神道と日本文化の国学的研究発信の拠点形成 Kokugakuin University
 サイト内の検索

高度な検索
 メニュー
  • ホーム

  •     ・COEプログラムのご案内
        ・最新のお知らせ
        ・最近の刊行物
    
      ・神道・神社史料集成
        (神社資料データベース)

      ・国学関連人物データベース
ホーム >> COEプログラム事業の遂行と成果について >> b. 研究会 >> グループ1「基層文化としての神道・日本文化の研究」
ロシア極東新石器時代研究の新展開 
公開日: 2003/10/2
閲覧数: 6226 回
Size 7105 bytes
印刷用ページ
 
主催:國學院大學21世紀COEプログラム
会場:國學院大學渋谷校舎 120周年記念1号館1308教室
開催日時:2003年5月17日(土):午後1時〜4時
研究会の目的:本学21世紀COEプログラムの研究課題の一環として、本年8月に実施するロシア連邦沿海地方における国際共同学術発掘調査に向けて、当該地域の国内第一線研究者を招聘して最新の研究動向を把握するとともに、現在までの本学COE第汽哀襦璽廚慮Φ羮況を説明し意見交換をはかることを目的に、上記研究会を開催した。
研究会の概要:研究会には、長沼正樹氏(日本学術振興会特別研究員:北海道大学)と福田正宏氏(日本学術振興会特別研究員:東京大学常呂実習施設)の2名を招聘した。ともに、現在ロシア極東地域における旧石器時代から新石器時代にかけての時期を専門領域とし、数多くの現地調査を手掛けている国内有数の研究者である。研究会では、最初に伊藤慎二(COE研究員)が会の趣旨を説明し、続いて本学COEの現在までの研究状況について説明を行った。その後、長沼氏と福田氏よりそれぞれ研究発表を行っていただき、最後に質疑応答を行った。会場には、学内外から合計約30名の聴講者が来場した。      
以下に、長沼氏と福田氏の研究発表の要旨を紹介したい。

1.アムール下流域におけるオシポフカ文化の諸問題とゴンチャルカ1遺跡2001年発掘調査の成果: 長沼正樹(日本学術振興会特別研究員)
発表内容は、前半の「オシポフカ文化の諸問題」、後半の「ゴンチャルカ1遺跡2001年度発掘調査の成果」という2つの課題が取り上げられた。前半の内容は、長沼正樹「更新世終末から完新世初頭の極東北部における両面調整石器群」『古代文化』(投稿中)、後半の内容は、長沼・シェフコムード他「ゴンチャルカ1遺跡2001年発掘調査の概要とその諸問題」『旧石器考古学』64と内容的に重なる部分がある。以下では、特に前半の内容についてまとめ、後半の内容について上記文献を参照されたい。
前半の「オシポフカ文化の諸問題」に関しては、1.「オシポフカ中石器文化」として提唱されたオシポフカ文化研究の初期の状況について、2.「最古の土器」が出土したガーシャ遺跡の発掘成果によってオシポフカ文化の位置付けがどう変化したか、3.現在のオシポフカ文化の研究における問題の所在について、4.最近の調査についてハバロフスク州立博物館の研究成果を紹介するという順序で言及された。
初期の研究として、1926年〜27年にゲラシモフがハバロフスク市で行った発掘調査で初めて確認された石器群が、その後1960年代までの調査成果を踏まえてオクラドニコフにより中石器時代に位置づけられた経緯が紹介された。オシポフカ遺跡を標識遺跡とするオシポフカ文化が、こうしてはじめて確認されたのである。おもな石器組成としては、おもに両面調整尖頭器、手斧、石刃状ナイフがあげられる。さらに、この文化は石斧の存在と遺跡分布の特徴から、「生業に漁撈活動を新たに加えた先史経済上の新段階」と位置づけられた。これには、遺跡・遺物の解釈に「研究対象とする文化を経済の発展段階に位置づける」という、当時のソビエト考古学的枠組みの影響があることもあわせて指摘された。次に、1975年に開始されたハバロフスク地方ガーシャ遺跡での発掘成果を画期とし、オシポフカ文化の年代観が変化したことと、それに伴う日本の研究への影響が解説された。ガーシャ遺跡では、オシポフカ文化の石器群と土器が共伴し、これらに対して12,960±120BPという14C年代測定値が示されている。その後、ウスチ=カレンガ遺跡やフーミ遺跡の調査成果からもこうした内容がおおむね追認され、オシポフカ文化が年代的に古く位置づけられることになった。漁撈民説はその後も継承され、土器の起源は漁撈活動との関連で現在説明されている。一方、日本では、神子柴・長者久保系石器群の特徴や年代との近似から、オシポフカ文化が縄文文化の起源の候補と認識されるようになったことが指摘された。現在のオシポフカ文化研究における問題の所在としては、ガーシャ、フーミ遺跡ともに他時期・他時代との複合遺跡であるが、土層の堆積が薄いために、遺物の一括性・同時期性の評価に非常に困難さが伴う。また、オシポフカ文化自体の範囲の限定や編年細分の必要性も指摘された。これらの問題を明らかにするための今後の課題として、石器の純粋なセット関係の把握とそれに確実に伴う土器の発見があげられた。こうした近年の問題意識に基づき、1990年代からハバロフスク州立博物館によって行われているノヴォトロイツコエ遺跡群の調査成果などの最新動向もあわせて紹介された。

2.極東ロシアにおける先史土器研究の現状と課題―新石器文化の展開から初期鉄器時代の開始までに注目して―: 福田正宏(日本学術振興会特別研究員:東京大学付属常呂実習施設)
発表内容は、1.極東ロシアにおける新石器〜初期鉄器時代の文化編年、2.沿海州における後期新石器〜初期鉄器時代移行期について、という2つの課題が取り上げられた。1.では、極東ロシアの新石器時代、青銅器(古鉄器)時代、初期鉄器時代の三つの時期区分について、沿海州とハバロフスク州の両地域の土器型式にもとづく文化編年から概説された。2.では、ロシア国内の研究における先史文化の捉え方が解説され、外部からの文化要素の受容、地域差、移行過程について研究上の問題点が指摘された。本発表の対象となるロシア極東地域とは上記の通りアムール流域と沿海州であり、時代は約6000年前から約2000年前である。
まず新石器時代の沿海州の土器編年について、アンドレーエフ、オクラドニコフ、ジュシホフスカヤ、クリューエフらの既存の案が紹介され、さらに福田氏の暫定的土器編年案が示された。それによれば、沿海州における新石器時代〜青銅器時代の各遺跡文化層の堆積順序に基づき、以下のようにまとめられる。ボイスマン最下層→ボイスマン供Ε競譽船Л機癖毀槓検Χ文が施されたもの)→ハンシ機Εロウノフカ機米貔文)・亜布力→ボイスマン機米貔文)→ザイサノフカ機Εロウノフカ機淵献哀競以検ν詈検▲潺キ整形)の各段階である。また文化編年は前期がルードナヤ文化・ボイスマン文化と後期のザイサノフカ文化とに分けられる。ハバロフスク州の同時期の詳細は不明であるが、文化編年は、アムール編目文土器の存在から前期はルードナヤ文化圏に含まれ、後期はヴォスネセノフカ文化(ヴォズネセノフカ上層)とすることがきる。新石器時代土器の特徴的な体部文様として、前期−編目文・櫛目文、後期−櫛目文・ジグザグ文・渦巻文・幾何学文・雷文が挙げられ、これらはアムール流域・沿海州ともにおおむね一致することが指摘された。
青銅器(古鉄器)時代については、南西部と東海岸部の間の文化的差異が指摘され、南西部−シニ・ガイ文化、東海岸部−リドフカー文化が紹介された。両者とも、土器には無文化の傾向が見られ、青銅器を模倣したと考えられる石製品が出土するが、前者では骨角製品が多く、土器の突出した口縁部には刻みが施される。また後者では、土偶・石鍬・石包丁が出土し、土器胎土に粉砕された貝片が混和されるという違いから、両者は系統的に異なる可能性が指摘されているという。初期鉄器時代にもこうした南西部と東海岸部の文化的差異が受け継がれ、南西部のヤンコフスキー文化→クロウノフカ文化(団結文化)、東海岸部のウリル文化についてもあわせて紹介された。ヤンコフスキー文化の土器には高坏が見られ、体部文様には鋸歯文が多く、クロウノフカ文化では把手のついた土器が特徴的に見られる。両者とも鉄製品を伴うが、石器も依然残存することから、金石併用時代として性格規定できることが指摘された。なお、その後の鉄器時代・中世にはいずれの地域もポリツェ、靺鞨、女真の各文化へと順に移行している。
後期新石器から初期鉄器時代への移行期に見られる外部からの文化要素の受容としては、特に青銅器(古鉄器)時代と初期鉄器時代に稲作文化的要素の受容が考えられている。一方福田氏は、土器に関してはその形態的特徴から在地のものが系統的な変遷をたどって変化した可能性を指摘する。また極東地域、中国東北部、朝鮮半島北部地域の間に文化的境界は見られず、これらの地域を統合した視野に基づく研究の必要性を強調している。また南西部と東海岸部の地域差については、特に東海岸部の状況に不明な点が多く、今後の研究の重要な課題であることが指摘された。
(文責:伊藤慎二・薮下詩乃)

 
このセクションの目次に戻る | 総目次に戻る
このページに対するお問い合せ先: 研究開発推進機構事務課

國學院大學研究開発推進機構 〒150-8440 東京都渋谷区東4-10-28
TEL 03-5466-0162
Copyright © 2002-2004 Kokugakuin University. All rights reserved.