俗・宗教・哲学など諸学との学際的な議論により、最近の文字文化をめぐる漢字論(ジャオ・ゾンイ氏・子安宣邦氏など)に対しても論及し、日本文化論の形成の基底への視点を提出することにもつながりうるものと考えられるのである。
 (文責 鈴木靖民)
 
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